『戦争と平和』を読んで、歌舞伎座へ行き、神保町まで歩く。

よいお天気で今日も洗濯物がよく乾きそう。いつもとそんなに変わらない時間に起きて、手抜きのお弁当をこしらえて、いざ外出。地下鉄にのって京橋図書館へ出かけてみると、あらら、今日は休館日だった。ポストに本を返して、タリーズでコーヒーを飲む。読みさしの、トルストイ/藤沼貴訳『戦争と平和』第二巻(岩波文庫、2006年)を読み続ける。ああ、もうすっかり夢中だ。歌舞伎座の開演時間までずっと読み続ける。


歌舞伎座のあと、よいお天気なので気が向いて、テクテクと神保町に向かって歩いて、東京堂で本を見る。白水社宮下志朗訳の『エセー』の第二巻が発売になっている、ワオ! …などなど、二、三の「おっ」があったけど、わたしは今は『戦争と平和』に夢中だ。何も買わずに喫茶店へ行き、『戦争と平和』第二巻を読み続ける。再び東京堂にもどって第三巻を買って、家に帰る。


仮名手本忠臣蔵』の通し見物

歌舞伎座忠臣蔵の通し、先週は夜の部、今日は昼の部。『仮名手本忠臣蔵』の通しというと、2000年9月の文楽が最初で、翌年3月の新橋演舞場、2002年10月の歌舞伎座を見ていて、いずれもえいっと一日劇場にこもって全段を見通すというふうに観劇した。歌舞伎では三度目となる今回はチケットがうまくとれなくて、心ならずもばらばらに見ることになったのだけど、それはそれでなかなかよいものだった(もう一度通して見られたら最高だ)。わけもなく大好きな忠臣蔵の大序と三段目のあの流れ、今回もクーッと満喫。そして、なんといってもすばらしかったのが、富十郎が師直で吉右衛門が若狭之助だったということ。前回の吉右衛門の師直もよかったけど、今回は、富十郎吉右衛門の共演を全歌舞伎でもっとも愛する身としてはなるほどと思わせるものがあって、唐突に一昨年の『勧進帳』のことを思い出したりとか、なんだかうまく言えないけど、自分自身が今まで好きであった歌舞伎というものに思いが及んでいくような感じだった。先週の菊五郎の勘平のあとに吉右衛門の由良之助を見て、仁左衛門玉三郎の共演を見るという流れも、今まで(わたしの場合は98年から)一応は見続けている歌舞伎、今までつい見続けてしまった、そうかこれが好きだからやめられなかったんだなあという歌舞伎の全体に思いが及ぶというか、なんだか本当にうまくいえないけど、とても感激した時間だった。

……などと、なにやら意味不明ではあるけれども、わたしなりにとても感激して見ていたはずの今回の『仮名手本忠臣蔵』だったのだけど、吉右衛門富十郎の共演に胸がいっぱいになって、いつまでもその余韻にひたっているうちに、お焼香が終わったあとの四段目の途中で退席してしまい、お軽勘平の道行は見たいと思っていたのだけど、なんとなく劇場の外に出てしまって、そのまま戻らず。うーむ、やはり真剣度が不足しているとしか言い様がない……。しかし、わたしなりに非常に思うところの多かった今月の歌舞伎座だった。うまく言葉にならぬのだけど。