国立西洋美術館と歌舞伎座

お正月の美術館は相当いいらしい! ということで、上野広小路に出てテクテクと国立西洋美術館へ向かった。その途中、鈴本の前を通りかかった。初席は大行列だった。今日はだいぶあたたか、公園に入って木々の下を歩くのがとても心地よかった、と言いたいところだったけれども、カラスが多数低空飛行していてちとこわかった。夜は歌舞伎座2日目。

お正月の美術館はほどよく見物の人々がいてとてもいい雰囲気だった。音楽漬けのお正月だったせいか、西洋絵画をぼーっと眺めながら様式の流れを頭のなかでいろいろつなげてみるのが今回はことのほか楽しかった。月日をへだてて常設展を見ることで同じ絵を前とは違う感覚で見ることができるという常設展のよろこびを満喫。いつもながらにここの美術館、途中、ワイヤーメッシュの椅子で一休みする時間がとても至福。外はとてもよいお天気。太陽光線が木々に射し屈折している。今回たのしかったのは、16世紀のイタリア絵画のフィレンツェヴェネツィアの比較、北方画家の風景画とイタリアのことのことを思ったことと、あととりわけ心が躍ったのはいつもはぱっと通り過ぎてしまう18世紀絵画のあたり。ちょっと《フィガロの結婚》のことを思い出したり、フラゴナールの軽やかさと柔らかみが実にいいなあと思ったりした。新館に入ったあとのいつも見る好きな絵に再会するのもたのしいもの。たとえばドーミエの《観劇》とか。ファンタン・ラトゥールやクールベ静物画を見て、急に岸田劉生静物画を見たくなってしまった。近代美術館の常設にも近々出かけるつもり。


  • 初春大歌舞伎・夜の部

夜の部も狂言立てがとてもいい感じ、雀右衛門の時姫で始まって、フレッシュな新之助の清心に至る、その合間に玉三郎菊之助の『二人道成寺』。『十六夜清心』で幕末の黙阿弥を見て、来月は『三人吉三』というわけで、来月もたのしみだ。昨日、今日と、今年の初芝居はいい気分で観劇することができて本当によかった。

昨日じっくりと九段目にひたった直後だったせいか、違った意味の「義太熱」にかかってしまい、今回も丸本もの『鎌倉三代記』に大興奮だった。雀右衛門の時姫は一度見たことがあったけれども、当時の記憶というと情けないことに「睡魔とのたたかい」というものしかなかった。が、今回はとっても堪能、やっぱり少しでも歌舞伎を見続けていると見方とか視点が変わってくることでますます面白くなってくるものなのだなあとちょっと浄められた思い。新之助の『十六夜清心』を見終わって帰路についているときも、ずっと上機嫌だった。また初心に戻って歌舞伎を見ようと了簡が入れ替わった初芝居となった。めでたしめでたし。

それにしても、雀右衛門の時姫。去年10月に『金閣寺』を見逃してしまったことが悔やまれる。『鎌倉三代記』はまず曲がきれいというかなんというか、三浦之助がやってきて時姫が介抱して「短い夏の夜」と門口のところの義太夫にのった動きと立ち位置が変わって綿々と続くクドキ、そこの義太夫が実にきれいで雀右衛門の姿にひたすら見とれた。あと、いつもながらに丸本歌舞伎の演出がおもしろくて、いつもながらに小道具遣いがおもしろい。

細かい段取りはちょいとあいまいだけれども、一度目に陣太鼓が鳴って、時姫と三浦之助が七三へ行ったところで、黒子が薬が入っている急須(のようなもの)の置き場所を移動させている、ハテあれは次にどんな展開へとつながってゆくのだろうとちょいと注目してみると、三浦之助が母の介抱へと中央に入るときに時姫から受け取ってふらっとよろけていたのだった(たしか)。それから、幕開けから上手の母のいる障子の前のあたりに石が置いてあるので何だろうとずっと注目していたら、終わりの方で高綱が自分の鎗を立てるのに使っていたり、三浦之助の鎗があそこに置きっぱなしだ、どういう展開になるのかとこれまた注目していたら、終わりの方で高綱がそれを手にとって三浦之助に渡していたり……などなど、舞台に点在している小道具に注目するだけでも飽きないのだった。

登場人物の配置もとても面白かった。細かいことを書いているとまたもやキリがないけれども、始めは道化ふうであとで正体が判明する、それぞれの演じ分けのようなものが幸四郎にばっちりはまっていたのがよかった。扇づかいが実にかっこよかった。それにしても、『鎌倉三代記』、面白かった。もう一度くらいは見に行きたいと思えども。せめて、今回すばらしい義太夫を聴かせてくれた葵太夫さんのホームページの「今月のお役」*2を常にチェックして、舞台の追体験をしていきたいと思っている。