横浜で戦前の明治製菓売店に思いを馳せたあと、鎌倉で落語を聴く。

正午、傘をさして、横浜へでかける。本日の車中の読書は富士正晴『贋・久坂葉子伝』(講談社文芸文庫、2007年)なり。石川町で下車して、神奈川県立近代文学館へゆく。展示室で《無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展》を見物したあと、閲覧室へ移動。今日はのんびりと、調べものではなしに、ずっと探しているけれどなかなか買う機会のやってこない本を読むとするかなと、何冊か閲覧。『清水正一詩集』(編集工房ノア、1979年10月)、『続 清水正一詩集』(編集工房ノア、1985年8月)を繰ったりする。


戦前の「モダン日本」を眺めたりもする。「モダン日本」は昭和5年8月に文藝春秋社で創刊されて、命名菊池寛、編集部には西村晋一や大草実、小里文子がいて、のちに石井桃子が加わった。と、まずはこれら戦前文春の顔ぶれがたまらないのだった。が、文藝春秋社版は早くも翌年12月号をもって休刊し、昭和7年1月、文春の宣伝部にいた馬海松が「モダン日本」を菊池寛から譲り受けて再刊している。そのモダン日本社版の「モダン日本」は昭和17年12月号をもって休刊した。裏表紙で頻繁に見ることができる森永製菓の広告デザインが目にたのしく、目次のところにはほぼ毎号明治製菓の広告があって、そうだ、戦前の「モダン日本」は明治製菓の戦前の PR 誌「スヰート」と同時代なのだなア! と、そんなしごく当たり前なことが嬉しく、ランランと繰る。ところどころで内田誠の名前も散見できる。そういえば、小村雪岱装丁の内田誠著『緑地帯』(昭和13年7月)の版元はモダン日本社なのだった。などと、「いつも心に明治製菓を」的な心境になりつつ、「モダン日本」を眺めていたら、昭和9年10月号(第5巻10号)の「推薦 うまいものや 諸名家」なるアンケート記事で、明治製菓宣伝部長の内田誠がヌケヌケと、

お問合せの東京市内にてのよき食物店は明治製菓売店です。美人が澤山ゐて御愛相がよくお客に親切で一度おでかけ下さるともう忘れられないさうです。珈琲や紅茶のうまいことは申すまでもありません。もつと数々の美點があるのですが、之以上書くと没書にされるか、廣告料をとられるからやめて置きます。

なんて書いているのを発見して大はしゃぎ。戦前の明治製菓売店に関する記事はどんな片言隻語でも見つけるたびにたいへん嬉しく、日頃からチビチビと蒐集しているので、本日もすかさずノートに抜き書きして、いつまでも上機嫌だった。


戦前昭和、都内と地方主要都市に展開していた明治製菓売店の第1号店が銀座三丁目の銀座店で大正13年に開店、その後大改築されて昭和8年2月11日には新装開店している(ちなみに同年同月20日には築地警察署で小林多喜二が惨殺)。と、戦前の銀座界隈あれこれに興味津々な身としては、明治製菓売店のなかでもとりわけ銀座売店の名前をなにがしかで垣間見られるとそのたびに大喜びしている。そんなわが明治製菓銀座売店コレクションのなかで今までで一番嬉しかったのは……。



小津安二郎『淑女は何を忘れたか』(昭和12年・松竹大船)の一場面。明治製菓銀座売店でお茶を飲む桑野通子と佐野周二

48 喫茶店
銀座明菓の屋上あたり、買物の包みを横に置いて、節子と岡田はお茶を飲んでいる。
岡田「へえ……逆手だったんですか」
節子「うん……そんなこと知らへんもん、あんたとうちえらい阿呆見た。(ちょっと微笑を浮べて)あんたも結婚して逆手つこたらあかへんし」
岡田「いや……僕は使わないな……」
節子「あんたも使いそやなあ」
岡田「いや……僕はとても素直ですよ!」
節子(笑って)「売り込んだかて、あかしまへん……」
岡田は苦笑する
節子「あんた逆手つこたら、うち、またその逆行ったるだけや……平気や」
岡田と節子ともに笑う。
岡田「今度いつ来ます?」
節子「早慶戦には来るの、うち早稲田大好きやもん」
岡田「僕も早稲田が好きだな」
節子「うまいこと言うてからに……それ逆手とちがいまっか?」
両人、笑う。
節子、座を立ち、一方へ行き、銀座をみおろして、
節子「うち明日のいま時分もう大阪や……」
井上和男編『小津安二郎全集』(新書館、2003年)より『淑女は何を忘れたか』】

