朝は加藤郁乎『市井風流』、夜は渡辺保『名女形・雀右衛門』に翻弄。

シンと静まりかえる朝のスターバックスにて、まずは絲山秋子の『沖で待つ』を読む。1篇目の『勤労感謝の日』は1日の、そして『沖で待つ』では数年の歳月の、それぞれの絲山秋子による時間の経過描写がとってもいいなあと、あっという間に読んでしまいつつも、しみじみ堪能なのだった。と、ここでいったん、カフェミストを半分飲んでひと休み。

次はおもむろに、加藤郁乎著『俳林随筆 市井風流』を取り出す。小林栄子の『露伴清談』に言及した一文があると知り(参照:http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0221460/top.html)、手まわしよく図書館で調達したのであったが、いざ繰ってみると、うーむ、これは見事なまでにストライクゾーンな本であった。今年に入って夢中になった広瀬千香に関する文章があったり、表題の「市井風流」は久保田万太郎を機に数年来気になっている増田龍雨についての一文、ここでは鎌倉へ小三治を聴きに出かけた折に購った吉井勇の『東京・京都・大阪』のことを盛り込んであったりする。柴田宵曲のことがたくさん書いてあったりもする。ともかくも、芝居と本読みの歳月のなかで、自分のなかで本格的に取り組みたいなと思っていることのヒントになるようなことが、この本全体に通底している。加藤郁乎の『市井風流』のことは今回初めて知った。古書展でふらりと手にした『露伴清談』の導きなのだから、かえすがえすも古書展には行くものだと思った。

日没後、今日もマロニエ通りをズンズンと歩いて京橋図書館へ。待っている人が大勢だからと絲山秋子を早々に返却したあと、前々から気になっていたみすず書房大人の本棚》の加藤郁乎・飯島耕一著『江戸俳諧にしひがし』を無事に借り、本日の目的を果たす。銀座に戻って、こうしてはいられないと教文館でさっそく、加藤郁乎著『俳林随筆 市井風流』を購入。図書館で借りた本を繰ったその日のうちに購入するなんて、はじめてかも。勢いにのって、前々から気にしつつも未入手だった加藤郁乎編『吉田一穂詩集』(岩波文庫)を買うことにする。同じく前々から気にしつつも未入手の『嬉遊笑覧』(全5巻のうち4冊既刊)はお金がないので今日のところはあきらめる。

夜、あとはもう寝るだけというひととき、ウィスキー入り紅茶を飲みながら、渡辺保『名女形雀右衛門』をほんの気まぐれで繰ってみる。刊行まなしに本屋で見かけて「おっ」と思いつつもべつにいいやとあまり気にはとめることなく日々が過ぎたところで、今日図書館でふらりと見かけて、ついでに借りるとするかなと調達した本であったが、いざ繰ってみると、うーむ、実にすばらしい。というか、いつもながらに読みものとして呪縛度が高い。渡辺保の見た雀右衛門の役を1篇ずつそんなに長くない文章として二十数篇読むこととなる。それがパラパラと万華鏡のよう。そこに再現されている雀右衛門の姿とそれを再現している劇場の椅子の渡辺保の姿を、自分が見てきた雀右衛門の姿を頭のなかで思い浮かべながら読んでいく時間がなんとも甘美なのだった。この本は書き下ろしで、この本を書く決心をしたときどうしても書きたかったのが濡衣だったという。この本に書かれているのは、ここ15年間の雀右衛門の姿で、梅幸歌右衛門亡きあとの歌舞伎が描かれているということであり、それはわたし自身の見てきた歌舞伎でもあるわけだ。勘三郎仁左衛門歌右衛門の本を「渡辺保の昭和歌舞伎三部作」と勝手に呼んでいたけど、渡辺保の平成歌舞伎シリーズというのもこれから次々と読んでいけたら、どんなにいいだろうと思う。……とかなんとか、歌舞伎に対してはいたってクールである(つもりの)わたくしとしたことが思わず燃えてしまい、ページを繰る指がとまらず、宵っ張り。パタンと本を閉じて、まっさきに目に浮かぶ雀右衛門の姿は、ハラハラとゆらめくお染の袖、であった。

とかなんとか、立て続けに、図書館で借りた本に翻弄されてしまった。