南川潤を読んで、戦前の銀座八丁と製菓会社をおもう。

先週の週明け、《時代劇ぐらふぃてぃ Vol.3》特集開催中の新文芸坐にて、戦前の鞍馬天狗2本立てを見た。で、その翌朝、アラカンの余韻を胸に、五反田で安かったので買っておいたもののそれっきりになっていた、竹中労『日本映画縦断1 傾向映画の時代』(白川書院、1974年9月発行)を持参して、喫茶店でひとたび読みだしてみたら、あんまりおもしろいのでちょっとたいへんなことになってしまった。竹中労の熱気にあおられ、読んでいるこちらも「ウォー!」と石油ストーヴの炎のように燃えに燃え、「ウォー!」と燃えながら図書館に走り(安いのでバラで買ってしまった過去の自分を呪う)、『日本映画縦断』の続き、第2巻「異端の映像」と第3巻「山上伊太郎の世界」を借りだして、「ウォー!」と燃えながら読み続けて、週末となった。日曜日は早起きしてルンルンとまたまた新文芸坐へ行った。右門捕物帖2本立てを見て、アラカンの余韻を胸に地下鉄に乗って、とある喫茶店でコーヒーを飲んで、この一週間、燃えながらページを繰った「日本映画縦断」全3冊を読み返して(付箋紙挟みまくり)、とりあえずの自分のなかでの総括を試みたりしたのだけれど、ああ、それにしても「日本映画縦断」ったら! 


というふうに、先週は燃えすぎてしまって、ずいぶんくたびれた。今週は心穏やかに過ごしたいと切に思う。



月曜日。


週明けなので、気合いを入れるべく(すぐ抜けるけど)、なおいっそうの早起きして、イソイソと喫茶店へゆく。コーヒーを飲みながら、心穏やかに本を読むこととする。サンシャイン古本市のお土産ということで、昨日ありがたくも、南川潤『掌の性』という本をちょうだいした(500円だったとのこと)。なんという親切だろう! なんと気のきいた贈り物だろう! と、ジーンと感激。さっそく読んでみることとする。




南川潤『掌の性』(美紀書房、昭和21年6月21日発行)。装釘:花森安治


と、ひとたび読みはじめてみたら、先月読んだ『生活の設計』とおなじように(id:foujita:20080125)、いかにも南川潤といった感じの「都会派風俗小説」で、ふつふつと嬉しい。「風俗小説」の定義として野口冨士男が『しあわせ』(講談社、1990年11月発行)のあとがきで、《具体的には娼婦、ホステス、OLなどと男性――あるいはその逆の組み合わせが、主として都会を背景に結ばれたりほぐれたりする模様をえがくもの》としていたのがずっと心に残っているのだけれど、その「主として都会を背景に」というところの細部描写が、『掌の性』は実にいいなあと、背景の戦前「銀座八丁」を彩る固有名詞にウキウキなのだった。小説そのものは、気位の高い未婚女子と新劇の若き気鋭演出家との恋愛ゲームというか、手練手管のサマを描いていて、根をつめて読むほどのものでもなく、鳥瞰的に「風俗」見物しながら読むのがたのしい。モナミや資生堂で待ち合わせをしたり、田村町の飛行館で新劇公演があったり、帝劇で映画を見たり、東京宝塚劇場でレヴュウを見たり、天金(だと思う)で天ぷらを食べたりといった、小説を彩る固有名詞を目にするたびに、戦前日本映画の「銀幕の東京」をウキウキと闊歩しているような心持ちで、ページを繰っている時間はまさしく戦前日本映画を見ている気分。たとえば、吉村公三郎の『暖流』を見ているときのような。会話が地の文と溶け合うようにして書かれてあるところもこの小説全体の映画っぽさを醸成している。そんな映画的な感覚がこの小説の一番の魅力だった。

 南川潤氏の「掌の性」(三田文学昭和十一年六月号、十二年一月号)は第二回の「三田文学賞」を受け、「風俗十日」は続いて第三回の同賞を受けている。「掌の性」の方が、作者の特長が鋭く尖っていて、いいようである。若い女性の心理と肉感とを描くのが得意らしいけれども、女に托して作者自身を語っていると思われるところに、私の結局の興味はあった。
「ただ徒らに時流に諂い権力に媚びる以外、何の文学的根拠があるかを疑わしめる」文学主張が「雨後の筍のように」現れる今日の文壇の「この渦中に年少の南川君を送り出す事は何かわれわれの感傷をさえ刺激するのである。」と和木清三郎氏は「風俗十日」の跋に書いている。南川氏の作風は時流に背いているには違いない。しかし、「掌の性」の令嬢や「風俗十日」の女給のうちに、作者のあこがれやなげきを見る時、その破れそうな翼の却って強いのを感じるのは、必ずしも私ばかりではないだろう。


川端康成「―文藝時評―」- 『文藝春秋』昭和十四年六月号】


『掌の性』で、新橋へ向かう銀座通りの東側の途中の「蓄音機屋」の2階の視聴室、というのが出てきたとき、まっさきに思い出したのが、小津安二郎のサイレント、『非常線の女』! というわけで、夜、ひさしぶりに『非常線の女』の DVD を見た。




小津安二郎非常線の女』(昭和8年・松竹蒲田)より。水久保澄子が勤める蓄音機屋のショウウィンドウ。ビクターの犬の向こうには丸善が! これはいかにもセットだと思う。



視聴室にいる岡譲二。店員水久保澄子が話しかける。ドアにはビクターの犬のラヴェル



水久保澄子は着物のうえに上っ張りを着ている。明治製菓の「スヰートガール」出身の水久保澄子は、前年の昭和7年、明治製菓 PR 映画、成瀬巳喜男『チョコレートガール』のヒロイン、キャンデーストアのウェイトレスを演じている。さぞかしよく似合ったことだろうと、『君と別れて』の追憶にひたるのだった。



以上のとおり、「蓄音機屋」のシークエンスで、アクセントのように何度も挿入されるビクターの犬のショットがキュート!



