長谷川郁夫の長谷川巳之吉を読み続け、日比谷のドトールで憩う。

今日もずいぶん早起きをして、喫茶店で長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房長谷川巳之吉』(河出書房新社、2006年)を第二部の最初からひたすら読み続ける。巳之吉がなし得たことは「大正」の完成だ、という一節がある。長谷川郁夫は「大正」を《詩と音楽と美術が渾然とした饗宴の時》としている。そして、巳之吉は「昭和」をつかむことはできなかった。第一書房と交替するように昭和十年代に詩歌出版を担ったボン書店や野田書房といったいわゆる小出版社が体現するところの「昭和」がまばゆいばかり。「刊行書目をもって自叙伝を書く」男という言葉が帯で紹介されているけれども、その「自叙伝」という言葉にこめられた含意にうーむと唸る。小澤書店という長谷川郁夫の自叙伝をいつの日か読んでみたいものだと思う。


日中での出先の帰りに日比谷界隈を通りかかる。旭屋書店に足をのばして「波」をもらって、ひさしぶりに日比谷の線路沿いのドトールでひと休みすることにする。二階の窓に向かった席にすわると真ん前に高架線の線路が見えて、目の前にいろんな電車が通過したり交差したりする。もっと奥の方では高速道路がうっすらと見えて、泰明小学校の屋上もうっすらと見える。一見したところではだいぶ精彩に欠くドトールだけど、ひとたびここに座ってみると、眺めがなんとも格別なのだった。このドトールを出るときは裏のシャンテ寄りのドアから外にでて、裏通りを歩くのもたのしい。歩をすすめて右の曲り角から見える高架線の赤レンガの感じが実によいのだった。これとまったくおんなじアングルを、先月、鈴木英夫の『やぶにらみニッポン』がとらえていたように記憶しているけど、ほかの映画との思い違いかもしれない。左にまがって、ちょっとした広場があって、その先に三信ビルがある。以前だったら、このあとちょいと地下の小さな本屋さん、三信書店をのぞいていくのがおきまりだった。あまり深く考えもしてなかったけど、三信書店の消滅はことのほか大きかった、ということに最近、気づいた。


夜、長谷川郁夫を読み終えたあとはぜひとも再読せねばならぬと、内堀弘『ボン書店の幻』(白地社、1992年)を本棚から取り出しておく。ジンロを炭酸水で割ってレモンサワーをこしらえて、クイーッと飲む。