週末展覧会日記:アール・デコと柳宗悦

この週末は行楽日和で愉快だった。

土曜日。お昼ご飯のあと電車に乗って上野へ。前々から今日はラ・トゥール展を見るのだと張り切っていたのだけれども、昼間から御馳走だったのでちょっとけだるい、ラ・トゥール展はもうちょっと違う体調のときに見たい気がする。で、アール・デコ展の方を突発的に見物することになった。などと、突発的に見物したわりには、思っていた以上に満喫した展覧会となった。

よいお天気なので気分よく神田方面へと散歩、ズンズンと歩いていくと、秋葉原界隈だけがえらい大騒ぎ。一刻も早くここを通り抜けたいと、そのまま直進してたどりついた万惣フルーツパーラーでしばし休息。フルーツサラダの数少ない具を少しずつ口に入れてあっという間にすべてが消えたあと、「芸術新潮」のラ・トゥール特集(2005年3月号)を繰った。「芸術新潮」はいつも払い下げで読んでいる。来るべきラ・トゥール見物に備えるとしようとページを繰って嬉しい。

と、さらにどんどんページを繰ってゆくと、橋本治の「ひらがな日本美術史」の今月のお題が「『アール・デコ』なもの」なので、あまりのタイミングのよさに大喜びだった。しかも、大河内伝次郎主演の伊藤大輔丹下左膳』の映画ポスターがデーン! と大きく載っていて、琴線が刺激されまくり。映画ポスターの活字の書体についていろいろ書いてあったあと、『モダニズム出版社の光芒』(ISBN:4473017540)のことがちょろっと登場したりする。『モダニズム出版社の光芒』、今まで何度も図書館で借り出しているけれども、いまだに入手していない、早く入手したいものだ。と思いつつ、ざっと走り読みを続けると、1925年のパリのデザイン博の十日後の、大正15年1月10日の日本での出来事のことで、橋本治の文章が締めくくられていた。ここに、柳宗悦が日本民芸館設立にあたって書いた文章が抜き書きされている。

明日は埼玉県立近代美術館柳宗悦の展覧会を見に行こうと思っていたところだったので、またまた、あまりのタイミングのよさにびっくりだった。アール・デコ展の翌日だなんて、いうことなし。橋本治の文章を見たあとに出かけることができて、よかった。

普通「民藝運動」や「用の美」の柳宗悦を、アール・デコと同列には語らない。しかし、この二つは「大量生産の美なし」でいいのかという点で、共通しているのである。ただ、日本人の柳宗悦は、その美しさを「素材そのものから発するもの」と考えているから、そこが「必要な装飾を創る」とするアール・デコとは違うのである。「それだけである」と言ったら怒られるかもしれない。しかし、『丹下左膳』や『天下太平記』や『乱軍』のポスターにある字を見つめていると、私には、その向こうにある「日本の書の歴史」が感じられるのである。その「歴史」という素材が、こういうものを生み出したと考えれば、キネマ文字は「都市の民藝」でもあっていいと思えるのである。日本人にとって、ヨーロッパで生まれたアール・デコという「思想」は、前近代の後に登場した、近代という時代の「都市の民藝」であってもよかったはずのものではないか、と。(橋本治「『アール・デコ』なもの―キネマ文字」より/「芸術新潮」2005年3月号)


全然関係ないけど、大河内伝次郎というと、京都の大河内山荘のことを思い出す。大昔、中学生のころに一度、訪れたことがある。床几に腰掛けて木々を愛でながらいただいたお抹茶と桜餅のおいしさといったらなかった。ということを突然思い出して、急に大河内山荘のことで頭はいっぱい。いてもたってもいられず、帰宅後に検索してみると(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/niwa/38.html)、ますます、いてもたってもいられない! 大河内山荘へ行く、というのを、わが2005年の抱負としたい。


そして、日曜日。電車にのって、北浦和へ。埼玉県立近代美術館は3年前に小村雪岱の展示を目当てに訪れたのが初めてだったけれども、さっそくお気に入りの美術館となった。たまに出かける機会があると、そのたびに嬉しい。公園の敷地内にあるという立地がとてもいいので、張り切ってお弁当をこしらえて、木蔭でお昼ご飯のあと、のんびりと館内をめぐった。

展覧会メモ