唄う圓生、都筑道夫コレクション

土曜日に鎌倉で吉朝さんの独演会を堪能して以来、頭のなかは上方落語への思いでいっぱい。レコード屋さんに走れ! といきたいところだったが、すぐさま散財に走るのはわたしの悪い癖なので、手持ちのディスクで気を紛らわせることにして、ひさしぶりに圓生の『三十石』を聴いた。そしたら、突然ハマってしまった。以前は『三十石』では、船頭の舟唄を唄うくだりだけにひたすら「クーッ!」としびれていて、そこばかりに耳をそばだてていたけれども、あらためてじっくり聴いてみると、道中のどこもかしこがいいなあと鷹揚にポワーンと雰囲気にひたって、しみじみいい。二人連れの江戸の者、京から大阪を見物しようと伏見街道に出る。宿に入って、そのあと乗船、といった感じに、場所が移動していろいろな人と居合わせたりすれ違ったり。舟がプカプカと移動してゆく、その浮遊感、ゆっくりと噺の進行とともに移動していくのにひたるのが気持ちいい。

圓生のマクラによると、円喬が上方から持ちかえったのを先代の五代目圓生が口演していたのをもったいないので復活させたとのこと。「権兵衛こんにゃく船頭が利」という五代目松鶴に教えてもらったサゲがあって、これは「骨折り損のくたびれもうけ」という意味の関西のことわざ「権兵衛コンニャクしんどが利」をもじったもの、というくだりが面白かったので、メモ。以来、「権兵衛コンニャクしんどが利」という言葉が妙に気に入ってしまって頭にへばりついて離れない。関西人には知られている諺なのだろうか。

というふうに、圓生の『三十石』にことのほか夢中だったので、唄う圓生つながりということで、今度は「圓生百席」の『乳房榎』をひさびさに聴いてみたら、これまたハマってしまったところ。梅雨もあけたことだし、しばらく円朝を強化しようかとも思っている。


購入本

前々からとても気になりつつも手を出していなかった光文社文庫の「都筑道夫コレクション」を教文館でなんとはなしに立ち読みしてびっくり、『推理作家の出来るまで』を読んでいたくそそられた『やぶにらみの時計』がしっかりと「都筑道夫コレクション」の《初期作品集》に収録されていたのだった。今まで見逃していたのはとんだドジだった、こうしてはいられないとさっそく買おうと心に決めたあとで、ほかの巻を立ち読みしてみると、どれもこれもいたく秀逸な編集ぶりで、店頭でペラペラめくっているだけでうっとりだった。小説作品のみならず、対談記事とかエッセイ、単行本のあとがきなどが収録されていて、都筑道夫への敬愛に満ち満ちた編集ぶりで、都筑道夫入門として読むのにいかにもぴったりだと遅れ馳せながら思った次第。とにかく、こうしてはいられないと『やぶにらみの時計』の収録されている《初期作品集》と『猫の下に釘をうて』の2冊を買った。「都筑道夫コレクション」は全10冊、リストの順番にこれから大事に少しずつ読んでいくことに決めた。たのしみ、たのしみ。

と、水曜日、教文館で突発的に都筑道夫を購入して、すぐさまコーヒーショップに移動、さっそく『やぶにらみの時計』を読み始めてみたらさっそく止まらなくなってしまって、今週は映画館に行き損ねてしまった。都筑道夫は『やぶにらみの時計』のことを、昭和35年9月1日の夜に東京で珍しく大きな夕立があって、そこでひらめいて、夕立を発端にして24時間以内に事件を終わらせるようにすると同時に、1960年の東京風俗を9月2日に集約して描くことを意図した、というふうに書いている。そのくだりを『推理作家の出来るまで』で読んで、ぜひとも読んでみたい! と思ったのだったが、いざ読んでみると、そんな期待に見事にこたえてくれる、一分の隙もなくかっこいい推理小説。当初の期待の東京小説としても秀逸で、都電のある風景、昔の日本映画の冴え渡った東京描写を眺めて心がスイングしているのとまったく同じ歓びも。メロメロだった。

都筑道夫コレクション」の最終配本の『女を逃がすな』の解説は北村薫、「この十冊本は、稀に見る名選集ですよ!」とメガホンを口に当て大声で叫びたい、というようなことが書いてある。まさしくその通りなのだと思う。それから、北村薫は「なめくじ長屋シリーズ」のことを、落語の世界を踏まえている箇所がいくつもある、『黄金餅』の言い立てを踏まえているとおぼしき箇所を発見して、「やってる、やってる」と快哉を叫んだ、ということも書いていて、嬉しかった。

『やぶにらみの時計』にも道中立てっぽい箇所があって、まさしく「やってる、やってる」と快哉だった。タクシーの運転手とのやりとりで、

《「中野へは、どういう道順でいくんだい?」/車は公孫樹の並木を、馬場先門にかかって、信号待ちだ。/「さいですな。馬場先門からお堀っばた、清麻呂さんにあいさつをして九段下、靖国神社を右に見て、坂をあがって市ヶ谷から、つわものどもの夢のあと、参謀本部の前をぬけ、雨のふる日は合羽坂、水嵩まさる河田町から大久保へ、百人町から柏木と宮園通りをとおりぬけ、ついたところが中野駅、てえのはどうです? ちょうとした道中づけでがしょう。」》

とかなんとか、『やぶにらみの時計』、登場する人物全員がひとくせあって、新たな人物が登場するたびにワクワクだった。

都筑道夫コレクション」の『女を逃がすな』、表題作の『女を逃がすな』もなんでもないようでいて、なんだかグッとなった。ここに収録されている短篇、どれもこれもよくて、『四十二の目』みたいなのが好きだなあ。最後の『クレオパトラの眼』は真鍋博との絵本で出版されたのだそうで、いかにも絵本にぴったりだったので納得だった。『やぶにらみの時計』の単行本もたしか真鍋博の装幀で、古本屋でしばし見とれた。ちょっと手が出ない値段だったけど見られて嬉しかった。

というわけで、次は『猫の舌に釘をうて』だ。「都筑道夫コレクション」のこの先もとてもたのしみ。とにかくすばらしい選集で、都筑ファンになりたての者としてはありがたいかぎりで、編者の新保博久さんに拍手、と同時に、こういうすばらしい選集を作らせてしまう都筑道夫その人にもひたすら拍手なのだった。