夏休み谷根千日記

夏休み二日目。昼間は一人で思う存分ふらふら出歩くとしようと、お昼過ぎに意気揚々と炎天下のなかを外出。まず最初の目的地は、何年も前からの懸案、毎年夏の恒例、全生庵の期間限定幽霊画展覧会。『絵のなかの散歩』の「応挙の幽霊」で洲之内徹全生庵に向かうべく日暮里で降りているのだけれども、わたしは西日暮里で下車。野口冨士男の『いま道のべに』冒頭で山の手線の駅で下車したことのある駅を回想するところがあるのをふと思い出した。西日暮里は初めて降りる駅だなと思った。久保田万太郎が震災後に一時居を構えたことのある場所が西日暮里からすぐの諏訪神社あたり、このあたりを歩いてみたいものだと前々から思いつつ何年もたっていたという懸案の場所であった。全生庵といい、何年も前からの懸案が立て続けに実現して嬉しい。と、日傘片手に静かな道をテクテクと歩いて、暑いなか気分上々。さらにテクテクと直進すると、左手に金曜日閉館の朝倉彫塑館が見えてきた。朝倉彫塑館も何年も前からの懸案で、初めての見物はぜひとも12月にしたいと前々から心に決めているのだ。と、今年こその4カ月後の再訪を誓いつつ、さらにテクテク歩いて、そろそろ暑くて疲れてきたかなあという頃に三崎坂を右折して、ようやく全生庵にたどり着いた。誰もいないひっそりした展示室で円朝コレクションを心ゆくまで見物。

全生庵を出て三崎坂をくだって、不忍通りを右折するとつい早歩きに。「モクローくん大感謝祭(http://www.yanesen.net/topics/topic/1538/)」開催中の古書ほうろうにたどり着いて、まずはウィンドウに展示の花森安治装幀本をじっくりと眺めて、何度もにんまり。ほとんどが初めて目にする本で、さっそく眼福だった。中に入ってみると、「モクローくん」コーナーに、戸板康二著『久保田万太郎』(文春文庫)が展示してあるのを発見、「おっ」と確認すると、そこは「モク妻セレクション オヤジ顔&動物表紙画コレクション」(だったかな)と冠する展示コーナーなのだった。いきなり大受けしてしまった。いいなあ……。と、その直後、隣の棚に100円か200円で見つけるとつい買ってしまう「随筆サンケイ」が2冊並んでいるのを発見して「おっ」と1冊取り出してペラペラめくると、さっそく冒頭のグラビアの「私の書斎」というページに久保田万太郎が登場、立て続けに久保田万太郎のオヤジ顔に遭遇するとは! と、二度大笑いだった。つい先ほど、久保田万太郎遺跡を通りかかったばかりというタイミングで万太郎に遭遇するというのがまた嬉しいではありませんか! と、ひとりで大喜び。

と、古書ほうろうでしばし涼をとったあと、えいっと外に出て来た道を戻って、ふたたび千駄木駅方向へ。ちょっと気が向いて脇の道に入ってみると一気に静かな道で、大通りを歩いているときよりも心なしか涼しいような気がする。ミンミンと蝉の声が聞こえるなかをテクテク歩いて、団子坂を渡って、文京区立鴎外記念本郷図書館http://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/kakukan_annai/ogai.html)へ。目当ての鴎外記念室をのんびりと見物して、森まゆみさんの『鴎外の坂』のことを思い出したりする。見物後もなかなか立ち去りがたくて、鴎外コーナーの文献を気まぐれに何冊も眺めているうちに、「鴎外資料」の分厚い目録を発見して急に思い出して、串田孫一が戦前につくっていて戸板康二も参加していた同人誌「冬夏」の鴎外特輯号がよもやここに所蔵されていやしないかしらッ! と急に燃えてペラペラと目録を繰ると、目論み通りに「冬夏」の鴎外特輯がしっかりと所蔵されていた。え〜! と2階の鴎外資料室に突進して、さっそく閲覧申し込み。

