神保町日記

明日からお休みなので機嫌よく早起き。身仕度の時間はポゴレリチハイドン。もうちょっと聴いていたかったけれども早々に外出して、喫茶店でコーヒーを飲んでのんびり。金曜日の朝は岩波の日本古典文学大系、ということで、「この鉢巻の御不審か」と『歌舞伎十八番集』をめくる予定でいたのだけれども、週末に感想を述べあうべく、今日はとあるミステリーを読まねばならぬのだった。10年ぶりの沢崎。前作はお能が登場し、今回は大河内伝次郎志ん生といった字面が登場したので、次回作はぜひとも歌舞伎が出ればいいなと思う。出ないだろうけれども。

帰りはイソイソと神保町へ。新年初めての神保町、心のなかで「御慶!」と急に上機嫌。岩波ブックセンターを見たあと、東京堂で本を見てあれこれ品定め、ちくま文庫の新刊に後ろ髪をひかれつつ後日のたのしみにとっておくことにして、講談社学術文庫の戸板さんは出ているかしらと三省堂に出かけてみたら、同じ神保町でも三省堂だけは一足早いのだった。東京堂に入るのを待つべきか一瞬迷いつつも買ってしまった。

購入本

  • 日本戯曲全集第4巻『歌舞伎篇第4集 並木正三篇』(春陽堂、昭和4年)

矢口書店の軒下にて。年末に入手した「歌舞伎 研究と批評」のバックナンバーに並木正三特集があり、ちょっと興味を覚えて購入。日頃のたのしみ、全集の安い端本買いは円本にまで及ぶこととなった。戸板康二の『歌舞伎の話』の「その脚本」は《歌舞伎の脚本則ち上演台本は、近年でこそ「日本戯曲全集」初め多くの活字本が刊行されましたから、誰でも自由に読むことが出来、それだけに有難味が忘れられていますが、元来これは、この社会以外の者には、容易に読めなかったものでした。》という書き出しになっていて、大正4年の久保田万太郎らによる「三田文学」の「世話狂言の研究」の際には黙阿弥の河竹家まで本を借りに行ったのだという。『歌舞伎文化の諸相』で、明治の演劇雑誌「歌舞伎新報」での筋書掲載が、従来は門外不出だった歌舞伎台本の正本の活字化が行われる契機になった、とあった。「日本戯曲全集」は在野の渥美清太郎の仕事というわけで、岩波の旧大系の『歌舞伎脚本集』の月報の官学の守随憲治の文章のことを思い出したりも。などなど、歌舞伎と書物との関連のようなものが面白いなあと思っているのだった。だから何だという感じではあるけれども。

  • 高橋英夫『濃密な夜 私の音楽生活 1970-1991』(小沢書店、1991年)

講談社文芸文庫の著書一覧で存在を知って以来、ずっと欲しいと思っていた本。八木書店の軒下の小沢書店本が何冊か並んでいるところで発見して以来、ずっと狙っていた本をやっと買うことができた。『小林秀雄』『河上徹太郎』『疾走するモーツァルト』以外の高橋英夫さんの音楽論を集成しているとのことで、大事に読んでいくとしよう。

とりあえずは表紙のルビが正しく「toita yasuji」になっているので安心。表紙は隈取り折口信夫『日本芸能史六講』、興津要『落語』と同シリーズというわけで、こうして文庫本になっているみると、ある時代の歌舞伎書、という感じで、きちっとひとつの「古典」いう体裁を帯びているのだった。この文庫化を前にして、このところ『歌舞伎の話』をあらためてじっくりと熟読していたのだったが、あらためて読んでみると、この本の書かれた昭和25年という時代が色濃く反映しているということにしみじみ感じ入ってしまうものがあった。現在読んでみると、当時の歌舞伎をとりまく状況についての一資料、という感じもする。「その芸術性」のところで歌舞伎は「芸」であって「芸術」ではないけれども、あえて芸術論の立場に立つとしたらどうみたらいいのかと注意深くことわっていたりもする。

六代目菊五郎が死んだ翌年に書かれた本で、《宗五郎のような役で「人間」を表現し、而もそれが歌舞伎の規矩にもかなっている渾然とした演技》は六代目で終わるのではないかと書いていたり、「型」の背後のものを過去の俳優の持っていた役に対する理念として、「その芸術性」の締めの「観客によって容認される範囲を極限まで広げようとする代々の俳優の個性の集積が今日文化財として残っている歌舞伎の芸術」ということを、各章でいろいろな観点から述べている。昭和25年の「近代人」としての歌舞伎を語る若き戸板康二の精神のありようについてもっと考えたいと思った。