神保町日記

夕刻、いそいそと神保町へ。岩波ブックセンターで「彷書月刊」の長谷川郁夫さんのページを立ち読みしたあと「図書」の新しい号を入手、大雲堂や巌松堂の入口近くの棚をさらっと見て、田村書店の均一コーナーは天候不安定ため見られなくて残念、そんなこんなしたあと東京堂の新刊台をチェック、というようなコースをたどったあとで、ビールをグビグビ飲んだ。

金子さん(id:kanetaku)と西秋書店さん(http://www1.ocn.ne.jp/~nishiaki/)との暑気払いが本日やっと実現。先月、地下室の古書展http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/)の会場で立ち話をしたのを機に「今度飲みに行きましょう!」という展開になっていたのだった。本当にもう時間があっという間に過ぎて、いやあ、実に楽しかった。と、飲み会が楽しかったばかりではなく、とてもよい本を何冊も仕入れることができて、こんなにいいことづくめでいいのかしらというくらい、わたしにとってはいいことづくめだった。

目録が届かないので薄々感づいてはいたけれども、伊勢丹新宿店の古本市が今年からなくなってしまったと知って、がっかり。と、本当にがっかりしたのは数時間あとのことで、知った直後は「散財しないで済んでやれやれ助かった」と思わず安心してしまったという不謹慎なわたしであった。あとでひとりで反省会を開いた。去年の梅雨の頃に、戸板康二がらみの藤木秀吉遺稿集『武蔵屋本考』という本をえいっと買ったのを機に伊勢丹古書市の目録が届いて、お盆休みに初めて訪れることになって、お正月休みと合わせて計2回だけだったけど、伊勢丹新宿店ではずいぶんよい本を仕入れることができた。思えば『武蔵屋本考』をきっかけに始まった散財だったなあとしばし追憶にひたった。でもまあ、追憶ばかりもしていられない。次回の「地下室の古書展」は10月中旬に開催とのこと。今からとってもたのしみ。

購入本

金子さんから川本三郎『日本すみずみ紀行』(現代教養文庫)と『阿佐田哲也の怪しい交遊録』(集英社文庫)をわーいとちょうだいした(もらってばかりのわたし…)。阿佐田哲也の解説はなんと談志師匠! 《東京大空襲のあの三月十日の夜に、何と山茶花究達が浅草の仲間の家で始まった博打を、眺めていたそうな。……野坂の焼跡経験なんざあ、小せえ、小せえ。》という一節があった。まっさきに読んだのは江國滋のところ。かねてからの愛読書の江國滋『落語美学』(旺文社文庫)に色川武大はとても素敵な解説を寄せていて、そのことをちょっと思い出したのだった。次にめくったのは小沢昭一のところで、小沢昭一色川武大が1929年生まれの同い年ということに初めて気づいた。思えば都筑道夫も1929年生まれの巳年。「昭和四年生まれ・人物誌」はもしかしたらスゴイのかもと思った(ついでに富十郎も1929年生まれ、さらについでにアンドレ・プレヴィンも)。

以下は、西秋さんにお取り置きをお願いしていたり見繕っていただいたりした本。

先月末にうっかり購入を見送ってしまった切望していた『江戸歌舞伎集』を、これまた念願の郡司正勝校注『東海道四谷怪談』とセットで2000円で買うことができた。わーい、先月購入を見送っていたのは虫が知らせたのかもとセコい喜びにひたった。『御摂勧進帳』も『四谷怪談』も岩波文庫で読むことができるのであるが、こういうちょいと立派な本でもって姿勢を正して読むのが好きだ。『チェーホフの手帖』に「教授の見解。――大切なのはシェークスピアではなく、これに加えられる注釈なり」という一節があるのだけれども、まあ、なんというか、古典文学全集の部類を読むたのしみは詳細な注釈に胸を躍らせるたのしみと言ってしまってもよいのかもしれない。

江戸歌舞伎集』は、2年前の歌舞伎座で弁慶の「芋荒い」のシーンがある『御摂勧進帳』の上演があったときに、脚本がこの本に収録されているのを図書館で発見して気が向いて借り出したのだったが、いったん読みはじめると、突然夢中だった。とにもかくにも注釈がすばらしい。大興奮のあまり読書ノートを作成してしまったくらい。この『江戸歌舞伎集』、歌舞伎好きにとっては読んで損はないというよりも、読まないと確実に損をしていると思う。などと、つい自慢したくなるような、とにかくも面白い一冊だった。團十郎の名前を息子にゆずって海老蔵になっている四代目團十郎、五代目團十郎、初代仲蔵、四代目幸四郎などが出演の安永2年の中村座の顔見世興行。去年に「圓生百席」の『中村仲蔵』に感動したのを機にいろいろ本をめくって、歌舞伎の歴史を眺めてみると、四代目團十郎、五代目團十郎の時代がべらぼうに面白いとしみじみ思ったものだった。『江戸歌舞伎集』入手を機にちょっと勉強するとしよう。