火曜日。


南川潤といえば、実は先週、『人形の座』(日本文学社、昭和14年6月)という本が届いていたのだった。目録であっと驚く書名を見つけてソワソワと、1冊だけではつまらないので勢いにのって注文してみたら、目当てはハズれてついでに注文した方だけ届くという展開とあいなり、「またやってしまった……」と煩悶しつつ、本棚に架蔵した次第だった。それが日曜日、ひょんと『掌の性』をちょうだいするとは、ちょっとした奇縁という気もする。『掌の性』を読んだ勢いにのって、次は『人形の座』を読んでみることにする。


早起きしてイソイソと外出、喫茶店でコーヒーを飲んで、『人形の座』のページを繰る。



南川潤『人形の座』(日本文学社、昭和14年6月20日発行)。装釘者の明記はないけれども、正方形っぽい版型で、画像はフランス装の本体、函は本体と逆の配色になっている。と、手にとってみると、なかなか洒落ていて、そこはかとなく瀟洒


と、ひとたび読みはじめてみたら、主人公の27歳の青年の勤め先が製菓会社だというので、「キャー! キャー!」とシンと静まりかえる朝の喫茶店でひとり歓喜にむせぶ。戦前の明治製菓あれこれを追う身としては、戦前の小説で製菓会社が出てくるものがあったらいいなとかねがね思っていたものだった。夢がかなったのだ。先週目録でこの本だけが届いたというのも、なにかの縁という気がする。今となっては、当初のお目当てでなくて、この本が届いたのをこの上なく幸福に思う。昭和14年発行のこの本、初出は同年か前年くらいか後日確認しないといけないのだけれど、

 会社の方はどうかね、事変の影響なんかやっぱりあるだろう。
 津守の会社は有名な製菓会社だった。
 ええそりゃぁあります。チョコレートなんか、原料の方は輸入バーター制ですからかなり這入りますからこの方はいいんですが、困るのは包装と缶詰の方ですね。代用品も、蝋紙とかベークライトみたいなもので大分出来ていますが、防湿や耐久力の点で充分ではありません。それに第一コストが非常に高くつくんです。まあ臆病にストックを使い減らしていると云う状態ですね。

というような会話が交わされていて、この微細にわたった描写が感動的。「風俗小説」の魅力はディテールにあり、としみじみ思う(野口冨士男もディテールがすばらしい)。もしかしたら、当時森永製菓に勤務していた仲よしの十返肇に取材したのかなと空想したりもする。南川と十返は当時大森在住で近所住まいだった。それから、主人公の青年、津守の月給は65円なのだそうで、昭和14年明治製菓戸板康二の初任給も65円なのだった。キャンデーストアの描写など、なにかとディテールがおもしろかった。とにかくも、南川潤『人形の座』は戦前の製菓会社文献ということで、末永く大切にしたい。


などと、森永っぽい製菓会社が出てくるというだけで極私的に大喜びなのだけれど、『人形の座』もいかにも南川潤の「都会派風俗小説」で、対照的な性格の姉妹が登場するというところが、ちょっと成瀬巳喜男の『噂の娘』を髣髴とさせる感じで、『掌の性』とおんなじように、好きな部類の戦前日本映画を見ているような気分で、スイスイとページを繰ってゆく時間が心地よかった。主人公の父は汽船会社の重役で、山下三郎の山下汽船がモデルかしら! とも思う。同僚の有能なタイピスト女子の描写に興味津々。多摩川園へピクニックへ出かけたり、銀座で待ち合わせしたり、東京描写がいつものようにキラキラと輝いていて、あちらこちらで戦前日本映画の「銀幕の東京」感覚が格別だった。



『人形の座』と同年、つまり戸板康二が入社した年に発行の明治製菓の PR 誌として、「スヰート」第14巻第4号(昭和14年9月6日発行)。表紙:久久男。この号は南川潤が「お菓子のある世界」というエッセイを寄せている。明治製菓宣伝部の新入社員戸板康二は南川潤と「三田文学」で旧知の間柄だったのだと思う。

 南川潤が第二回三田文學賞を受けた小説は『掌の性』という小説であった。この南川潤は翌十二年から『人民文庫』の執筆グループに加わったが、それはもしかすると、このころ同じ大森に住んでいた私がすすめて――というより、引っ張りこんだのではないかと思う。はっきりした記憶がないのに、そういうことを言うのは、当時彼の小説のうまさに私がすっかり参っていたということを、これははっきり記憶しているからである。彼が『人民文庫』に書いた小説は、十二年二月号の『美俗』と同年十二月号の『昔の絵』の二篇だけだが、いずれも私は、憎らしいくらいにうまいと舌をまいたものだった。
 特に『昔の絵』は、その一部の描写が今なお頭に残っているくらい感心したもので、いま読むとさてどうだろうと、今度それを読み返してみた。今日で言うロマンス・グレーの男と若い女との情事を書いていて、その筆致は今日からすると中間小説的な軽さが感じられるけど、それでもやはりうまいと思った。一種の軽さが昔は清新の感じで、いまはそれが軽さということになってきても、清新の感じは少しも古びていない。


高見順『昭和文学盛衰史』(文春文庫、1987年8月)- 第十六章「ファシズムの波」より 】