三越歌舞伎

一度は行ってみたいと思っていた三越歌舞伎! 歌舞伎座国立劇場と違うところで観劇するのはいつも思いのほかとてもたのしくて、絶好の気分転換になっている。と言いつつ、歌舞伎座以外での芝居見物というと、これまで、浅草歌舞伎を二度、平成中村座の『すし屋』、富十郎の『石切梶原』と三津五郎の『吉野山』目当てに都内のとあるホール、とほんの少しで、誘ってくれる人がいないと行かない、という出不精なのだった。なので、めったにない気分転換が嬉しい。そしていつも毎回たのしい観劇となっている。

戸板康二の『回想の戦中戦後』で詳しく語られている三越歌舞伎はいつ復活したのだろう。そもそも敗戦後の三越歌舞伎はいつまで続いていたのだろう。敗戦後の三越歌舞伎の頃の三越劇場と現在の劇場は内装はおなじなのだろうか。と、調べればすぐわかりそうなものを、今まで気になりつつもそれっきりだったので、これを機にちょいと調査するとしよう。戸板さんはたしか三越落語会とも関わっていて、落語会のあとは永代橋までよい気分で歩いて、そのあとバスに乗って帰途、とエッセイにいかにも心地よさそうに書いていたことを思い出す。いつも買い物が不発だったというのに、前々から日本橋三越に出かけるのが大好きで、ちょっとしたレトロ感にひたるのがたのしかった。なので、日本橋三越に行けるというだけでも嬉しい。さらに歌舞伎まで見られるなんて! と、なんだか大はしゃぎ。

と、まさしく物見遊山気分で出かけたのだったが、本館の日用品コーナー、新装開店の新館と、思いのほか買い物(と品定め)に熱中してしまって、日本橋三越でこんなに買い物がたのしかったのは初めて。弁天小僧が買い物ついでに芝居見物、というようなことを劇中で言っていたとおりに、芝居というよりは買い物がメインの一日になってしまったような気がする。

それでも、芝居見物はとても楽しくて、もともと劇場が小さいのとかなり前方の席だったのとで、歌舞伎座ではありえない至近距離がまずは素朴に嬉しかった。そして、歌舞伎座以外で見物する若手中心の歌舞伎を見たときにいつも感じる清々とした感触がよかった。亀治郎愛之助獅童の三人が中心になって形成される舞台、その三人がそれぞれにいいなと思った。

今回の一番の収穫は、与五郎と放駒の二役をかわる「角力場」を見られたこと。今まで二度見た「角力場」は両方とも濡髪が吉右衛門で放駒が富十郎で、もともとこの二人の共演の舞台が全歌舞伎のなかで一番好きということもあって、「角力場」はわたしのなかでカチッとこの二人で固まっていた。なので、愛之助が二役を変っている、それだけで「おっ」と新鮮で、与五郎と放駒を同じ役者がやるということが示す歌舞伎の役柄云々、がとても面白いなあと思った。愛之助が演じることでいかにも上方ムードがにじみでていてよかった。愛之助はあとの日本駄右衛門もなかなか堂に入っていてよかった。濡髪の獅童は立派なその姿が無機的で、それがかえって味わい深いものがあって面白いなと思った。舞台の獅童を初めて見たのは数年前の浅草歌舞伎で、何の役かは忘れたけど、顔が文楽人形みたい! と妙にツボだった(かしらは源太?)。あとの南郷力丸も前半の武士を装っているところがその無機的なところとよくハマッていて面白かった。その浅草歌舞伎以来に見る、亀治郎の弁天小僧は、数年前に見たときよりもさらに厚みが出ていて感慨深いものがあった。数年前の浅草歌舞伎でも亀治郎の弁天小僧が結構好きだった。

歌舞伎とは関係ないけど、何年か前に「週刊新潮」の名物コーナーの告知板で亀治郎が、池田弥三郎の著書を集めているがどうしてもこの本が見つからない、というような告知を出していたと、ある人から教えてもらったことがある。池田弥三郎とはシブイ! 戸板康二ファンとしては大注目、ワオ! と、以来、亀治郎に注目するようになった(と言っても特に何もせず)。なにがしかの媒体で、池田弥三郎道について詳しく語ってくれないかしらと思っているのだった。

一度は行ってみたかった三越歌舞伎! 二度目はあるかな。