梅は咲いたか桜はまだかいな

    (仲入り)

先月末に「東京かわら版」を買ってすぐにペラペラめくって、鈴本中席、浅草下席とで雲助師匠のトリが続いていて大喜びだった。年明け以来雲助師匠を聴かずに日々が過ぎていて、そろそろ禁断症状が出ていて、ちょいと「雲様恋し」状態(なんじゃらほい)だったので、嬉しかった。こうなったら、鈴本中席は初日に! と強く決意。ここ数日、妙に機嫌がよかったのは、鈴本中席がだんだん近づいていたせいかも。

と、待ってました! と鈴本に突進、小菊さん登場直前に着席。おなじみ「梅は咲いたか桜はまだかいな〜」で始まって、さっそく季節感が盛り上がって気分上々だった。次々にあらわれる人々を眺めて、次の一席は何かしらとほんわかとたのしくて、いつもながらの寄席のたのしみをしみじみ満喫。この感覚ひさしぶり。そういえば、寄席は結構ひさしぶりで、12月の池袋上席以来。『雛鍔』と『人形買い』とで人形ネタが続いたのがいい感じで、『天災』好きだなあと、噺そのものを満喫、愉快愉快。『天災』、喜多八さんがいかにもぴったりな気がする、いつか聴いてみたい。

さて、本日のお目当て、雲助師匠。赤茶色のきものもうるわしく始まった本日の一席、吉原のマクラで何かしらと、今日は『干物箱』だった。たっぷり35分、大満喫だった。結構おなじみの噺だったけれども、こんなに満喫したのは初めてで、こんなに笑ったのも初めて。素晴らしかった。いつも思うことだけれども、雲助師匠にかかると、登場人物それぞれのポンポンとしたちょっとした会話のやりとりでそのまま落語国・生世話の世界がぽわーんと立体化して、そんな雲助さんならではの空間が絶品なのだった。

若旦那にお父っつあん、貸本屋の善公に、その前に若旦那が道中で出会う男、若旦那と善公の会話のなかに登場の花魁といった、登場人物全員がみななんだか飄逸としていて、特にお父っつあんが志ん朝とも馬生とも違う、雲助師匠ならではの個性があって絶妙だった。若旦那が善公の長家へと向かう路地の感じとか、行き交う俥の様子とか、そんな町かど風景もすばらしく、そのことで親父のかわりに運座へ行ったというくだりの、江戸趣味気分がいきいきと生彩を放ってくる感じだった。書物で思いを馳せているそんな気分を鮮やかに体感することができた。善公が若旦那の部屋で熱燗でよい気分でほろ酔いになっていくところとか、細部の要所要所で聴きどころたっぷり。若旦那の枕元の1冊が『学問のすすめ』というところで大笑いだった。善公の「おやすみなさい!」連発のところ、よかったなア。なんかもう『干物箱』全体、大満喫で愉快で愉快で、本当によかったなア……。

と、ひさびさに雲様堪能だった。家に帰って、馬生と志ん朝の『干物箱』ディスクに耳をすませて、志ん朝さんの『雛鍔』、今まであまりきちんと聴いていなかったから、これからじっくり聴かないと、などなど、そんな寄席と部屋でのディスク聴きの相互補完がたのしい。