雲助怪談噺

雨が降りしきる肌寒い日曜日、すっかり秋の長雨という風情だった。いよいよ今年の夏を締めくくるべく、待ってました! の鈴本の下席、雲助師匠の怪談噺特集に出かけた。去年はお盆休みに「鈴本夏まつり」に出かけて、下席では雲助さんの『佃祭り』を聴いて夏を締めくくっていて、よい思い出となっていたのだけれども、今年も同じように、お盆休みはいかにも夏休みの熱気あふれる寄席を満喫して、下席ではじっくりと雲助さんを堪能。2年連続で理想的な夏の寄席の時間、来年も8月は鈴本で同じようなひとときを過ごせればいいなと思う。

それにしても、すばらしかった。円朝ワールドにソクソクとひたった。雲助さんの高座全体に円朝独特の香気のようなものが満ち満ちていて、初めて円朝を読んだときの、明治25年初演のお露さんを描いた錦絵が表紙のちくま文庫の『怪談牡丹燈籠 怪談乳房榎』を手にして大感激したときの感覚が鮮明に甦ってきて、そうそう、この香気、「円朝」と聞いただけでそそられてしまうのはこの香気に惹かれるからなのだった、と、あらためて気づかされた感じ。『乳房榎』は「圓生百席」をよく聴いていてとても満喫していたけれども、雲助さんの高座を目の当たりにしてみると、今、雲助さんで円朝を聴ける幸せをヒシヒシと思った。『牡丹燈籠』を聴き損ねてしまったのは無念であった。

雲助さんの「重信殺し」は浪江の助太刀をさせられる正助の描写がとてもよくて、圓生だとちょいと愚鈍な正助が、雲助さんだともうちょっと凛としている。『四谷怪談』の宅悦みたいに物語全体を観客の立場で目撃するような側面もあって、雲助さんの正助描写でもって、『乳房榎』全体がひとつのストーリーとして鳥瞰的に見えてきた感覚で目が覚めるようだった。重信がちょろっと正助のことを酒席になると気が緩むのが悪い癖だというようなことを言う。浪江に酒を飲まされて成りゆきで、重信殺しを手伝うという運命となる正助、そんなちょっとしたところで人間の業みたいなものを感じた気がした。練馬の畑を耕していたり、これまでごくごくふつうに生活をしてきていた正助の思いもかけないところでの踏み外し。それから、天才絵師の重信は絵のことになると家族のことを顧みなくなるということを正助が浪江にちょろっと語るところで、『乳房榎』の悲劇のそもそもの発端は重信本人にあったのではないか、ということがツーンと突き刺さってきた。雲助さんの『乳房榎』のあちこちの細部描写が重なることで、『乳房榎』全体が円朝独特の香気とともに身にしみてきたのだった。

そして、圧巻はやっぱり落合の蛍狩りのところで、圓生みたいに唄をうたったりはしなくても、雲がかってきた夏の夜空と暗闇のなかで蛍があちこちで光り輝いているさまが凛とひとつの風景となっていて、そうそう、こういう描写、こういうのがたまらないんだよなあ、と落語の歓びであらためてジンジンとなって、雲助さんにぽーっと見とれてばかりいた約1時間はあっという間に終わってしまった。