三十石をさがせ、月曜日の夜の丸善

foujita2004-10-20


先日、近松半二の『伊賀越道中双六』を読んでいたら、「伏見の場」で三十石舟が登場していた。この夏に落語の『三十石』の風景になんとはなしに心惹かれてから、なにがしかに三十石が登場するとそのたびにほんわかと嬉しい。江戸から明治初期(?)にかけての関西風俗、淀川の三十石舟。そういえば、『双蝶々曲輪日記』の本文にもちょろっと「三十石」が出ていた記憶がある。今まで全然気にとめたことはなかったけれど、いちいち名を挙げるまでもなく、浄瑠璃や歌舞伎に結構ひんぱんに登場しているに違いない。今後ちょっと気をつけてみるとしよう。……というようなことを思っていたら、さっそく、並木正三作の歌舞伎に『三十石よふねの始』(さんじっこくよふねのはじまり、「よふね」は「舟+登」)というのがあるのを発見。廻り舞台が初めて使われたということで歌舞伎史にその名を刻んでいる作品とのことで、なにかの歌舞伎書をめくってみたらすぐに目にとまったのだった。三十石が登場する歌舞伎や浄瑠璃に遭遇するのが今後のたのしみだなあと思ったところで、その名もズバリ『三十石よふねの始』とは、嬉しいではないですかッ。とたんに心がスウィング。なにをそんなに喜んでいるのか自分でも謎だけど、なんだかとても嬉しかった。

「三十石よふねの始まり」、いいタイトルだ。これはぜひとも脚本を読みたいと探してみたところ、嬉しいことに、昭和10年講談社より発行の河竹繁俊編『評釈江戸文学叢書 歌舞伎名作集 上』に収録されていて、行きつけの京橋図書館に所蔵されていた。こんなに嬉しいことはない。この「評釈江戸文学叢書」は雪岱装だということを、さいたま文学館から取り寄せた小村雪岱資料で知って以来、どんな本だろうとそこはかとなく気になっていたので、喜び2倍だった。

台風のため、早く帰れることになって、わーいわーいと大雨もなんのその、予約していた「評釈江戸文学叢書」目当てに雨にも負けずに京橋図書館へ行った。無事に借り出しが済んで、「やれ〜、伏見〜、中書島な〜♪」と三十石の舟歌で頭のなかはいっぱい。いつものように、このままタリーズへ直行して読みふけりたいとも思ったけど、さすがにさっさと帰った方がよかろうと、すぐさま帰宅し、家事諸々を大急ぎで片付けて、図書館で借りてきた本を次々にめくって、最後は『歌舞伎名作集』。窓の外はザーザー大雨のなか、静かな部屋で分厚い本をめくって、ひさびさの満ち足りた静かな夜。ここに収録されている歌舞伎脚本は、同じ著者の『歌舞伎作者の研究』を彷彿とさせるような、歌舞伎作者の系譜に思いを馳せることができるような構成になっていて、どの脚本も全幕ではなく、丁寧な解説とともにサンプルとして一幕だけ収録という感じで、『三十石よふねのはじまり』は切場だけの収録であった。全部読みたかったのでちょっと残念ではあったが、この幕を見ただけでも、いかにも歌舞伎なストーリーがなかなか面白い。廻り舞台が登場する歴史的瞬間の切り場では、廻る廻るよ舞台は回ると、惜しげもなく舞台が廻りまくりでおかしかった。淀川の歴史みたいなのがちょっと気になった.今後、追々追及したい。雪岱装だとあまり実感できない装本だったけれども、見返しの模様はいかにも雪岱かなという気がした。


購入本

よいお天気の月曜日の日没後、いくぶん冷たい空気が気持ちよく、ちょっと歩きたい気分で、しばし界隈を散歩した。気が向いて、最後に東京駅のまん前に誕生した丸善本店に足を踏み入れた。ちょっと前に人と一度足を踏み入れたっきりでゆっくり見たのは今回が初めて。平日の夜の、いかにも落ち着いた店内がたいへん好ましかった。特に嬉しいのが洋書コーナーで、天井の高くて風格があって、往年のよき洋書店を思わせてくれるようなたたずまい。すっかりウェブ通販に頼りきりだけど、こうして風格あふれる洋書屋さんの棚を眺めるということもしていきたいなあと思う。機嫌がよくなり、思わずペーパーバックを3冊買ってしまった。それから、嬉しいのが文具コーナー。丸善特製の便箋やノートブックは十年来の愛用品。今日は、歌舞伎本用にノートを1冊購入。……などと、思いのほか、丸善で上機嫌になって、本を買ったあと、また上の階に戻って、併設のカフェでハヤシライスの匂いがかすかに漂う店内でコーヒーを飲んで、買ったばかりの本をめくって、のんびり。窓の外は東京駅から発車するオレンジ色の中央線が見えて、最後の最後までよい気分の、月曜日の夜の丸善だった。これから頻繁に買い物するかというと、答えに詰まるけれども、まあ、またたまに訪れるのをたのしみにしたい。

