阪神電車に乗り、天神橋筋商店街を歩いて、近代大阪を思う。

北野ホテル(久坂葉子の生家の跡地だと後日知る)の向かいにて、お土産のジャム(「マンゴーとオレンジの胡椒風味のコンフィチュール」というのを選出。とてもおいしい)を買い、トコトコとトアロードをくだる。青山光二『食べない人』に登場していた「レストランハイウェイ」(小出楢重デザインのマッチだけ欲しい)の入口をチラリと見物したりしたあと、元町駅から阪神電車にのって、大阪へ向かう。


阪神電車に乗るのは、一昨年夏の京阪神めぐりのとき以来(id:foujita:20050718)。あのとき出かけたいかにも「阪神間モダニズム」という趣きの御影公会堂(参照:http://www.kubori.net/fathers/view/mikage/kokaido_1.html)でのひとときはたいへんよい思い出、車窓から見えるに違いないので、一所懸命目をこらす。あっ、あのとき降りた石屋川の駅を通過! と追憶にひたる間もなく、阪神電車はどんどん進んでゆき、今度は六甲ライナーの高架線が視界に入ってきた。あっ、あのとき小磯良平良平記念美術館(http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/koiso_museum/)に出かけるべく乗り換えた魚崎駅を通過! と近日の再訪をメラメラと決意しているうちに阪神電車はますます大阪へと近づいてゆく。ほどなくして芦屋川が視界に入り、ここを山に向かって歩いていけば昨日出かけた阪急電車の駅に着くのだなア、また芦屋川沿いを歩きたいものだなアと思っているうちに、電車は芦屋駅を出る……とかなんとか、電車で移動しているだけなのにたいそう胸がワクワク、「移動」というのがこんなにもたのしいなんてことはそうあるものではない。京阪神に出かけるたのしみは関西私鉄に乗ることにあるといっても過言ではないかもと思う。であるので、関西に出かけると、ついいつも欲張って、京都・大阪・神戸を嬉々と移動してしまう。そして、旅行のあとの反省会のたびに、次回は欲張らずにのんびりと、ひとつの町を歩きたいなと思う。しかし、結局しょうこりもなく、いつも嬉々と移動ばかりしている。


と、阪神電車の車中でハイテンションになっているうちに、甲子園はもうすぐだなということに気づいて、ふつふつと嬉しい。阪神電車の車窓から見える甲子園球場がなんだか好きなのだ。と、ほどなくして甲子園駅に到着してみると、この駅に限っては両側の扉が開くのだった。現在、春の高校野球の真っ最中。甲子園で試合があるときだけ両ホームのドアが開くのだという。ふだんは野球観戦(というかスポーツ観戦全般)への関心が皆無だというのに、なんとなく祝祭気分で、気持ちがふわふわ。よい気分で車窓から甲子園球場を見届けて、ますます電車は大阪へと近づき、尼崎を出たところで、「だいもつ」という駅名が目についた。おっ、「大物」と聞けば、頭のなかは一気に『義経千本桜』二段目の渡会屋銀平! もしくは『船弁慶』! と、急に歌舞伎気分が盛り上がって、ますます大はしゃぎ。また引く潮に揺られ流れと、そうか、このあたりは海の近くなのだなあとひとり納得し、海の近くならではの景色に和み、工場の眺めもたのしく、阪急もよいけれど、阪神も大好きだ! と阪神乗車のよろこびに全身でひたったところで、電車は終点の梅田駅に到着。ああ、たのしかった! とにもかくにも、京阪神に出かけるたのしみは関西私鉄に乗ることにあるとヒシヒシと痛感。関西に来れば、阪急電車京阪電車で大阪・京都間を移動したいし、阪急か阪神で大阪・神戸間を移動したい、いつの日か阪急電車にのって宝塚へ観劇に出かけたい、そうそう、今回の旅行、京阪電車に乗れなかったのが残念である。近々再訪して、次回こそは京阪電車(の二階建て車両)に乗りたいものだと思う。




戸板康二『芝居名所一幕見 諸国篇』(白水社、1958年5月発行)。阪神電車で「大物」の駅名を垣間見た歓びを胸に、帰宅後、寝床でフムフムと繰った本。歌舞伎に登場する場所を見開き1ページで、写真を交えて紹介している(わたしの持っている本には表紙に「原本 白水社」の印が…)。昭和30年代初頭の写真にただようレトロ感がなかなか味わい深く、現在見てみると、歌舞伎の舞台を見ると同時に昭和の写真を見るという二重のたのしみがある。鉄道弘済会発行の雑誌「あすなろ」の連載をまとめたもので、「芝居名所」の連載(昭和31年1月から翌年12月まで全24回)終了後、同誌で「映画名所」の企画が立てられ、そちらは筈見恒夫が担当した。当時、東宝の砧撮影所で藤本真澄の推薦でプロデューサー会議に参加していたのが、戸板、筈見、十返肇。この顔ぶれがたまらない。『芝居名所一幕見』を編んでいる最中に戸板康二と筈見恒夫が仕事で北陸方面へ同行、帰京直後に戸板さんだけ会議に出席して筈見氏が欠席した折、プロデューサーの面々が「弥次喜多の片方だけ出てきた」と笑ったと、戸板さんが後年回想している。ちょうどこのとき、千葉泰樹の『弥次喜多道中記』(昭和33年4月公開)の撮影中だったとのこと。千葉泰樹の『弥次喜多』は、今はなき三百人劇場でわたしが最後に見た映画だったなあとなつかしい(夢声十返舎一九)。戸板康二の『芝居名所一幕見』には姉妹編として「東京篇」があり、こちらは昭和28年12月初版。小津安二郎の『東京物語』と同時代の「東京」写真を見ることができる。



