沼波瓊音の「図書館の吉野桜」を思う。昭和11年渋谷の明治製菓売店。

まさしく「待ちかねたわやい」というふうに、今日はいっせいに、お正月休み中だった各所の図書館が開館する。さア、今日はどこへ参りましょう! と、お弁当をこしらえて、イソイソと外出。まずは恵比寿の麦酒工場跡地にある、東京都写真美術館の図書室へゆく。ここで閲覧したい資料があったのでちょいと確認したあとで、映画館でイオセリアーニの『ここに幸あり』を見て、そのあと都立中央図書館に立ち寄る、という行程を、お弁当を作りながら練っていたのだけれど、写真美術館の図書室で何冊か繰っているうちにすっかり身体が図書館モードとなってしまった。上映は今月18日までという告知を確認して麦酒工場跡地を出て(見逃しませんように!)、広尾にむかってズンズン歩く。有栖川宮記念公園で持参の弁当をつかって、都立中央図書館へ。5階の東京室、4階の自然科学室、3階の人文科学、2階の社会科学室と、ピンポイント式に怒涛の勢いで図書を閲覧。映画をサボったおかげで、時間がたっぷりあって、よかった。


最後にちょいと時間が余ったので、ふたたび3階に戻って、沼波瓊音の追悼本、『噫瓊音沼波武夫先生』(瑞穂会非売品、昭和3年発行)を繰った。柴田宵曲著『文学・東京散歩』こつう豆本41(日本古書通信社、昭和55年1月)の「大学図書館」という項で、

 大学図書館にたて籠り、書斎よりもここで多くの筆を執ったこと沼波瓊音の如きは稀であろう。彼の異色ある「徒然草講話」はここで稿を起しここで書き了った。
 「白日下の涙」をはじめ、瓊音の作物に散見する図書館なるものは多くは上野でなしに大学図書館のようである。彼は大学図書館の特別室を以て我が為の理想郷なりと云い、室内の様子、窓外の眺などを細叙している。大正震災より十年も前の文章だから、今の建物ではない。「図書館の吉野桜」という彼の長詩は、「新聞包みの麺麭、番茶入れし水筒」を携えて日々ここに通う感慨を詠ったものである。

というふうに、沼波瓊音の「図書館の吉野桜」という長詩が紹介されている。と、ちょっとそんなことを思い出したところで、図書館の外に出た。


都立中央図書館は十代の頃から通っていたもっともなじみのある図書館であるので、たまに来ると、そのたびに嬉しくて、帰りに界隈を歩くのがいつものおたのしみ。仙台坂をズンズンと下っていると、そろそろ日が暮れようというところ。今日はずいぶんくたびれた。麻布十番でコーヒーを飲んでふうっとひと休みして外に出てみると、とっぷりと日が暮れていた。





師岡宏次《渋谷駅前 1936年》。図録『モダン東京狂詩曲展』(東京都写真美術館、1993年)より。東京都写真美術館のお気に入りの図録、『モダン東京狂詩曲展』を先日ひさしぶりに眺めていたら、師岡宏次による昭和11年の渋谷駅前を写した写真に、明治製菓売店が写っていて(左側の電車の後方)、狂喜! 戦前の明治製菓宣伝部にまつわるあれこれに夢中のこの一年。おのずと、戦前昭和、都内各所と地方主要都市に展開していた明治製菓売店についても興味津々となり(明治製菓の PR 誌「スヰート」の配布場所でもあった)、戦前昭和の「明治製菓売店」の時代、といったものを考えているところ。あまり語られていない明治製菓売店だけれども(ちっとも洗練されていないし)、橋爪紳也著『モダニズムのニッポン』(asin:4047033952)に「明治製菓売店」の一項目があって、ワオ! だった。




『夢の町 桑原甲子雄東京写真集』(晶文社、1977年8月発行)より、「105 渋谷駅前交叉路 昭和14年(1939)」。上の師岡宏次の写真と同じ場所をやや右に寄ったより高いところから俯瞰したところ。巻末にある桑原甲子雄自身による「一枚一枚の写真について」には、《大岡昇平氏の『幼年』『少年』は、抜群の記憶と調査で渋谷のことがくわしく書かれている。私は渋谷にはいっこう不案内であった。この写真、建設中の東横ビルの上から写したことはたしかだ。眼下の交叉路を上へあがって行く道が道玄坂であることも間違いない。そうするとバスの通る手前右角は、いつも薬を買う「三千里」のある所だな。》とある。おなじく巻末に収録の桑原甲子雄との対談で、戸板康二は《これは渋谷ですね。青山の方から来た電車が、ここで終点になってる。》、《この時分も横断歩道がちゃんとあるんだな。ぼくの渋谷ってのは、神宮球場によく行ってましたから、その帰りに青山をブラブラ歩いてきて、お茶を飲むんですよ。コーヒー十五銭。》なんて言っている。渋谷の明菓売店にも入ったことがあったのかな。白木正光編『大東京うまいもの食べある記 昭和八年版』(丸ノ内出版社、昭和8年4月初版)によると、明治製菓売店渋谷店は「美少女のサーヴィスが人気を呼んで、何時も若い学生連で二階まで一杯」だったらしい。