先日に吉朝さんの独演会でもらったチラシを見て行きたいと思った落語会のチケットを2枚引き取ったばかりというタイミングで訪れた丸善本店だった。落語本あたりの棚を眺めていたら、『笑わせて笑わせて桂枝雀』が平積みで置いてあったので感激。買ったばかりのチケットは2枚とも枝雀一門の噺家さんだったのでもともと気持ちが盛り上がっていたのとこの本を平積みで置いてくれているのが嬉しかったのとで、パッと買うことに。今月初め、歌舞伎座昼の部のあとで図書館で借りて読んだばかりの本。大感激だった本を入手できて嬉しい。枝雀というと、悲痛過ぎる最期を思って辛くなるばかりで、この本もなかなか読む気になれなかったのだったけれど、ひとたび読んでみると、実にすばらしい本だった。朝日新聞の記者として枝雀に接していた筆者によるこの本は、最後の方では枝雀一門の紹介があったりすることで、枝雀の痛ましい死を受け入れて、それを乗り越えて未来に向かっているという著者の視点がとてもよくて、読後のときは澄んだ気持ちになった。造本がひそかに凝ったつくりになっていて、パラパラ漫画で雀が飛んでいる。雀が飛ぶのを見ながら、これからマイペースに上方落語に接したいなあと思って、いつまでもよい気分。

と、『笑わせて笑わせて桂枝雀』を手にとったあと、文庫コーナーへ移動して、楽しみにしていた岩波の文庫を2冊買った。台風の水曜日に京橋図書館へ出かけたのは、新・読前読後(id:kanetaku:20041019)を拝見して、朝日新聞に『浄瑠璃素人講釈』の記事が出ているのを知って見に行った、という理由もあったのだった。『浄瑠璃素人講釈』の岩波文庫化は、まさしく新聞ダネの大事件だとわたしも思う。今年になって急に武智鉄二を読むようになって、浄瑠璃への関心が突然涌いてきたなかで、伝説の『浄瑠璃素人講釈』を岩波文庫というかたちで手にする運びになるとは、2004年とはいったいなんという年であろうか。

それにしても、『浄瑠璃素人講釈』が岩波文庫になるなんてびっくりだ。杉山茂丸本人も武智鉄二もびっくりしているに違いない。こうなったら、『浄瑠璃素人講釈』とバランスをとるべく、こっちが「風」なら歌舞伎は「型」、同じく実際に演じた人による本ということで、杉贋阿弥の『舞台観察手引草』も岩波文庫になるといいなと思う。歌舞伎では三木竹二岩波文庫になったばかりではないかという声もあるかもしれない。うーん、三木竹二とバランスをとるには、三宅周太郎の『文楽の研究』の岩波文庫化なんてどうだろう。などと、勝手なことを言っているが、とりあえず、岩波文庫は偉い。

以前は杉山茂丸のことはよく知らず、あとで『浄瑠璃素人講釈』の杉山其日庵と同一人物だと知って、さらにあとで夢野久作の父だったと知った。「天下の奇書」という言葉がぴったりの『浄瑠璃素人講釈』の著者、杉山茂丸とはいったい何者だ! と、めくるめく濃い世界に眩暈に似た感覚だった。と、わたしのなかでは、『浄瑠璃素人講釈』が一番先の知識としてあったのだけれども、『浄瑠璃素人講釈』という本の存在を知ったのは、何年か前に読んだ渡辺保著『昭和の名人 豊竹山城少掾』(新潮社、1993年)がきっかけだった。歌舞伎や文楽を見物するようになって、なんといっても楽しいのが、わたしの場合、実は芝居見物そのものではなくて、それに付随する本読みの方なのかもと思う。歌舞伎や文楽を知って、演劇書のたのしみを知った。その一貫で、『浄瑠璃素人講釈』がわたしのなかで伝説の本になったのだった。

しかし、浄瑠璃を読むときは本文を追うばかりで音遣いの方はさっぱりだし、そもそも『浄瑠璃素人講釈』の記述が身にしみるほどに深く浄瑠璃に接することが今後あるのだろうかと思うと、それはちょっとあやしいなあというのが実情で、とりあえず手元に置いておいて、『浄瑠璃素人講釈』のスゴさに震える境地になるのを夢見ることにしようと思っていた。が、ひとたびめくってみると、「まずこのはしがきを能く読まれたい」とゴシック体で書かれてあるので逆らうと怖いので、言うことを聞くことにして、まずはしがきを読んで、さっそくたまらない感じ。なによりも其日庵の筆致がおかしくて、本文もランランとめくることになって、相変わらず其日庵の筆致が面白過ぎる。ほかに言葉が見つからないけれども、なんだかキッチュだ。面白いエピソード満載で、浄瑠璃云々を抜きにして、挿話集としてもたいへん楽しい。「源平布引滝 松波検校琵琶の段」がいいなあ……。

と、なんだかよくわからないながらも、『浄瑠璃素人講釈』の刊行はとても嬉しく、わたしも id:kanetaku さんと同じように、鶴見俊輔夢野久作』(双葉文庫)を書棚から取り出して、杉山茂丸が深く関わっている森まゆみさんの『大正美人伝』(文春文庫)も読み返さねばと、杉山茂丸をとりまく日本の近代に何冊かの書物で追う、その絶好のきっかけになって、とにかく嬉しい。実は、夢野久作はまったくの未読なので、これを機にぜひと思っている。とりあえず『ドグラ・マグラ』を読むとするかな。『ドグラ・マグラ』といえば、桂枝雀の映画が猛烈に見たい。

それから、今は、下巻の内山美樹子さんの解説を読むのがとても待ち遠しい。そのあとで、浄瑠璃そのものへの姿勢を正したいと思っているのだけど、どうなることやら。