梅田から地下鉄を乗り継いで、大阪歴史博物館http://www.mus-his.city.osaka.jp/)へ出かける。お目当ては、常設展示の観覧料で入場可の《藤原せいけん―近代大阪の風俗画家》なる特集展示。観覧料600円を支払い、エレヴェーターで最上階へゆき、常設展示を練り歩きつつ、どんじりに控えるお目当ての「特集展示」へ向かう。エスカレーターを下るとき、途中の窓から観光絵葉書さながらに大阪城が眼前にひろがる。小津安二郎の『東京物語』の終わりの方の大坂志郎が登場する直前のショットのような大阪城。思えば大阪城を見るのは初めてなのだった。せっかくなのでしばしぼんやり眺める。江戸東京博物館の大阪版といった趣きの、古代から現代までの大阪の歴史を網羅する常設展示、近代に入ったとたん急にあちこちで心躍り、モニター画面に映し出される昭和8年に開通の「大阪地下鉄行進曲」にうっとり、先ほどまで乗っていた地下鉄のホームをなんとはなしに思って、ふつふつと嬉しい。旧NHK大阪放送局資料も嬉しかった。……などと、「見物」というよりは「通過」という感じの常設展示が終わり、ようやく本日のお目当て、藤原せいけん展とあいなった。


実のところそう深い考えがあったわけではなく、「近代大阪の風俗画家」というタイトルを目の当たりにしたとたん、ぜひとも行かねば! と、見えないなにかに導かれるようにしてここまでやって来たのだったけれども、会場に一歩足を踏み入れたとたん、食満南北、岸本水府といった固有名詞が登場するものだから、キャー! といきなり大興奮。とりわけ、藤原せいけんが挿絵画家として携わった新聞や雑誌に単行本、その近代大阪の文芸の数々がたいへん興味深く、日頃の興味関心にぴったりとマッチした展覧会。あちらこちらで目を見開かされる。


ガラスケース越しに花月亭九里丸編『すかたん名物男』(杉本書店、昭和31年)をうっとりと眺め、いつも古書価格が高い本、ちょっとくらい高くてもこういう本は杉本梁江堂で買うのがふさわしいかも、というようなことを思い、五代目松鶴の個人雑誌「上方はなし」を目の当たりにして、こちらでもうっとり。藤原せいけんが描く松鶴の顔がいいなア。「上方はなし」の復刻版はよく行く古本屋でいつまでも売れ残っている、5万円くらいだったかなと、またもや物欲が刺激される(ああ、欲しい!)。昭和21年創刊の雑誌「文楽」の挿絵にうっとりした直後、同誌で昭和23年から連載されている『名家探訪画帳』に胸がキューンとなる。ここだけ切り抜いて特製本を作りたい気も、と、第1回が豊竹山城少掾で第2回が中村梅玉……と見たところで「文楽」の版元の誠光社が『梅玉芸談』と同じ版元だということに気づき、誠光社というと昭和23年に徳川夢声の『ユーモア推理小説 有中先生物語』という本が出ていたりと前々から妙に心に残っていた出版社だった。敗戦後の関西の雑誌でまっさきに思い浮かぶのは同じく昭和21年創刊の和敬書店の「幕間」。「幕間」における藤原せいけんを確認せねばと思う。…などなど、書ききれないほど多くの刺激を受けた展覧会だった。帰京後の日々の勉強を心に誓って、ふたたびエレヴェーターに乗り、一階の売店を物色。『藤原せいけんの大阪』(創元社、1995年11月)という本が積んであった。ハードカヴァーの立派な本、絶好の資料だなアとしばし立ち読みするも6000円の出費を惜しむばかりに購入を断念し、買っておけばよかったと後日激しく後悔することとなった。


【追記1:いつもたのしみにしている「クリケット日和(id:cricket007)」を、京阪神めぐりの思い出を胸に帰京後まっさきに拝見すると、《藤原せいけん―近代大阪の風俗画家》展のことが書いてあって(id:cricket007:20070330)、ワオ! と大喜びでございました。】


