早起きしてコーヒーを飲み、古書展と文学館。神保町シアターで阪妻。

いつもと変らない時間に起きて、家事諸々をソソクサと済ませて、いつもよりも早い時間に外出。喫茶店でコーヒーを飲みながら、本を繰る。安田武『定本 戦争文学論』(第三文明社、1977年8月)を読み続ける。


 長谷川利行岸田國士像》(1930年)


日曜日に、竹橋の近代美術館で見た長谷川利行の《岸田國士像》が心に残ってしかたがない。ふと思い立って、本棚に架蔵してそれっきりだった、古山高麗雄岸田國士と私』(新潮社、昭和51年11月)を読んだ。これを機に、次は「大政翼賛会文化部長のイス―岸田國士論―」を目当てに、安田武の『戦争文学論』を繰ることになった。すっかり惚れてしまっている安田武を読んだのは数ヶ月ぶり。いざ読んでみると、やっぱり惚れてしまうッと、『戦争文学論』全篇に夢中。土曜日なのに、つい早起きをしてしまった次第だった。



午前10時の開館と同時に、五反田の古書会館へゆく。今回は目録での事前注文はなし。心穏やかに会場を練り歩き、結果、500円の本を3冊と200円の本を4冊購入。




「新東京百景」より、前川千帆五反田駅》1932年。先日、ひさしぶりに、海野弘監修『別冊太陽 モダン東京百景』(1986年6月発行)を眺めていたら、「新東京百景」に五反田駅を描いたものがあって、嬉しかった。

前川の「五反田駅」は、メカニックなもの、無機的なものに興味を持っていた二〇年代らしく、レールや鉄骨の青黒い、むきだしの構造がうまくとらえられている。これもまた、モダン都市の美学の一つの極みなのである。それに対比して、ホームに立っている人々の、単純化されてはいるが、ほのぼのとした描写がなにかほっとさせる。女の子を見つめる両親のまなざし、三人の親子の語らい、といったものは、モダン都市における家族像を描き出している。巨大な都市の中で、小さな家族がひっそりと寄り添って暮らしている。圧倒的な鉄の街と、その隅で、ささやかな幸せを守ろうとしている親子を、私は見た。

海野弘「一九二〇年代のモダン都市 『新東京百景』を歩く」より - 『別冊太陽モダン東京百景』(1986年6月発行)】

ここで描かれている「モダン都市における家族像」をターゲットとしているもののひとつに、明治製菓の商品およびその PR 誌「スヰート」があった。……と、モダン都市のあれこれを思うと、いつのまにか同時代の明治製菓宣伝部のことで頭のなかはいっぱいになっている。


海野弘編『モダン都市文学1 モダン東京案内』(平凡社、平成元年)所収の『省線リレー風景』(「近代生活」昭和4年8月号が初出)の五反田のくだりを目にして以来、古書展の帰りは駅前広場の歩道橋の上から池上線のホームへの階段の鉄筋を眺めるのを、いつもそこはかとなくたのしんでいる。

五反田駅の上には、接木をしたように、もう一つ池上電鉄の駅が十字架に重り合っていて、僕たちが、窓をのぞけば、高い池上電鉄の鉄橋の横腹みたいなところに、「行楽の洗足池」と大きな活字がぶち抜いてある。
【久野豊彦「新宿より品川まで」 - 『省線リレー風景』(昭和4年8月)より】

と、ポカポカと青い空の下、よどんだ古書展のあとはさわやかに「行楽の洗足池」にでも出かけたいところであったけれども、当初の予定どおり、渋谷で井の頭線に乗り換えて、駒場へゆく。正午の駒場公園で持参の弁当をつかったところで、日本近代文学館へ。閉館時間までカリカリと調べものにいそしむ。



午後5時。道玄坂下の「珈琲店トップ」でひと休み。本日の調べものノートを見直したあと、五反田で200円で買ったばかりの、古山高麗雄のエッセイ集、『立見席の客』(講談社、1975年)を拾い読みする。



渋谷から半蔵門線にのって、午後6時、神保町へ。《時代劇特集Vol.1 時代劇、罷通る!》特集開催中の神保町シアター丸根賛太郎『月の出の決闘』(昭和22年・大映京都)を見る。丸根賛太郎といえば、何年も前に三百人劇場で見た千恵蔵主演の『春秋一刀流』(昭和14年・日活)が大好きで、これ一本見ただけで俄然気になる監督となった。しかし映画館で上映があるのを緩慢に待っているだけなので、その監督作品を見るのは、去年にフィルムセンターで見た『狐の呉れた赤ん坊』(昭和20年・大映京都)に引き続いて3本目。『月の出の決闘』は阪妻はもちろん、先月中村登の『我が家は楽し』でその絶妙な演技にしみじみ唸った青山杉作が出ているので、たいへんたのしみにしていた。で、いざ見てみると、結構結構、余は満足じゃ、と頬が緩んでにっこりの80分間だった。日頃からこよなく愛する戦前時代劇ならではの雰囲気が敗戦後のこの映画にも横溢しているのが、嬉しかった。ところどころの自然光でとらえたショットに陶然となったり、ところどころのカメラアングルの冴えにハッとなったり、ところどころの飄逸なシーンににんまりしたり、阪妻、かっこいいッと胸を躍らせたりと、ゆっくりとくつろいでいるうちに、一日の疲れがじんわりと和らいでゆくのだった。


青山杉作は期待どおりの絶妙さで『我が家は楽し』同様、その演技と存在感にしみじみ唸るものがあったのみならず、今回の映画では準主役と言っていいくらいの大きな役で、阪妻とがっぷり四つを組んでいる。戦前からの剣豪大スターと戦前からの生粋の新劇人が今ここにがっぷりと四つを組んでいるッ、と、敗戦後の時代劇映画を見て、日本演劇史・映画史全体に思いが及んで、胸が熱くなるものがあった。新劇人といえば、悪役の東野英治郎が抑えた演技でしみじみかっこよかった。……などとあちらこちらで「しみじみ」しているのだったけれども、クライマックスで阪妻が疾走するところで、クーッ、と興奮。走れ、走れ! と、こよなく慕う『血煙高田馬場』を思い出して(DVD が欲しいッ)、阪妻が走っているというだけで嬉しくって、たまらない。ラストの《占領軍の「チャンバラ禁止令」をくぐり抜けたラストの殺陣(チラシ解説より)》という、盆踊りと立ち廻りとが融合したシーンでは、伊藤大輔の『素浪人罷通る』(大好き!)を思い出して、胸がいっぱい。花井蘭子もいつもそこはかとなく好きだ。先月新文芸坐で見た中川信夫右門捕物帖 片眼狼』(昭和26年・新東宝)もよかったなあ……などなど、あちらこちらで過去に見た好きな映画の記憶の断片が合わさって、なにかと嬉しい時間だった。


外に出ると、とっぷりと日が暮れている。あたたかい一日だったけれど、夜になると、やっぱりまだちょっと寒い。映画を見たあとのビールはなぜこういつもおいしいのだろう! と生ビールを一杯だけ飲んで、家に帰る。古書展での荷物が重たい。