『曖昧の七つの型』を買い、バッハを聴きつつ福原麟太郎を読み返す。

昼、本屋へゆく。今日も演劇出版社の今月の新刊(のはずの)、権藤芳一『増補版 近代歌舞伎劇評家論』は発見ならず、しみじみくたびれた。気を取りなおして、文庫本の偵察をしようと、イソイソと文庫コーナーへ移動。岩波文庫の新刊の、ウィリアム・エンプソン/岩崎宗治訳『曖昧の七つの型』の下巻を手に取り、上巻と一緒に買って、コーヒーショップへ移動して、ひとやすみ。『曖昧の七つの型』をペラペラと眺めて、とても読みこなせそうにないものの、持っているだけで嬉しいなアと惚れ惚れとなる。もとは数学専攻だったひとならではの著書。

エンプソンの名前は福原麟太郎の文章で見て以来、気になっていたのだった。帰宅後、部屋の本棚の福原麟太郎をあれこれ取り出して、ペラペラと繰っているうちに寝る時間になる。今日もバッハの《音楽のささげもの》を聴く。

ウィリアム・エムプソンは、二十五歳のとき日本の大学の英文学教授として来任した。彼はそのとき既に、『曖昧の七典型』という名著の著者であったが、まだ実に若いといってよかった。彼は、その若さにみなぎるエネルギーを発散する一つの方法として、オート・バイを馳せて大学へ来ることを考えだした。彼が頭髪をなびかせ、双眼をかっと見開き、必至にハンドルにつかまって、制限速力などはおかまいなく、初夏の風をつんざいて、ダ、ダ、ダ、ダと乗り込んでくるところは、実に壮観であった。あるとき、お茶を飲みながら、どうも世の中が乱れ、古きものは権威を失い、新しきものは定まらず(マシウ・アーノルドの詩の文句)、こまるねと言ったら、いや、そうじゃない、この渾沌の中に希望があるんだ、整った世の中じゃ、手のつけようがない、乱れているものに新しい統一を与える仕事が、われわれのために残されているんだから、面白いじゃないか、と彼は答えた。二十五歳は、そういう希望に満ちているのだ。立志の時である。

これは福原麟太郎『人生十二の知恵』(講談社学術文庫)からの抜き書きであるが、ページを繰ると《三十五歳も決して悪くない。》と続く。

深山の奥のデルフォイの断崖には春ながら雪がつもっていた。朝まだき霧がこめて、パルナソスの峯つづきも、きれぎれにしか見えなかった。むら消えの雪を踏んでアポロの宮殿の趾に立ち、ここに古の大扉があったのであろうかと想像し、そこに書いてあったという箴言を思うのも、ゆかしきことであった。そのひとつは、「己れを知れ」であり、その対の文句は「過ごすなかれ」であった。三十五歳ともなれば、それらの言葉が心に沁む年頃にはなっている。それからはもう一日も無駄に失いたくはない。己れを知れ、過ごすなかれ、中庸こそ人生の知恵であるらしいと、そろそろ気がつく。

バッハの《音楽のささげもの》を聴きながら読む文章としては悪くなかった。