丸善ショッピング

foujita2005-01-28


神保町へ寄り道しようと思っていたけれども出るのがすっかり遅くなってしまった。せめて丸善へ出ててみんと東京駅の真ん前を歩いた。洋書売場、絵本の階からめぐって、ひとつ下の文庫コーナーで本日のお目当てを手にとったあと、ここ一週間というものまだかしらまだかしらと、入荷を待ち望んでいた本にやっと対面することができた。どんな本になっているかが気になっていただけなのだけれども、いざ現物を見るといてもたってもいられず購入決意。そんなこんなで閉店の時間。そんなに頻繁には足を踏み入れていないものの、丸善はいつも丸善ならではのたのしさがあって、たまにのんびりと店内をめぐってみるだけでいつもなんだか急に満ち足りた時間になる。今日はめぐるだけではなくて、よい本を買うことができたので、よろこびもひとしお。よい気分で家路についた。

今朝、いつものように食卓でしばしぼんやりしていたら、朝食のときいつも流している NHK ラジオに、東京ステーションギャラリーで来月から催される《無言館発 遺された絵画展》の紹介と合わせて、「無言館」館長の窪島誠一郎さんが登場していて、ハッと耳をそばだてた。新・読前読後(id:katetaku:20040623)を拝見して以来、ずっと気になっていた(と言いつつ数カ月が経過)、平凡社ライブラリー野見山暁治さんの本のことを思い出した。今日の窪島誠一郎さんのお話はなにかを声高に言うのではなくて淡々としていて、とてもよかったのだった。グッとなった、というよりも、心にかすかな余韻がただよったというか。今日の窪島さんのお話を心にしまっておいたあとで、野見山さんの本を読んで、展覧会へ出かける、この流れに沿ってみたい、というような気になって、日中は野見山さんの本のことばかり考えて、帰りは神保町へ買いに行こうかなと思っていたのが、丸善で買うことになった。

地下室の古書展で買った EDI の多川精一著『太田英茂』の余韻が鮮明なうちにと、平凡社ライブラリーつながりということで、念願だった『戦争のグラフィズム』を一緒に手にとった。いよいよだとフツフツと嬉しい。戦時中の対外宣伝誌「FRONT」にまつわるあれこれ、岡田桑三、原弘、林達夫木村伊兵衛などなど、スゴい顔ぶれの東方社の人々のことに興奮したのは山口昌男の本がきっかけだった。その山口昌男が『戦争のグラフィズム』の解説を書いている。山口昌男の本を読んで以来、岡田桑三(映画俳優では「山内光」)の姿をぜひともスクリーンで見たいと思っているのだったが、いまだ果されていない。平凡社からは川崎賢子原田健一著『岡田桑三 映像の世紀』(2002年)という本が出ているので、これもぜひとも読みたい。そのまえにやはり平凡社から出ている「FRONT」の復刻版を図書館で眺めたいものだ。


と、目当ての2冊を手にとったあとは、そのフロアをしばし放浪、最後にたどりついた演劇書コーナーで、このところ気になっていた本に対面。

表紙の絵はなんだろうと思ったら、著者所蔵の《小山内薫像》、「masashi 1927」とサインがあるが作者未詳、とのこと。亡くなる1年前の絵ということになる。なんとなくこの頃の時代を感じさせてくれて、そこはかとなくいい感じ。小山内薫というと新劇史の人ということになるのだろうが、小山内薫周辺の諸々がいかにも「日本の近代」という感じでとても面白い。小山内薫からいろいろとつながる。

長らく東大の図書館の司書をしていて、児童文学の書き手として活躍しているという著者は小山内薫の次男の小山内宏の夫人で、義母にあたる小山内薫の夫人・登女子と長らく生活をともにしていたので、小山内薫の影が色濃い環境にあった。そんな著者による小山内薫の評伝で、参考文献一覧や人名索引も用意されている。なんというか、いざ目の当たりにすると、買わずにはいられない文献なのだった。ぜひとも岩波文庫になって欲しい名著、岡田八千代『若き日の小山内薫』のことを思い出したりも。

ちなみに、小山内薫の文章そのものは、歌舞伎に関する文章はえらく垢抜けがしていて魅了されずにはいられないのだけれども、よく紹介される自伝小説『大川端』はいざ読んでみると、何度もちゃぶ台をひっくり返したくなる感じだった。柴田宵曲川本三郎さんも好意的に紹介していた「東京小説」なのに…。なぜこんなにも肌が合わなかったのだろうと自分でも謎だった。小説のつまらなさ具合が水上瀧太郎のそれによく似ている気がして、たいへん興味深かったのではあるけれども。