聴いている音楽

昨日、ふと山野楽器のポイントカードが貯まっていることに気づいて、いそいそとクラシック売場に出かけた。3000円分のお買い物ができるこの機会、なにかとびっきり素敵なディスクと交換したい。と思ってすぐにひらめいたのが、何年も前から気になっていた、鈴木秀美さんのバッハ、無伴奏チェロ組曲。無事在庫があって、よかったよかった。

毎年冬になるといつもに増してバッハを聴く頻度が増える。特に無伴奏チェロ組曲は、ストーブであたたかくした部屋で夜ふけにお茶を飲みながら聴くのにぴったり。こんな冬ごもりのバッハが毎年のおたのしみ。と言っても、全6曲の無伴奏チェロ、まだそんなにはなじんでいなくて、第1番と5番を聴き込んでからまだあまり先に進めていないのだった。今年は何番を強化しよう。


最近よく聴いているレコード。

ピリスとデュメイの名コンビに、ジャン・ワンのチェロが加わったピアノトリオとしては、ブラームスの演奏が絶品で、そのあとでモーツァルトが出たとき嬉々として買ったのだった。全然聴いたことのない曲ばかりでモーツァルトのあまたある室内曲でもそんなに有名ではない曲ばかり。しかし、そんな曲群にこそ、とてもチャーミングな佳品がひそんでいるのがモーツァルトなのだった。初めてこのディスクを買って、まず聴くことになった K.502 の冒頭のあまりの幸福感にはびっくりしたものだった。ピリスとデュメイの名演奏で曲のよさがさらに引き立っている。ここ最近、朝の音楽はこのレコード。何年も前から聴き続けているディスク。


購入本

昨日の昼休み、突発的に買った文庫本。吉村昭さんはあまり読んだことはなく、たまたま読んでいた雑誌でたまたま随筆を読んだりする程度、でもそのたまに読む随筆がいつも好きだった。そんなわけで、ほんの気まぐれで手にとってみたら、目次に「『銀座復興』の思い出」というのを見つけて、まっさきに開いてみると、やはり昭和20年10月の帝劇、六代目菊五郎主演で水上瀧太郎原作、久保田万太郎脚色の舞台、『銀座復興』のことが書いてあった。《その芝居を観た後、私は、久保田氏脚色の「銀座復興」の戯曲を手に入れた。表紙に鮮やかな紺の縦縞が描かれた、しゃれた薄い本であった》という一節を目にして、これとおんなじ本を奥村書店で買ってすぐに読んだときのことを思い出して懐かしかった。万太郎に夢中になったまなしのある冬の日のことだった。他の文章にも「二村定一丸山定夫」というのがったりして、それから、八木義徳の追悼文がとてもよかった。吉行淳之介についての文章には雑誌「風景」に関する言及がある。などなど、いろいろと興味津々な話題が目白押しの、文人エッセイ集。文庫本で出ていなければ読む機会がなかったと思うから、突発的に手にすることになって本当によかった。


今日の帰りは、神保町の東京堂で本を見た。3階からくまなくめぐって、ひさびさに思う存分、東京堂を堪能。貼り出してある各紙書評欄、毎日新聞プーシキンこの3冊という文章があって、急激に『オネーギン』を読み返したくなった。本当にもう、あの小説のあの気分はたまらない。ナボコフによる英訳とその注釈本という酔狂な買い物をしてしまったくらい、『オネーギン』が好きだ。プーシキンはやはりナボコフに鼓舞されて読む人が多いのかも。

散々見て回ったあげく買ったのは、

と、新刊台より2冊。東京堂のあとは、さっそく喫茶店に寄り道して小沢昭一を読んだ。さっそく幸せな気持ちになってくる本読みの時間。東京音頭のことを書いた文章がたのしかった。戸板康二は大学予科の頃で下宿住まいをしていた頃。この先、それこそ好きなレコードを聴くみたいに何度もめくる全6巻のシリーズになるのだと思う。たのしみだ。シモーヌ・ヴェイユ小沢昭一を手にとったその直後発見して、ガバッと手にとって衝動買い。いつからか心の奥底にべたりとついて離れないヴェイユ。全然理解できていないはずなのに離れないのはなぜだろう。バッハの無伴奏チェロを聴きながら、ページを繰ろうと思う。