文化生活一週間 #06

foujita2006-02-12

今週のおぼえ帳

  • 週末展覧会めぐり

土曜日。タダ券入手に成功したので、と母を誘って軽い気持ちで出かけたのだったけど、なかなかよかった。パウル・クレー・センターなるものがベルンに開館したのを記念しての展示とのことで、同センターのエッセンスをコンパクトにまとめたという体裁。時折クレー自身の言葉を挿入しつつ画家の生涯を時系列にたどり、同時代のことにも言及、バウハウスのくだりではいつも胸躍る。副題の「線と色彩」ということに思いを馳せること度々で、絵を見るということの愉しみをしみじみと思って、いい気分だった。初めて見た作品がほとんどでクレーの画家としての魅力を新鮮な気持ちで感じることができた。ごく初期の日常生活の周辺を描いたなんということのなさそうな線描からしてとっても素敵だった。クレーというと、えてして色とか構成ばかりに目がいってしまうけど、ごくふつうの線描がまずは魅力たっぷり。その線描の研鑽を積んだあとで、ヴォルテールの風刺小説『ガンディード』の挿絵の連作を描いていて、これがとても好きだった。1920年刊行のドイツ語版の書物をあとでウィンドウ越しに見ることができて、思わず物欲が刺激される。光とかフォルム、色の重ね塗りに際して、トナリティとかポリフォニーといった音楽用語が頻出されているところが音楽好きとしては嬉しいかぎりでモクモクと刺激たっぷり。もっといろいろと絵を見たくなってくる嬉しい展覧会だった。

右上の画像は、1929年作の《葉》。ポストカードはあと1枚、子供を描いた水彩画を購入。紙の質感と線と色の組み合わせがどれもこれも絶妙で印刷ではどうしてもその感じが出ないのはいたしかたない。講談社刊行の『クレーART BOX』(ISBN:4062132761)が今回の展覧会の図録となっているので、図書館で借りてみようと思った。

展覧会のあとは、日本橋。ポカポカとあたたかくて絶好のお散歩日和。祝日ということを忘れていて、お目当てが軒並み休業でしょんぼりだった。12月に京都で買ったのがもうすぐ切れそうなのを思い出し、山本山焙じ茶を買った。日本橋のあとは山手線にのって目白へチョコレートを買いにゆく。

日曜日は浦和ピクニック。京浜東北線にのって、まずは北浦和へ。埼玉県立近代美術館では毎年、この季節に常設展示の片隅で小規模ながら、雪岱の特集が組まれていて、毎年たのしみに出かけて今回で4回目。去年は舞台装置で、今年は挿絵の原画。都新聞連載の林房雄西郷隆盛』が雪岱の最後の仕事になったのだそうで、その『西郷隆盛』とおなじみ邦枝完二『おせん』の原画を中心に、実際の誌面とスライドとを合わせた展示。コンパクトにまとまっているという感じで、もうちょっと見たいという欲はあれども、いつもながらに嬉しい展示だった。去年の東京ステーションギャラリー佐野繁次郎(「サノシゲ」なる略語許さぬ)みたいに、小村雪岱もいつか大規模な回顧展が催されればよいなと強く願う。雪岱はさすがにプロの挿絵画家として印刷(の限界)を考えて最大限美しく映えるような絵を描いているなあと余白の効果とかデザイン性にいつも感嘆するのだけど、それでも実際の原画を見ると、印刷では思いもつかない美しさでため息ものなのだった。

3年前に雪岱目当てに訪れたのが最初の埼玉近代美術館はほかの展示もなかなか感じがよくて好きな美術館。常設展は200円でたしかな満足、といつも雪岱以外もたのしみにしている。今回は花を描いた絵の特集で熊谷守一の作品が2点見られたのが嬉しくて、しばし眺めた。具象と抽象の境界にあるような瑛九の《花》を見て、昨日のクレーのことを思い出して、絵画を見ることのたのしさを感じて嬉しかった。

北浦和からテクテクと歩いて、予定通りにうらわ美術館へ。さあ、たのしみにしていた《挿絵本のたのしみ−近代西洋の彩り》展を見るといたしましょう、という予定でいたのだけど、シンシンと寒いなかを歩いて、つくづくくたびれてしまった。無料展示の《装幀と挿絵》展だけを見ることにする。ああ、こんなはずでは…。先にうらわ美術館に行くべきだったかな。今後の教訓としたい。浦和駅に向かう途中、喫茶店でひとやすみ。通りがかりの感じのよい喫茶店は、美術館行きのいつものおたのしみ。

長年見たいと思いつつも何度も見逃していた映画をやっと見ることができた。やれ嬉しやと、見られればそれで満足、という感じだったけど、いざ見てみると長谷川一夫古川ロッパ云々よりも、水野出羽守の丸山定夫が実にすばらしくてホクホクだった。戸板康二が『演劇五十年』という本で、《おもえば、この永い戦争は、友田恭助の死によりその初めを、丸山定夫の死によりそのおわりを、かなしくいろどられた。》というふうに書いていたっけ。新劇史の人々を思って、しんみり。合掌。