鈴本演芸場へ突進し、『警視庁物語』の最後の一本を見る。

朝から力が出ず、へなへなと外出。喫茶店でカフェオレを飲んで、ぼんやり。持参の iPodマタイ受難曲の第2部の、今日もユダの自殺までを聴く。本読みの意欲わかず、突発的に持参した別冊暮しの手帖「すてきなあなたに秋冬」(http://www.kurashi-no-techo.co.jp/contents/bessatsu/suteki-au_wi.html)をぼんやりと眺める。実家の母から何ヶ月も借りっぱなしのまま日々が過ぎていただったけど、いざ眺めてみると、やっぱりいいなあ……。と、絶好の気晴らし。渡辺一夫のお宅に伺ったときにワインと一緒にすすめてくださったという牛タンの味噌漬けを作りたい! と急にハイになったりも。


一日中、力が出ず、すべてをなげうって、夕刻イソイソと外に出る。今月上席の鈴本は「雲助特選人情噺」なのだ。毎日通いたいようなすばらしいプログラムなのだ。わたしが落語に求めるすべてがここに詰まっているのだ。そして、今日は『中村仲蔵』なのだ。雲助の『中村仲蔵』は何年か前に一度、紀伊国屋寄席で聴いたことがあるのだけど、本当にもうたいへんすばらしかったのだ。もう一度聴ける日が来るなんて夢のようなのだ。……というわけなので、最後の力を振り絞って、上野広小路へ。雲助ホームページからプリントアウトした割引券(http://www.asahi-net.or.jp/~cq1t-wkby/kumosuketokusen.htm)を木戸にスッと差し出して、チケットを買おう…としたまさにそのとき、「雲助休演」の貼紙が視界に入ってきた。思わず「えー!!」と声が出てしまい木戸のご婦人に笑われる。ハハ、ハハ…と歌舞伎の一場面のように力なく笑い合ったあと、スゴスゴと退散。あまりのことにしばらくどうしてよいかわからず、とりあえず酒悦に足を踏み入れ、とりあえず福神漬を二袋(元祖福神漬と特選福神漬)を買って、外に出る。家に帰ってカレーでもつくるとするかな。全身から力が抜けてしまったので、早く家に帰った方がよさそうである。今はもう雲助さんの健康を祈るのみである。


無事帰宅し、しばらく放心したあと、そうだ、東映のシリーズ映画『警視庁物語』の DVD があと1本だけ残っているのであった、雲助休演の心の隙間を埋めるべく見るとするかなと、今日は小沢茂弘『警視庁物語 逃亡五分前』(昭和31年)というのを見ることにする。タイトルバックの時点では今日は知っている俳優が犯人ではないらしいとがっかりしたものの、いざ始まってみると、『警視庁物語』に望む要素を余すことなく兼ねそなえているといえそうな、なかなかの佳品だった。東京駅に併設の床屋というような、風俗描写がいつもながらに興味深かったり、それに全体的にも都市を映す白黒映像が美しい。特に、ホテルの映像が秀逸だ。フィリップ・マーロウが登場してもおかしくないような雰囲気。前回の『上野発五時三十五分』でそこはかとなく感じた、1920年代から30年代の映画青年っぽいモダンさのようなものが通底していて、なんとなくかっこいいのだ。これはいいぞいいぞと思っていると、映画は早くも佳境へと突入。『警視庁物語』の佳境とはなにか、それは無駄に長い犯人の逃亡シーンのことなのだけれども、その逃亡シーンが今回は木場を舞台にしていて、その木場の移動映像がこれまたなかなかかっこいい光と影のコントラスト。「映画の内容つまりシナリオよりも映画そのものの表現方法(テクニック)にわたしたちが歓びを見出す映画作り」云々と、映画を見るようになってから十余年の座右の書、『映画術―ヒッチコックトリュフォー』の一説をひさしぶりに思い出して、ひさしぶりに読み返したくなってしまった。『警視庁物語』で『ヒッチコックトリュフォー』を思い出すとはずいぶん意外なことであった。