『ぼくの早稲田時代』を読み、あらためて編集工房ノアに心ときめく。

朝の喫茶店川崎彰彦『ぼくの早稲田時代』を読了。昼、コーヒーショップで『ぼくの早稲田時代』を眺める。挟み込んである栞をあらためてじっくりと読み返したあと、『デイヴィッド・コパフィールド』第3巻を読む。


ぼくの早稲田時代


あとがきで川崎彰彦は、『ぼくの早稲田時代』について「饒舌体の長談義小説」という言葉を使い、《この作品の細部に重きを置こうとした語りにはどこか、私もその一員である五十年代の東京の学生のお喋りと雰囲気に似た雰囲気が漂っているかもしれない。》というふうに書いている。うんうん、まさしくその通りで、ズンズンと一気読みしているとちょっと冗長かなあとたまにだれてくるときもあるのだけど、そういうところがますます、五十年代の東京の学生のおしゃべりの雰囲気! なのだった。カバーの写真はほぼ同時代の早稲田の白黒写真で、カバーをはずすと50年代の白黒写真。本全体のつくりがすばらしい。川崎彰彦の短篇集、『夜がらすの記』(1984年)に夢中になって、その直後に『ぼくの早稲田時代』を手にしたという流れがうれしかった。

『ぼくの早稲田時代』の栞には『夜がらすの記』の版元、編集工房ノアの涸沢純平の文章が用意されているというのも心憎いばかり。『夜がらすの記』のことを初めて知ったのは、「Bookish」の山田稔特集に掲載の三輪正道の文章がきっかけだった。山田稔を愛読する日々があり、三輪正道を知り、川崎彰彦を知り…、という一連の円環。三輪正道が初めて買った山田稔の著著は『影とささやき』(編集工房ノア、1985年)とのことで、1年前に出た川崎彰彦の『夜がらすの記』を読んで、この版元に興味を持ったのがそもそものきっかけだったという。もう一冊、三輪正道が言及している山田稔の著書、『生の傾き』と『影とささやき』を今度、アクセスで買おうと思う。