文楽見物

雨は今にも降りそうだけどまだ降っていない。6時開演の文楽見物に向けてお濠端をズンズンと競歩。このところ鴨を横目にお濠端を歩くのがたのしい。プカプカ浮かぶ鴨とたまに登場の白鳥を眺めてると日常の雑事を忘れ、すさんだ心がなんとなく穏やかになってくるのが嬉しい(でもすぐすさむ)。というような歓びにひたっているうちに三宅坂にさしかかり、国立劇場に到着、劇場の椅子にたどりついたのと開演とがほぼ同時であった。

芝居見物

そんなこんなで文楽見物なのだったが、まずは書き損ねていた日曜日見物のことを。

  • 二月文楽公演『源平布引滝』『団子売』/ 国立小劇場・第一部(2月13日)
  • 二月文楽公演『伊賀越道中双六』『嫗山姥』/ 国立小劇場・第二部(2月13日)

今回の文楽公演は演目を見ただけでワクワク。去年の歌舞伎見物で仁左衛門の『実盛物語』と鴈治郎の『沼津』の印象が強かったあと、ほどなくして人形浄瑠璃で見直すという展開となり、『嫗山姥』は12月の歌舞伎座福助をとても見たいと思ったものの行き損ねた、そのあとで近松の本文を満喫していたので、第一部と第二部は、去年下半期の歌舞伎の自分内総まとめをできるかなと、まずはそんなところにワクワクの所以があった。『源平布引滝』は何年か前に同じ場面を文楽で見たことがあって、えらく面白いなあと感激だったのをよく覚えている。残りは文楽では初めての見物。今月の文楽公演は三部とも、こういうのをぜひとも文楽で見たいものだと日頃から思っていたような「王道」といった感じのラインナップだと思った。

で、実際に見てみると、なんとなくいろいろ考えさせられて、ワクワクしてばかりはいられないのだった。文楽を初めて見たのは歌舞伎を定期的に見るようになってから半年後、1999年2月の近松の『鑓の権三』。なんだかとてもよかったので、次の5月は勇気を出して『妹背山』を通しで1日中劇場でこもって見物して、ここで文楽に夢中、以来ずっと歌舞伎よりも文楽の方が好きなくらいだった。しかし、このところは、見物がちょっとおろそかだったかも。文楽を見始めたころは、目に映るものすべてが新鮮で眩しくてしかたがなかったけれども、徐々に見物を重ねることで、その真新しさがなくなってくるのはいかんともしがたく、もうちょっと深みをもって見物できるほど、芸のよしあしというものがわたしにはよくわからないというのがいかにも残念なのだった。振り返ってみると、わが文楽見物の興奮のピークは『菅原』と『本朝廿四孝』の通し見物のときだった。わたしが文楽に求めるものは、ひとえにも「通し上演」なのだということをヒシヒシと実感した今月だった。なにかワクワクするような通し上演がまたあるといいなと思う。……と言いつつ、5月も未見の演目(『近江源氏先陣館』『伽羅先代萩』『伽羅先代萩』)が3つも並んでいるのでたのしみ。

と、どうでもいいモヤモヤを書き連ねてしまいつつも、第一部、第二部とも要所要所で面白かった。二度目の見物の『源平布引滝』は、まずは歌舞伎との比較という点でとても興味深く、その物語のところがじんわーりと面白かった。帰宅後、『四代越路大夫の表現』(ISBN:4473019039)を繰ってみると、再びしみじみ面白く、義太夫の音源をじっくりと聴いてみたいものだと思う。歌舞伎だといつも左團次の印象で固まっていた瀬尾の存在が実盛と対になりような、わりかしかっこよくも見えてきたのが面白かった。思えば、彼はこの舞台で、実盛が陽なら陰というふうに、かなり大きな位置を占めている人物、それになんといっても小まんの実父である。文楽で初めて見たときは、小まんがあんまり強いので大喜びだった。文字通りに死んでも白旗を離さない小まん。実父が瀬尾で、育ての両親があの老夫婦だと、ああいう女となり、その息子はああいうふうになるのだなあという一貫性のある「家族の肖像」というものがいつもいいなと思う。

