バスにのって

朝目が覚めてラジオのスイッチをつけると、皆川達夫さんの「音楽の泉」がもうすぐ終わろうというところ。ブラームスの《大学祝典序曲》が流れていた。この曲を聴くのは数年ぶりなので猛烈な懐かしさがこみあげてきた。じくり耳をすませてみると、ブラームスならではの管弦楽器の丁寧な細部の処理がよい。来週はシューベルトのピアノトリオが流れるのだそう。1番と2番のどちらが流れるのかな、両方とも大好きな曲。ディスクを何種類か持っているというのに、なぜかラジオで聴けると特別な嬉しさがある。

と、かろうじて早起きにも成功して、いそいそと外出。歌舞伎座の幕見席で、昼の部の『市原野のだんまり』と『毛谷村』を見物した。そのあとしばし銀座でひとやすみしてから、4丁目の停留所からバスにのって、木場の東京都現代美術館へ行った。晴海通りをまっすぐに勝鬨橋を渡って、月島、晴海を通って深川に出るという行程、海と見まごう隅田川の水面が車窓に見えて、このあと何度も小さな水路を渡っていく。日曜日だから道路はすいていて、バスはスイスーイと進んでいって爽快だった。約30分で到着。常設展は日曜日の午後だというのに、えらく閑散としている。上野や竹橋の常設展と比べるとやや物足りないものの、それなりに好きな絵がいくつかあって、なにしろ閑散としているのでぜいたくな気分でゆったりと展示会場を練り歩くことができた。カフェテリア(というか休憩所)でのんびりしてから、外に出て、しばし公園を散歩した。ここから見える空がなんだか独特な感じでたのしかった。

『毛谷村』のことが出ていたのを思い出して、『山口昌男ラビリンス』(ISBN:4336045070)をめくった。この本をめくるといつもだけど、つい他のところを読みふけって、そのたびにワクワクすることとなる。演劇『アマデウス』に言及しているところで、

《『アマデウス』を論じるに際して意外にも言及されていないのは、サリエリモーツァルトの問題を文学作品の中ではじめて論じたプーシキンの劇詩『サリエリモーツァルト』である。……プーシキンは読まれているようでいて、あまり読まれていない大作家なので、今日『サリエリモーツァルト』など探してもあまり容易に手に入らないのかもしれない。》

とあって、このあと山口昌男プーシキンの劇詩を紹介して、ここにちょいとグルックが登場していたので「あっ」となった。昨日たまたま《グルックの主題による変奏曲》に聴き惚れていたばかりだったので、嬉しくなって本棚を探索。プーシキンの『サリエリモーツァルト』はさいわい、わりと最近に刊行された群像社のロシア名作ライブラリーで読むことができるのだ(ISBN:4905821231)。

ついでにそのあたりの棚にあった本をいくつか取り出して寝転がってペラペラといい気分で読んでいるうちに、いつのまにか寝てしまって、今、目が覚めたところ。夕食を食べ損ねた。こんな時間に昼寝をしてしまうとは、無理な早起き(でもない)がたたったのかも。

  • 二月大歌舞伎/歌舞伎座昼の部『市原野のだんまり』『毛谷村』(一幕見)
  • 東京都現代美術館・常設展示《日本の美術、世界の美術─この50年の歩み》*1