思いがけなく、何年も前からの懸案、「冬夏」を初めて目にする運びとなって、本当にもう今日という日はまれにみる佳日、「あー、本日はなんたるよき日ぞや」と鴎外資料室の椅子でひとりジーンだった。職員の方が持って来て下さった「冬夏」の鴎外特輯号は製本されてあって、厚い表紙をそーっとめくると、本誌の表紙はみみずくの絵だった。先ほど鴎外記念室で見たばかりの、大正2年に帝国劇場で近代劇協会が鴎外訳『ファウスト』を上演した際に、上山草人に依頼されて鴎外が絵つけしたお皿のみみずくの絵にそっくり。鴎外特輯号には、「冬夏」の出資者で串田孫一の叔父さん、今村信吉の「団子坂の菊人形」というエッセイがあった。千駄木林町の姉夫婦宅に寄寓していた学生時代に、神田猿楽町の平田禿木に英語の補習を受けていた今村信吉、教科書のエマーソンの原書を開くことはほとんどなくて、のべつ文学談ばかりしていたという。その折に今村信吉が近所の人に「先生、先生」と呼ばれて弱ります、ということを言うと、おやおや、団子坂には先生がふたり出来たかと、平田禿木は笑ったというくだりがあって、団子坂の鴎外先生の跡地でそろりとめくった「冬夏」でこういう文章にめぐりあうというのがまた嬉しいではありませんか! と、いつまでもひとりで大喜びだった。初めて読んだ今村信吉の文章がとても素敵で、戸板康二もこの小父さんにはずいぶんかわいがられたという。戸板康二の文章や串田孫一の日記で今村信吉という人物には前々から興味津々だった。こういう人に目をかけてもらったという戸板康二の育ちにあらためてしみじみ感じ入るものがあって、いつまでもジーンだった。

近日の再訪を誓いつつ鴎外記念図書館を出たあとは、薮下通りをテクテク歩いた。以前に人に教えてもらった散歩道で何年ぶりかで歩いて、静かな道でテクテク歩いてしみじみいい気分。根津神社境内を通り抜けて、不忍通りに再び出て、上野公園の緑が見えて来て、いつのまにか不忍池の横を歩いている。蓮の花がかすかに見えて、そういえば、ここで蓮の花を見るのは初めてだなと思った。

展覧会メモ

洲之内徹の『絵のなかの散歩』所収の「応挙の幽霊」を読んで以来、今年こそは今年こそはと思いつつ、毎年見逃していた、全生庵の期間限定、幽霊画の展示は、洲之内徹を読み始めて3年後にやっと見物が実現。「スノさん、これに連れてってよ」とズコちゃんが差し出した新聞記事が河野多恵子による円朝コレクション探訪記だったとのこと。洲之内徹が「なんとなく変な一日であった」と締める、円朝コレクション探訪の日、ちょいと洲之内散歩をと、ほんの思いつきで組み立てた本日のお出かけ計画だったけれども、期せずしてわたしにとっても非常に濃い夏の一日となった。

ひっそりとした展示室で次々と目にすることになる幽霊画の掛け軸の下に、説明文が書かれた色紙がおいてあって、この色紙がまずはとっても味わい深かった。毎年毎年展示されてちょいと古びてきている色紙が、幽霊画の展示にいかにも似つかわしかった。円朝とか歌舞伎とか、おなじみのシーンに遭遇するのがやっぱり一番嬉しくて、『乳房榎』の十二社の場面、円朝が豊志賀の参考にしたという病んで醜くなった女の幽霊画とか、黙阿弥の『蔦紅葉』に出てくる按摩文弥の幽霊などなど、このあたりの諸々が大好きだなあとあらためて上機嫌だった。『乳房榎』の十二社の隣は河鍋暁斎の絵でこれも嬉しくて、江戸末期と明治のあれこれはいつもたまらないなあと思う。洲之内徹の文章にあった、五代目菊五郎が『加賀鳶』の死神をやる度に借り出して楽屋に飾っていたという水死人の幽霊の絵を実際に見られたのも嬉しかった。洲之内徹が「この日の唯一の収穫」というふうに書いていた、高橋由一の絵を一番じっくりと時間をかけて眺めた。説明の色紙には「洋画家の描いた大変珍しい幽霊」というようなことが書いてあって、うんうんと、その独特さがとてもよかった。

購入本

  • 雑誌「随筆サンケイ」昭和34年新年号

徳川夢声辰野隆林髞の鼎談集『随筆寄席』という本を、内田百間久保田万太郎がゲスト参加しているのを見てちょっと気が向いて買ってみたら、とても面白くて一気に大ファンになった。わりと最近に買った『随筆寄席』の第二集は、渡辺一夫の装幀が嬉しかった。と、その「随筆寄席」が毎回掲載されているのが「随筆サンケイ」で、音羽館の100円コーナーで2冊買って以来、一気にこの雑誌のファンにもなった。100円か200円で売っているとつい買ってしまって、毎回ずいぶん楽しくて、本当にもう安い娯楽だと思う。ひさしぶりに「随筆サンケイ」をめくってみると、「詩と菓子」という室生犀星のエッセイ、「鎌倉今昔」という有島生馬の文章と挿絵、「小唄のたのしみ」なる河盛好蔵の文章が特に嬉しかった。岡村夫二のカットがあったりと、古本屋で気まぐれになにがしかの古ぼけた安い随筆集を買って、「あ、この本、当たりだった」と機嫌よくペラペラめくっているのとまったく同じ気分で、そんな昭和30年代気分がいつも大好きだ。

