折口、近松、獅子文六

今日は出るのが遅くなってしまった。クリスマス一色の銀座を早歩きで横切って、大急ぎで築地へ。目的地は行きつけの京橋図書館。取り置いてもらっている本が何冊かあったのだ。

まずは、芸能学会編の『折口信夫の世界 回想と写真紀行』という本。戸板康二の文章も収録されているとのことなので、どんな本なのか軽く見るつもりだったのだが、これはぜひとももっとじっくり見ないと! と重たい思いをして借りることに。フォークロアの採集でめぐった日本全国のみならず、歌集『春のことぶれ』(昭和5年)に収録の「東京詠物集」をもとに東京をめぐった岡野弘彦の文章が写真も充実していてとてもいい感じだったりする。麻布十番から永坂の更科に寄って昼食をとったことを歌った歌もあって、久保田万太郎の小説のことにも思いが及ぶ。折口信夫を東京本として読むなんて考えたこともなかったので目が覚めるようだった。もちろん目当ての戸板さんの文章もとてもよかった。折口没後50年の今年9月に『三田の折口信夫』を読んだときの興奮が胸に甦る。これから、少しずつ折口に近づいていきたいなとあらためて思う。

あとは近松門左衛門浄瑠璃集2種類。小学館の新編日本古典文学全集だととても読みやすそうで助かる。月報の渡辺保さんの文章に、近松、南北、黙阿弥以外の作家、並木正三や奈河亀輔のような作品も面白く、演劇史はもっと広い視野で書き換えられるべきだ、云々というくだりがあって、浄瑠璃読みへの意欲がさらに増す感じ。歌舞伎や文楽を見るようになって初めて知った読書のたのしみだ。

最後の1册は、獅子文六の『信子・おばあさん』。金子さんの新読前読後(id:kanetaku)で『信子』のくだりを拝見して、いてもたってもいられず図書館のサイトでさっそく予約をしたのだった。『信子』、さっそく帰りの電車のなかで読み始めて、さっそく止まらなくなっているところ。この本にはテレビドラマ化に際しての獅子文六インタヴュウがある。文六先生の文体はフランス行きが大きな影響を与えているとのこと、渡仏前は晦渋な文学青年風の文章ばかりだったのだそうだ。それから、自作に登場する気持ちのいい、ふくらみのある人々について、特に意識しているわけではないけれども自分の好きなタイプの人間を主人公にしている、『自由学校』の五百助は私の性格と正反対、私は自分の性格がちっとも好きじゃないというふうにも獅子文六は語っていて、なんだかいい感じ。鶴見俊輔獅子文六を「モラリストの文学の系譜にある」というふうに書いているのを見て「なるほど!」と深く納得したときのことを思い出した。まだまだ、獅子文六はやめられそうにない。未読がまだまだたくさんあるのが嬉しい。