【追記2:誠光社の雑誌「文楽」については、『歌舞伎 研究と批評25』(歌舞伎学会、2000年6月)に児玉竜一・飯島満両氏による雑誌細目が掲載されているのを部屋の本棚で発見して、ワオ! と大喜びでございました。と思っていたら、「音曲の司(http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/) 」に表紙の画像つきで総目次が掲載されていた(http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/jouhou67.htm)。創刊以来、鍋井克之が表紙を担当していて、写真表紙になってからは第9号以降はすべて三村幸一の写真。戸板康二の『芝居名所一幕見 諸国篇』の現地写真も、関西のほとんどは三村幸一の撮影なのだった。】




わたくし的「大阪本」ということで、濱田研吾『はんなり。和多田勝』(私家版、2004年5月発行)。濱田研吾さんの本は、『職業“雑”の男 徳川夢声百話』(2003年2月発行)以来、欠かさず愛読しているけれども、一番好きな本を選ぶとすれば、迷わず『はんなり。和多田勝』なのだった。《和多田勝。東京人にとっては、なじみのない名前である。》という一節があるとおり、わたしもこの本を手にしたとき初めて和多田勝の名前を知った。五代目松鶴を祖父に持ち、六代目松鶴の甥である生粋の大阪っ子・和多田勝は「放送タレント」として活躍すると同時に、上方文化に精通したエッセイストにしてイラストレーター、上方芸能の研究者としてとびきり素敵な仕事をしている。そう、和多田勝を追うことは近代大阪の精髄に触れるということにほかならないのだ。…というような能書きは抜きにしても、存在を知っただけでふつふつと嬉しくなってくる、和多田勝はそういう人である。と、読み進めるにつれてどんどん引き込まれて、読んでいる途中で、あっ、和多田勝ってかつてちょろっと見る機会のあった NHK文楽番組の司会をしていた人だ! と気づいた瞬間はたいそう嬉しかったものだった。わたしの唯一の和多田勝体験。(ちなみに、この本は書肆アクセスで500円で入手したのだったけど、先日の一箱古本市で1000円で売っているのを見かけた。と思ったら、つい先日、ささま書店で2000円で売っているのを発見。倍率ドンさらに倍。「クイズダービー」状態である。)



これまで大阪に出かけるたびにやり損ねて、いつもいつも今度こそと思っていたことのひとつに、天神橋筋商店街を歩く、というのがあった。というわけなので、大阪歴史博物館を出てふたたび地下鉄に乗り込んで、南森町で下車。満を持して、わーいわーいと天神橋筋6丁目に向かって、のんびりと商店街を歩いた。天神橋筋商店街を歩く、それだけのことがこんなにたのしいなんて、とここでも「移動」そのものが大きな歓び。これから先、大阪に出かけた折に時間が余ったということがあったら、天神橋筋商店街を歩けばそれだけで満ち足りた時間になる、ような気がする。アーケードなので雨降りの日でも大丈夫。何度も古本屋の前を通りかかって、そのたびに店内に足を踏み入れてはたのしい。「阪急古書のまち」が神保町だとすると、天神橋筋商店街は中央線沿線という感じがする。商店街を北上しつつ古本屋めぐりをたのしむ昼下がり、ちょいとお腹がすいたことだし、そろそろひと休みしたいなと、通りがかりの少し奥まったところにあるお好み焼き屋に入って、ビールをグビグビ飲みながら、ねぎ焼きを食べた。ネギ焼きを食べたのは初めて。とてもおいしかった。お昼からビールを飲むという休日ならではの歓びを満喫、すると同時に、残り少ない休日にしみじみとなる。店内のテレビでは高校野球が流れていた。


と、お腹がいっぱいになったところで、天神橋筋六丁目の駅に到着。この駅は阪急と地下鉄の乗換駅なのだったが、眼前にそびえる阪急のスーパーマーケットの建築がなかなかの見もので、思わず建物に近づいて、ぐるっとひとまわり。かつてターミナル駅だった廃駅跡の建物で、建物の周囲を観察するとあちこちでかつての駅舎を髣髴とさせるものが残っていて、こんなところにも「関西モダニズム」が! と思いがけないところで興奮だった。あとで調べてみると、これは「阪急天六ビル」という名の大正14年の建物で(参照:http://submarine.sakura.ne.jp/mugen/tenjinbashi.htm)、大阪の多くの魅惑的近代建築同様、渡辺節による設計とのこと。天神橋筋商店街を歩いて「モダン大阪」に至る瞬間は格別だった。



まだまだ時間があったのでこれ幸いと、地下鉄にのって平岡珈琲店へ行き、今度はコーヒーを飲んで、休憩。途中、背広姿のおじさんが入ってきて、お土産用にドーナツ20個頼めるかなというようなことを言っている。お仕事をしている部下にお土産なのかな、いいないいなと思った。コーヒーを飲んで、わたしの春休みも今日でおしまいなのだなあと、残り少ない大阪の時間を惜しみつつあちらこちら建築見物しつつ、梅田の駅まで歩いて、たいそうくたびれた。中之島の風がとても気持ちよかった。