落語メモ

毎年の夏休みのお楽しみ、さん喬と権太楼が交代でトリをつとめる鈴本の8月中席、「鈴本夏まつり」が今年もやってきた。と、毎年のおたのしみ、と言いつつ、わたしは今年で2度目、去年初めて訪れた「鈴本夏まつり」が稀にみるたのしい一夜で、とてもよい思い出となっていて、毎年足を運ぼうと決意したのだった。というわけで、「東京かわら版」8月号で日程表を目にした瞬間の嬉しさといったらなかった。と、日中の炎天下のふらふら歩きの疲れを癒すべく、夜は鈴本の椅子でのんびり。場内満席でいかにも夏休みだった。今年も稀にみるたのしい一夜、落語をたのしむ日常を持つことができる幸福をあらためてしみじみ味わった一夜となって、落語の愉しみをいろいろな方向から身体全体で再確認した感じ。はやくも来年の夏休みがたのしみ。

喬太郎さんの『夜の慣用句』では何度も大笑い、帰宅してからというもの、何度も思い出してはそのたびにおかしくてたまらない。去年9月に鈴本で市馬さんに開眼して、ぜひとも強化しようと思いつつ、11カ月目でやっと裏を返すことが出来た。『堪忍袋』は初めて聴いた話で、これまた何度も大笑い、大傑作だった。「堪忍袋」を縫うときの女房のしぐさが由利徹のギャグめいていたりも。全編すばらしくて、たいへん堪能。11カ月目で裏を返して、やっぱり市馬さんはすばらしい! と、しみじみ思った。今度こそ本気で強化せねば…。それから、ひさしぶりの歌武蔵関もよかった。胴体と足が別になって困りつつも屈託もなくシュールな状況を面白がって受け入れてゆく登場人物たちの鷹揚さがいかにも歌武蔵さんの語り口にぴったりで、それから歌武蔵さんを聞くたびにそこに登場する夫婦がいいなあといつも思う。先月に大銀座落語祭りで聴いた『あたま山』と同じようなシュールなお話、途中「ついてきて下さいね〜」と素になるところも同様で、おかしかった。市馬さんの『堪忍袋』の余韻にひたるべく、帰宅後の夜ふけ、『増補 落語辞典』をめくってみたら、『堪忍袋』の作者が益田太郎冠者と知って、二度大喜びだった。

と、中入り前ですでに大満喫だったけれども、本日の主役、さん喬と権太楼が登場したときの心の昂揚はやっぱりたまらないものがあって、寄席の踊りのときはうっとりだった。『三枚起請』は梅雨の頃、志ん朝ディスクでハマっていたので、あらためてさん喬さんでじっくり聴いて、しみじみとなった。3人の男のやりとり、そのキャラクターの違いがとても面白くて、酸いも甘いも噛み分けているようにみえつつも騙されてしまう棟梁にあらためてぐっとなった。若旦那が騙されていると知ってショックを受けつつも段々状況を面白がっているくだりも面白くて、花魁が登場して口も八丁手も八丁、バンバン甘いことを言っていくところもいかにも実感がこもっていて、聴いているこちらはそれがウソだとわかっているのに、ここまで言われたら信じてしまうのはもっともだなあと思ってくる。そんなことを思っているうちに、だんだん何がウソで何が真実だろうと、しみじみ感じ入ってしまった。なんだか、ウソだろうが真実だろうがだんだんどうでもよくなってくる感じがよかった。というような感覚を、さん喬さんの高座で初めて味わうことができた。

などと、ここまででさらに大満喫だったけれども、本日の圧巻はやっぱり権太楼さん。ああもう、うまく言えないのだけれども、とにかくすばらしかった。それぞれの男の描写、場面の切り替えが見事で、碁敵同士がやっと口を聞くことができた瞬間、客席もわっと一体感で、権太楼さんの話芸でもって聴き手も今までいかに噺のなかに入り込んでいたかがよくわかった瞬間だった。その客席の一体感は寄席ならではの感覚で、それがたまらなくて、権太楼さんはますます素晴らしいッと大感激だった。それぞれに楽しかった本日の寄席、トリでガツーンとなった。