丸ビルのコーヒーショップで中戸川吉二を読み終える、金曜日の夜。

今週は毎日、朝の喫茶店でコーヒー片手に、ひさびさに中戸川吉二に耽溺して、あっという間に一週間が終わった。


月曜日は、週明けにあたって気分一新、数か月前に買ったきり本棚に放置されている本を読んでゆくことにしようと、今にも壊れそうなひどい状態の、中戸川吉二『縁なき衆生』(聚英閣、大正9年6月)の裸本に伊勢丹のチェックの紙袋で拵えたブックカヴァーをかけて、外出。チビチビと大切に読み進めて、とうとうおしまいのページになってしまって、短篇集の次は長篇小説ということで、『反射する心』(新潮社、大正9年1月)を取り出して、『縁なき衆生』にかけていたカヴァー(丈夫で長持ち)をはがして、くるくるっとまわしかけた。


そんなこんなで、金曜日の日没後、『反射する心』があともう少しで読了というところなので、帰り、丸ビル4階の青山ブックセンターの隣りのコーヒーショップに寄り道して、シズシズと読了。


ここのコーヒーショップは窓から眼下に見える東京駅の眺めがなかなかいい感じで、ある日ほんのなりゆきで寄り道したとき、思いのほか気に入ってしまって、以来、なにか楽しみな雑誌が発売になったりするとすぐに買わずに、青山ブックセンターで満を持して買ったあとでここのコーヒーショップの、運よく空いていたら窓辺のテーブルで、のんびりとページを繰るのがたまのおたのしみなのだった。(今月発売の「四季の味」はここで繰った。)


目録でうっかり買ってしまった『縁なき衆生』にとある古書展のガラスケースで目の当たりにしてうっかり買ってしまった『反射する心』。やはり待っていると、読む機会がめぐってくるものだ。今回、急に中戸川吉二を読むことになったのは、チビチビと読み進めている、『高見順日記』の中戸川吉二読みのくだりにすっかりそそられてしまったから(第3巻・昭和20年4月)。高見順中戸川吉二を、《この「うまさ」は、里見とんの「うまさ」と違う。そしてこの「うまさ」は、不思議に新しい》というふうに総括している。来週はおなじく機会がめぐってくるのをずっと待っていた、未読のまま放置されている里見とんをひさしぶりに何冊か読んでみようと思う。


次に未読の中戸川吉二を読む機会が巡ってくるのは、いつになるのかな。前回の中戸川吉二読みは2006年6月だったので(id:foujita:200606)、今回は二年ぶりだった。曇天の鬱陶しい季節、高見順言うところの、大正文学の「高雅な感興」にひたる時間は本当にもう格別だった。