と、『淑女は何を忘れたか』終盤の印象的なシークエンスのロケ地は明治製菓売店なのだった。これを見つけたときの歓喜といったらなかった。田中眞澄編『全日記小津安二郎』(フィルムアート社、1993年)を参照すると、昭和12年2月15日に、《銀座明菓にてクランク 帰って下宿 桑野通子具合悪き由 封切日の近ければ案ず》とある。


これは特に明治製菓タイアップというわけではなく、スクリーンを見ただけではロケ地が「明治製菓売店」だとは判別できないようになっている。




知ったあとで見ると、桑野通子の背後にかすかに見えるポスターが明治製菓のポスターだなとわかる。佐野周二の手元にはマッチ箱。




佐野周二が手にしていたマッチはこんな感じのラヴェル



期せずして頭のなかがいつものとおりに「明治製菓」一色になったところでホクホクと外に出て、小雨がパラつく元町でコーヒーを飲んで、ふうっとひと休み。『贋・久坂葉子伝』を読み続ける。日没時、石川町から JR を乗り継いで、鎌倉へ。


午後6時。「かまくら落語会」を聴きにゆく。今回は柳亭市馬独演会。市馬は前々から独演会というかたちでじっくり聴いてみたいと思っていた噺家の筆頭だった。ずっと逃していた独演会を、かまくら落語会という場で聴くことができるというのがまずはとても嬉しかった。かまくら落語会は、数ある落語会のなかでも、ひときわ気持ちのよい会で初めて出かけたそのときから落語会そのもののファンになってしまったくらい。と言いつつも、このところなんやかやで行き損ねていて、1年ぶりの「かまくら落語会」となってしまった。と、1年ぶりに来てみたら、ああ、かまくら落語会はかまくら落語会のままだなア! とホールの椅子に座ったとたん、いい気分になる。初めてかまくら落語会に出かけたときに感じた気持ちのよさの質がまったく変わることなく、毎回来てもひさしぶりに来てもしっかりと通底しているというのは実にすばらしいし、稀有なことだと思う。開演前に主催者の方からちょっとしたごあいさつがあるのもいつもの通りで、市馬の独演会はかまくら落語会では初めてで、今年最初の1月の独演会は鯉昇の独演会で、鯉昇もはじめての噺家だったとのこと。と、このくだりを聞いて、先月の「地下室の落語会(http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/2007/03/post_1360.html)」での鯉昇の高座のことを思い出して嬉しかった。先月初めて聴いた鯉昇、1月のかまくら落語会は行き損ねてしまったけれども、10ヶ月遅れでわたしも鯉昇を初めて聴いたことで、1月のかまくら落語会の追体験ができていたみたい。


などと、ひさしぶりのかまくら落語会にジーンとなったあとで聴いた本日の高座は、市丸『出来心』、市馬『掛取万歳』、市馬『御神酒徳利』の3席。独演会の案内を手にしたときには、かねてから市馬の『掛取万歳』を聴いてみたいと思っていたものだったので、たいそう嬉しかったものだった。以前に『花筏』を聴いたときの感触を思うと、市馬の『掛取万歳』、もういかにもよさそう! それに「圓生百席」で初めて聴いて以来、わたしは『掛取万歳』がたいそう好きなのだった。…などと、聴く前から大喜びしていた市馬の『掛取万歳』、いざ聴いてみると、期待どおりにホクホクしっぱなし。たのしくって仕方がない。クッキリと楷書で、朗々たるキビキビとした調子が接していて実に気持ちがよい。独演会ならではでたっぷりと聴けて、なんともぜいたくで、ちょいと早めの年の瀬気分が格別だった。続く『御神酒徳利』も「圓生百席」でかつて何度も聴いていた噺だったので、「圓生百席」に夢中だった当時、すなわち落語を聴きはじめたばかりの頃のことを思い出して、なにかと懐かしかった。これからも落語を聴き続けるのだと、モクモクと嬉しかった。


午後9時。ホールを出て、イソイソと駅へ向かう。うしろを歩いている男性二人組が、『御神酒徳利』をこんなにたっぷりと聴いたのは初めてかも、あんなくだりやこんなくだり云々、というようなことを話していて、フムフムと盗み聞きしたあとで、改札口へ。雨上がりの駅のホームがしみじみ寒くて、震えながら電車を待つ。実は今日、雨が降っていなかったら鎌倉のとある戦前明治製菓遺跡を見物に行く予定でいたのだけれども、果たせなかった。年の瀬のころに行ければいいなと思う。横須賀線に乗り込んで、『贋・久坂葉子伝』を読み続けて、帰宅。