8月に歌舞伎座に備えて、前々から非常に気になっていた郡司正勝校注の『四谷怪談』を張り切って入手。この新潮日本古典集成版『四谷怪談』といえば、『人魚を見た人』所収の「八月の夜のまぼろし」にて洲之内徹が読んでいた本、ということで長らくわたしの心に刻まれてあったのだった。「八月の夜のまぼろし」で洲之内徹戸板康二『芝居名所一幕見』さながらに『四谷怪談』の舞台をめぐって東京歩きをしている。洲之内徹と同じ本を読むことができるのがまず嬉しい。8月といえば、わたしにとっては洲之内徹を読み始めた月、今年の8月は奇しくも『四谷怪談』を見ることができる、という巡り合わせ。このところ、頭のなかは9月の文楽のことでいっぱいで、さらに11月の国立文楽劇場忠臣蔵の通しだそうだから、今度こそ本当に大阪へ行っちゃおうかしらッ、と頭のなかはさらに文楽一色だった。……歌舞伎の方に戻さないといけない。

  • 酒井忠康『遠い太鼓 日本近代美術私考』(小沢書店、1990年)

図書館で借りて特に好きだった酒井忠康の小沢書店本を入手。この8月、洲之内徹と合わせて、じっくり読み返すとしよう。これを機に、小沢書店発行の酒井忠康さんの著書をリストにしてみた。

    • 『海の鎖 描かれた維新 』(1977年→1992年新版)
    • 『野の扉 描かれた辺境 』(1980年)
    • 『影の町 描かれた近代』(1983年)
    • 『彫刻の庭 現代彫刻の世界』(1982年)
    • 『魂の樹 現代彫刻の世界』(1988年)
    • 『森の掟 現代彫刻の世界 』(1993年)
    • 『彫刻の絆 現代彫刻の世界』(1997年)

『海の鎖』『野の扉』『影の町』が日本近代美術論の三部作。今回入手した『遠い太鼓』は『影の町』以降に書かれた文章を収録している。小沢書店以外にも著書多数なので、これからいろいろ読むのが楽しみ。

古本屋や古書展でちょくちょく見かける里見とんの単行本で、買う本がなかったら手に取ろうと見かけるたびに思いつつもずっと機会を逃していた。いざ入手してみると、やっぱりとてもいい感じで、部屋のソファでくつろいでお茶を飲みながらこういう随筆集を読むのが大好きだなあと、とても好きな作家がいて、その未読本がまだまだたくさんあっておたのしみもまだまだこれからだ、というような歓びの根幹にひたった。昭和36年から45年までの新聞や雑誌に発表した随筆を収録していて、鎌倉扇ヶ谷の自宅で老境の時間を過ごす里見とんが往年の時代を遠くから見通している姿がとてもいい感じのメモワール的文章を中心にしている。「九九九会・人物誌」を追求せねばと、あらためて思った。やっぱりこのあたりの諸々が大好きだなあと嬉しくなってくる本。「新派と私」というタイトルの、新橋演舞場の筋書に連載していた文章が最後に収録されていて、冒頭で「新派は私と同い年」と明治21年生れの里見とんは書く。これを見て「あっ」と、何カ月か前に有楽町を歩いていた折にどこかで「宝塚九十周年」のポスターに遭遇した瞬間、今年生誕89年の戸板康二は宝塚とほぼ同い年なのだ! と天啓のようにひらめいたことを思い出した。なにが天啓なんだか。でも日本演劇史とともに戸板康二とその時代を捉える際に結構重要なことのような気がする。(そうか?)

  • 雑誌「国文学 解釈と鑑賞」昭和38年1月臨時増刊号《江戸・東京風物誌》

これは今までまったく知らなかった嬉しい本。「江戸・東京のおもかげ」は宮尾しげを、「江戸・東京の寄席」は榎本滋民、「劇壇・江戸から東京へ」は郡司正勝、「東京の活動大写真」は飯島正、「花街今昔」は遠藤為春、「東京の百貨店今昔」は池田文痴菴、……といった顔ぶれがたまらない。と思いつつ目次を眺めていたら、「東京の春夏秋冬」というタイトルの座談会が、久保田万太郎安藤鶴夫・小絲源太郎・戸板康二と、「顔ぶれがたまらない」の極致のようなメンバーで大喜びだった。いろいろな本を読む際の絶好のサイドテキスト。

  • 池島信平『雑誌記者』(中公文庫、昭和52年)

文藝春秋の編集者による回想録。戦後の文春復興のところでは車谷弘が登場したりして、戸板康二とその時代を考える上でも編集者による回想録は欠かせないと後日の資料のため入手。大村彦次郎さんの「文壇三部作」を読み返したくなったりも。