今月の目玉は、やはり住大夫が語り通す『沼津』。『沼津』は去年秋の鴈治郎が記憶に新しく、一緒に読んだ近松半二の浄瑠璃を堪能していた。それを豪華な顔合せで見ることになろうとはなんと嬉しいことだろう。本文自体は『岡崎』の方により震えていたので、ぜひともいつか見たいものだけれども。『沼津』は十兵衛が玉男でお米が蓑助という組み合わせ、住大夫の語りが合わさることで、ほっこりと揺るぎのない一つの小宇宙。浄瑠璃読みの記憶にメンメンとひたった。とりわけ歌舞伎とは違う十兵衛の描写を堪能、自分の実の親と妹と気づいて、なんとかこの親子を助けたい、この親子が気がねなく受け入れてくれるにはどうすればよいのだろうと、お米に結婚を申し込むまでの動きや、お米が盗みを働いたあとで急いで帰り支度をするところなど、なにかとグッとなった。娘は美貌のお米、きっと器量よし一家なのだろう、十兵衛もかっこいい男に違いないと、そんなかっこよさも伝わってくる。かっこいいだけではなく、養子に出されてからも彼は己の才覚でスクスクと出世しているという人望あふれる賢い男なのだ。この一家は、お母さんが亡くなって、兄は養子に出され、娘は遊女になるという、いったいどんな不幸がこの一家を襲ったのだろう(本文になにか書いてあったのかもしれないけれども忘れた)。あげくの果てに敵討ちに巻き込まれているこの一家。そんな不幸のなかで生きてきた平作という老人にはいつもしみじみ感じ入ってしまう。彼は貧乏だけどなかなか洒落もので軽やかに生きつつ、とても賢く、同じ自害するにも権太とはちと違う。実の息子と敵同士と気づいたあと、このギリギリの状況下で兄妹にとってもっとも最良の方法をすぐさま思いついて実行して成功する。……というところにいたるラストシーンで、いままでの顛末を思って不覚にも涙目に。浄瑠璃の本文の記憶にメンメンとひたり、なんとも密度の濃い一時間だった。

『沼津』は始まってさっそく、住大夫の「東路にここも名高きー」の「きー」のところがしばらく続いて微妙に変化していって、たちまち空間が東海道五十三次になってくるというところがしみじみ面白かった。始まってさっそく劇場が小宇宙と化すという、この「名高きー」がいたく心に残ったので、帰宅後、岩波の旧大系の『文楽浄瑠璃集』の註釈を参照したところ、ここはズバリ「産字(ウミ字)」というもので、「いったん息をのばして引き延ばす箇所、東海道五十三次にちなんで53回変化する三味線の音に従う。東海道五十三次を聞かせるところ」とあった。なるほどなあとしみじみ面白い。なにはともあれ、「ウミ字」ということを心に刻んだので、『沼津』の他の産字を探してみたら、

    • お米のクドキの「我が身の瀬川に身を投げてとー」
    • 平作が十兵衛に場所を教えてくれと頼む「旦那様とー」の高い音で長く引くところ
    • クライマックスの「親子一世の逢初めの逢納めー」の、自害した平作の身体を十兵衛が自分の方へ向けて抱え込んで絃に乗って名残を惜しむところ
    • 最後の最後「見捨て……」では産字の間を拾った析と同時に十兵衛は笠で顔を隠す

といったところをひとまず発見。「産字」はとりわけ印象的な箇所で使われているということがよくわかる。ああ、なんて面白いのだろうと大感激だった。こういうことは浄瑠璃の本文を読んだだけではわからない。浄瑠璃というのは読むものではなくて聴くものだ、聴いて初めて立体化するものだという、しごく当たり前なことがなんだかフツフツと嬉しかった。

山城少掾の『沼津』を聴きたいと切に思った。第一部と第二部の一番の感想は、浄瑠璃を読むだけではなくてもっと聴きたいという気持ちになったこと。大収穫だったかも。ますます浄瑠璃に入り込むきっかけになるとしたらたいへん嬉しいけれども、とにかくも、今月の『沼津』を聴けたことをはとても幸福なことだった。

  • 二月文楽公演『壇浦兜軍記』『卅三間堂棟由来』/ 国立小劇場・第三部

『阿古屋』は2000年1月の歌舞伎座玉三郎が今でも鮮烈な記憶で(その次の阿古屋は見逃した)、思えば2000年の初芝居は新橋演舞場新之助の『助六』を初日で見て、次の日は歌舞伎座で『阿古屋』であった。あのときは楽しかったなあと遠い目になってしまうのだった。なんて、すぐに追憶モードになってしまうのがわたしの悪い癖であるのだが、『阿古屋』は文楽でぜひとも見てみたい演目の筆頭にあったので、『沼津』と同じくらい楽しみにしていたのだけれども、大急ぎで劇場にたどりついた直後に見たせいなのかなんなのか、寝るまではいかなかったけれども、あんまりたのしめず無念。岩永と重忠の描写は面白かったのだけれども。うーん、語りが好みではなかったのかな。うーん。

ところが、まったく期待していなかった『卅三間堂棟由来』がことのほか、たいへん面白かった。歌舞伎でも文楽でも未見で、事前にストーリーも把握していなかったという、無心で見たのがよかったのかもと思う。あきらかに『葛の葉』を踏まえている、その渋めの舞台がよかった。木の精という、緑色の着物のその色彩が美しく、ハラハラと散ってくる木の葉も美しかった。老母がなぶり殺されるところでは、そこまでしなくてもというような、責め苦のような残虐美があって、中将姫のことを思い出したりも。全編を通して、義太夫の調子もなかなか好みで、文楽に求める陰影のようなものが香気になっている、といった舞台だった気がする。こういう無心で舞台で見る、ということがもっと必要なのかもとも思った。