夏の夜の織田作之助

foujita2004-07-16


朝、和多田勝著『大阪三六五日事典』をよい気分でめくっていたら、「十軒路地から東京へ」というタイトルの4月7日、明治43年宇野浩二が夜汽車に乗って上京した日の項が目にとまった。《どの作品も大阪の匂いがいっぱい。》という宇野浩二、《織田作は『大阪論』の中で次のようなことを言っている。西鶴の話術は連俳式、宇野浩二のは連歌式、西鶴は性急に、宇野は春日のごとく遅々として語るがどちらも代表的な大阪話術だと。》というふうに和多田勝が締めているのを見たとたん、「織田作之助、いいこと言うなア」とたいへん感激して、織田作之助の『大阪論』が読みたいッと、パソコンのスイッチを入れて調べてみたら、何カ月か前に出たばかりの講談社文芸文庫に収録されていることがわかって、やれ嬉しや、今日の昼休みにさっそく買いに行こう! と思ったところで、いや待てよ、何年も前に購入してそれっきりだった織田作之助の本が1冊、本棚にあるはずだ、すぐさま散財に走るのはわたしの悪い癖だ、まずは部屋にある本の方を読むとしようと、朝っぱらから本棚探索、ほどなくしてめでたく発見したのが、織田作之助著『文楽の人』(現代新書、昭和31年)だった。

秋野卓美の装幀がそこはかとなくいい感じの新書版織選集。だいぶ早めに外出して、喫茶店でのんびりページを繰って、まずは表題の『文楽の人』を読んだ。栄三と文五郎、頭のなかは一気に展覧会で見た土門拳の写真。杉山茂丸や伏見からの三十石舟なんてのも登場して、とにもかくにも一気読み。「武田さんのことを書く」という書き出しの『四月馬鹿』とか『郷愁』のある一節に朝っぱらからうるうるっとなった。帰宅後、昭和16年4月興行の文楽座興行の劇評が武智鉄二の本になかったかしらとちょっと探したあと、織田作之助の続き。『影絵』『俗臭』『表彰』『予言者』『鬼』『髪』『素顔』と次々と一気に読んだ。