週末古本日記

先月末に宇野浩二の『大阪』を買った古本屋さんを再訪した。先月買い損ねた、河盛好蔵のエッセイ集を買おうと思っていたのだけれども、棚から消えていてがっくり。と、その直後、前々から探していた、串田孫一の『日記』を見つけて、値段も手頃で一転大喜び。白い函のシンプルな外装の風格たっぷりのうつくしい本。ここ1年ほど思っていた本をやっとわが書架に収める運びとなって、とても嬉しい。

この本は去年の夏休み、図書館で借りて読んだ本で、去年に読んだ本のなかでもっとも心に残った本のひとつだった。帯に《大平洋戦争前後3年間の生活と思索の記憶。渡辺一夫、斎藤磯雄、唐木順三森有正戸板康二品川力の各氏ほか師友からの来簡をまじえて浮き彫りにする、激動の時代と心。》というふうに書いてある通りに、串田孫一の当時の日記を読むと同時に、串田孫一のもとに届いたたくさんの書簡を読むことができる。その日記と書簡を交えた構成というのがとても秀逸で、読後感はとても深くて、いろいろなことにつながる1冊でもあった。

戸板康二串田孫一宛書簡をたくさん読むことができて、初めて知ったことも少なくなくて、戸板康二を読む上でなくてはならない1冊。この本を読んだ当時は興奮のあまり、戸板康二ダイジェストに抜き書きファイルを一気に作成してしまったくらい(→ http://www.on.rim.or.jp/~kaf/books/)。自分で抜き書きしたファイルは印刷して手元においてあって、以来何度も繰ることになった。とにもかくにも一級の資料。

去年の夏休みにこの本を読んでから、渡辺一夫にも急に興味津々になった。つい先日、都立中央図書館串田孫一の編集した『渡辺一夫装幀・画戯集成』という本を閲覧していたばかりで、この串田孫一の『日記』のことを思い出していたところだった。

  • 武智鉄二『歌舞伎の黎明』(青泉社、昭和30年)

と、念願の串田孫一の『日記』を手にしてホクホクと店内の棚を一通り眺めて、国内外の文学書が中心のこのお店、おっ、こんなところに演劇書のコーナーがあったのかと、ふと眺めてみると、ほんのわずかしかない演劇書の並びに、派手な函入りの武智鉄二の『歌舞伎の黎明』があるので「えー!」とびっくり。これまた、串田孫一『日記』同様、図書館で借りて読んで以来、何度も借り出していて、いつか手に入れたいものだなあと思っていた本だった。「えー!」と函からそーっと取り出して値段をチェックすると、今までネットで確認していたどこよりも安いので、これはもう迷うことなく購入。

武智鉄二の著書を手に入れたのは『かりの翅』に続いて、これが2冊目。『歌舞伎の黎明』は武智鉄二の著書としては3冊目で、敗戦後から昭和24年までの文章を収録している。つい先日、『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋」の浄瑠璃をじっくり読んで、しみじみ感じ入っていたところだったので、「熊谷陣屋検討」とか「組打論」が入っている『歌舞伎の黎明』をまた京橋図書館で借りるとしようと思っていた矢先だった。帰宅後さっそくペラペラとめくって、菊五郎の桜丸に関する文章を読んで、急に思いついて折口信夫の本をめくったりとやっぱりいろいろと刺激的。『菅原伝授手習鑑』の本文をまたじっくりと読むとしよう。武智鉄二は並木宗輔のことを浄瑠璃作者中最大のリアリスト、冷厳なリアリズムの持ち主というふうに書いていて、うーむと、ますます浄瑠璃読みへの意欲が湧いてくる。この3カ月、急に浄瑠璃読みに凝るようになったのは、ほかでもない武智鉄二の本を手にしたのが起爆剤だったと今にして思う。

ウム、今日は大収穫だわいと、2冊の本を手にして、ついでに文庫本棚もチェック。新刊で買い損ねていて、ぜひとも全冊入手したいとつねづね思っている、河出文庫の綺堂本を1冊見つけて、またまた大喜び。河出文庫の綺堂本、未入手は『世界怪談名作集 上下』と『江戸の思い出』のあと2点、とメモ。小野忠重の本は、池内紀の文章を読んで以来、気になっていたもの。100円なので迷わず購入。知っているようで知らなかった版画の技法がよくわかる上に、古今の洋もの、和もの両方の版画の紹介も簡にして要をえていて、とてもいい感じ。思わぬ収穫だった。今後の美術館行きがたのしみになってくるような嬉しい本。阿佐ヶ谷の小野忠重美術館にもいつか出かけたいなと思う。


と、ますます大収穫だわいと、日没になって暑さもだいぶ和らいで、よせばいいのにもう1軒の古本屋さんにも足をのばしてみた。店頭の安売りコーナーに、岩波の日本古典文学大系が何冊も売っているので、前に戸板さんの書評を読んで急に欲しくなった郡司正勝校註『歌舞伎十八番集』はないかしらッと、急に燃えて探してみると、『歌舞伎十八番集』はなかったけれども、前々から安く売っていたら買おうと思っていた、『西鶴集 上下』『近松浄瑠璃集 上下』『歌舞伎脚本集 上下』がいずれも2冊300円で売っているので、今度は急に困ってしまった。しかしこれを逃すと、今後は300円以下でないと買えなくなってしまう、いや、300円だろうが100円だろうがここまで来るともう同じだ、ここは涙をのんで買うよりほか方法がないと、えいっと全6冊購入。

これまでずっと、たいていどの図書館にもあるので、古典文学全集の部類は買うのは無駄だと思っていたけれども、いざ古典文学大系を何冊かを手にしてみるたら、やっぱり手元に置いておくのはずいぶんいいものだということがわかった。帰宅後、ペラペラとめくって、ふつふつと嬉しい。

近松浄瑠璃集』の月報に宇野浩二の文章があって、自らの大阪体験を交えた近松雑感がとてもいい感じで、『西鶴集』の月報でも武田泰淳尾崎一雄の文章が嬉しかった。尾崎一雄西鶴の文章のことを《無駄が無くて、それがリズムにのってトントンと運ぶから、流れるように快調だ――とだけ云ってしまうと少し違うので、トントンと快調でありながら印象が強い、流れるようでいながら、残影がくっきりしている、というわけである。》というふうに書いている。昭和7年に春秋社が「現代語西鶴全集」を企画した際に、師の志賀直哉に依頼があり、一度は断ったものの、当時不調だった尾崎一雄との共訳にして印税は全部尾崎に渡してくれ、といって引き受けたということが書いてあった。この仕事のおかげで経済的に助かったばかりでなく、5年間まったく書けなかったのが西鶴の訳業のおかげで急にハズミがついたとのこと。なんだかジーンとなった。

気になって、春秋社の「現代語西鶴全集」のことを調べてみたら、なかなかの顔ぶれで興奮。久保田万太郎も参加していたなんて!

近松と歌舞伎脚本は、日頃の芝居見物に関連してだけども、何年も前から西鶴を読んでみたいと思っていたのは、樋口一葉をはじめとする多くの文人が親しんでいたからで、わたしも共有したいものだと思ったからなのだった。今後じっくりと時間をかけて取り組みたいと思う。歌舞伎の脚本を読むのも日頃のたのしみなのだったが、『歌舞伎脚本集』をめくって、一度図書館で借りた河竹繁俊の『歌舞伎作者の研究』(だったかな)のことを思い出したりも。浄瑠璃集同様、脚本読みと同時に歌舞伎作者の系譜、歌舞伎の歴史に思いを馳すことができる構成で、これまたずいぶんたのしみ。