ほんの物見遊山気分で立ち寄ってみたら、大興奮。ずっとここにいたいッという気にさせられる展覧会。こんなにドキドキするなんて! 前々から大好きなものいろいろが渾然一体となっているような、こんな感じの興奮は、春先の埼玉県立近代美術館の常設展の小村雪岱のときに味わった感覚ととてもよく似ていた。
河野鷹思の名前を知ったのは、昔の日本映画を見るようになってからで、小津安二郎の戦前松竹映画に夢中になった頃。戦前ニッポンの都会派松竹で映画広告をしていた人物、散見されるポスターがとても素敵で、映画のかっこよさが見事に図案化されていて、それにしても昭和モダニズムってなんて素敵なのだろうとぼんやりと思い始めた頃に、ちょっと気にとめた名前だった。それからだいぶたってフィルムセンターの展覧会で「NIPPON」の表紙をみてますますくっきりとその存在を刻んだ。と言いつつも特に突っ込んでいたわけでもなかったので、今回の展覧会で彼の仕事を戦前戦後を通して概観することができたのでなにかと意義深くもあり、とりわけ、戦前の仕事にドキドキしっぱなしだった。
まず、映画のポスター。戦前松竹映画は、日頃から日本映画のなかでもっとも好きな部類のものなので、それだけで浮き浮きで、小津、島津保次郎、清水宏といった名前や、岡田時彦、高田浩吉などなど、前々から大好きな日本映画の系譜を思いつつ、ポスターに見とれる時間。去年の初夏の三百人劇場の、清水宏と島津保次郎の特集上映のことを思い出した。あのときとりわけ心に残った島津保次郎の『家族会議』、横光利一の新聞小説の挿絵は佐野繁次郎だったわけで、そのあたりのつながりを思うと胸が躍りまくり。挿絵といえば、北村小松の新聞小説に添えた河野鷹思の挿絵がなんとも絶妙で絵とデザインとが共存したかっこよさにしみじみ目をこらしたりした。「NIPPON」の展示では1冊だけ、表紙が小村雪岱のものがあって、突如雪岱にまで遭遇するなんて嬉しすぎという感じで、しばらくウィンドウの前から離れ難かった。
去年に田中真澄著『小津安二郎のほうへ』(みすず書房)という本を読んだときに初めて名前を知った北村小松、その著書の装幀は河野鷹思らしい! と、この本で知ってずっとどんな感じか見てみたいと思っていた。その著書の展示は地下にきちんと用意されていたのだから、感激はひとしおだった。北村小松は、慶應在学中、久保田万太郎の作文講義を受けている。奥野信太郎を代表にした「久保田万太郎綴方教室の人物誌」を頭のなかで思い描いてひとりで悦に入っていたものだった。河野鷹思の装幀本、福田勝治写真集『銀座』と『京都』がとっても欲しい! と、所有欲がモクモク。
やっぱり時代のせいなのか戦後よりは戦前の仕事の方がずっと好みだったのだけれども、主に戦後の地下の展示室では、茶道雑誌「淡交」が好きだった。「NIPPON」とおんなじように和のものを扱いながらも紋切型イメージからどこまでも自由でかっこいい。あと、俳優座のポスターにも「おっ」となった。ポスターは河野鷹思で舞台装置は伊藤熹朔、とその字面を眺めるだけで、戸板康二の本を通してうっすらとかつての新劇に憧れているときのような感覚だった。築地小劇場で吉田謙吉の助手をしていたという河野鷹思、吉田謙吉というと今和次郎とともに「考現学」をはじめたひと、紀伊国屋で第一回展覧会が催されている、と、いろいろな連関にひたすらドキドキした河野鷹思展だった。戦前では西條八十の詩雑誌「蝋人形」のデザインをしていたり、関連人物の醸し出す日本の近代の雰囲気にひたすら酔った。
興奮しすぎて会場で思わず散財。
- 『世界のグラフィックデザイン66/河野鷹思』トランスアート(ISBN:4887523343)
このシリーズ、河野鷹思は出ていないのかしらとずっと思っていたのだったが、すでに出ていたらしい。今回の展覧会の図録的なものとなっている。
- 『紙上のモダニズム 1920-30年代日本のグラフィックデザイン』六耀社(ISBN:4897374820)
今日の展覧会で思ったいろいろなことを突っ込んでみたいとこちらも購入。まず心が躍るのは「松竹座と資生堂」のところ。福原信三のもとで意匠部設立、そこに小村雪岱も! とかなんとか、いつまでも大騒ぎ。