ふぐで死んだ男

予約していた松鶴ディスク『らくだ』が入荷していたので、こうしてはいられないと京橋図書館へ出かけた。同じく予約していた、武智鉄二と八代目三津五郎の対談集『芸十夜』(駸々堂、昭和47年)と一緒に借り出して、タリーズへ移動して、コーヒー片手にのんびり読書。のはずが、『芸十夜』を繰ってみたらさっそく大興奮、のんびりコーヒーを飲んでいる場合ではなかった。うーむ、尋常じゃないくらい面白い。1ページ目に武智鉄二が「芸」に興味を持つきっかけとして大阪の寄席のことが登場して、1ページ目からさっそく引き込まれて、コーヒーもそこそこにランランとページを繰っていって、初代仲蔵の芸は團十郎の本筋ではないと五代目團十郎が言っていて、五代目幸四郎は仲蔵の影響を受けていたけれども團十郎の芸を研究していて、團十郎菊五郎と二つに分かれているけれども、これは七代目と三代目の個性の違いで、受け継いでいるものは幸四郎、云々といったあたりで、時間になったので本を閉じた。それにしても、すごい本。びっくりしたなあ、もう。

お昼ごはんのあと、コーヒーを前にだらだらと長居しているうちに急に江戸東京博物館へ行こう! という成りゆきになって、いそいそと外に出た。いきなり江戸東京博物館に行くことになろうとは、まったくなにが起こるかわからない。隅田川をわたって、いざ両国へ。江戸博の常設展は今まで3回ほど見物したことがあって、そのたびに大はしゃぎしている。前にいつ来たかも覚えていないくらいひさしぶりだったけれども、今回も結構たのしんだ。館内は家族連れが多くて、いかにも夏休みという感じ。ワアワア言いながら練り歩いて、こちらも行楽気分でずいぶん和んだ。特別展の《エルミタージュ美術館展》もついでに見物。こちらは大混雑、いつも思うのだけど、江戸博の特別展の方の会場ももうちょっとゆったりとした設計ができなかったのかなあと思う。などと当初はぶつくさ言っていたのだけれども、展覧会見物はことのほか楽しくて、思いもかけなかった刺激を受けたりもした。お金を出してまで見ていたかと問われるとちょっと答えに詰まるけれども、ひょんな成りゆきで見ることになった展覧会で意外な刺激を得る、というのはいつも嬉しい。

隅田川の花火大会で大混雑の両国駅にたどりついて、ビヤステーション両国に一瞬そそられつつも、さっさと電車に乗り込んだ。隅田川を渡る瞬間にはいつもワクワク。夕刻の空がとてもきれい。今度、隅田川以東に出かけるのはいつになるのかな。

帰宅後の夜ふけ、六代目松鶴の『らくだ』を聴いて、ソクソクと震える。紙屑屋がだんだん酔ってゆくところがとにかくすごい。ポロポロと涙が出てきた。1度通して聴いてガツーンとなって、並み大抵の覚悟では2度目は聴けそうもないという、ちょっと怖いくらいのディスク。志ん朝の『文七元結』とか『お直し』も2回目が聴けないでいる。

展覧会メモ

どう間違ってこんな建築になってしまったのだろう、もうちょっとなんとかならなかったのだろうか、この長いエスカレーターはいったい、悪趣味の極致、などなど、初めて来たときから悪口の言いどおしの博物館だけれども、いざ中に入ってしまえば平気。展示そのものは結構好きで、広大なスペースを順路に添って練り歩くのは毎回たのしい。「江戸ゾーン」でエネルギーを使い果してしまって、「東京ゾーン」での見物がつい駆け足になってしまう、といつも同じ反省をしている。

東京ゾーンでは、「浅草の活動大写真」コーナーに興奮。紹介 VTR が用意されていて、尾上松之助とか阪東妻三郎のチャンバラ映画の一場面を見ることができるのが嬉しくて、キャー! と、つい何度もリピートしてしまった。「江戸ゾーン」は博物館入場と同時に渡ることになる日本橋の模型の下に見える、顔見世興行まっただ中の中村座(だったかな)の内部の「江戸の美」の展示がいつも好きだったけれども、今回は、武家の暮らしと町のくらし、その日用品の展示がとりわけ面白かった。今戸焼のところでは落語の『今戸の狐』を思い出し、江戸時代の歯ブラシのところでは急に歌舞伎の『髪結新三』のことを思い出したり、そんな類推もいつもたのしい。意外にもいつも堪能なのが江戸の商業のところ。「浮世稽古荷上り繁昌」というタイトルの歌川芳虎の浮世絵があって、当時の物価上昇を三味線の「二上り」と「荷上り」をかけて風刺していて、こういうのって好きだなあとにんまりだった。上方との流通とか金融のところに「おっ」となる。それから、当時の広告商標とかもおもしろい。もちろん、貸本屋金蔵のことを思い出す江戸の出版のところも大好き。図書室に行きたいと思いつつ、いつも行き損ねている。

サンクトペテルブルクが去年に建都300年を迎えたのを記念して、エカテリーナ2世の治世時代に焦点をしぼってエルミタージュ美術館所蔵の美術品を展示、という主旨の展覧会で、デーンと中心に展示の黄金の馬車といい、あとの方でたくさん見ることになるいかにも高価そうな宝石をちりばめた小物類といい、どうもある種の田舎臭さ、洗練の対極にある感じは否めないのだけれども、それなりに興味深いところは多々あって、意外にも結構たのしんだ展覧会だった。

エカテリーナ時代のことを大まかにたどることで、日頃愛読している19世紀ロシア文学の前史を感じることができるという刺激がまずあって、江戸博での展覧会らしく「都市」を捉えようとしているところもよかった。一番の収穫は、その「都市」としてのサンクトペテルブルクをじっくりと味わうことができたこと。18世紀のサンクトペテルブルクの様子を当時の水彩版画で知ることができる。その水彩版画がどれもこれもとても美しくて、1枚1枚を眺めることで、この町が生んだナボコフやブロツキーのことを思い出したりもする。ネヴァ川の河岸、海沿いの港町、いくつかの文学者による文章で読んでうっとりしていた、かねてからの憧れのサンクトペテルブルクのことがスーッと胸に浸透してきて、かつて読んだ本をいろいろ思い出すという一連のひとときがとてもよかった。サンクトペテルブルクの「青銅の騎士」像のところではプーシキンの韻文を思い出してうっとりだった。どこまでも人工的な町、サンクトペテルブルク。かつて夢中になって読んだ、諸々のロシア文学論に思いが及んでワクワクした。

それから、器とか陶器などの工芸品を眺めるのもいつもたのしくて、それが自分自身の趣味には合わなくても、その意匠に目をこらすのはいつも刺激的。18世紀の西欧諸国のあらゆる分野で流行していた中国趣味に関するところではシノワズリー文様が面白くて、コーヒー好きな女帝はカップも中国風にしていたという。そのコーヒーカップを見たかった! とても面白かったのが、ウェッジウッド製の食器セット。カエルの小さな文様がキュートで食器の一枚一枚にはイギリスの風景が描かれている。そのいわれは、ペテルブルク郊外に赴く途中に立ち寄るケケレケクシネン宮殿の「ケケレケクシネン」がフィンランド語で「カエルの沼」を意味することに由来するのだそうで(思わずメモしてしまった)、そんなちょっとしたことが面白かった。イギリスの風景が描かれていることについては、ネオゴシックの伝統というのが当時のヨーロッパで流行していたことが背景になっていて、イギリスの庭園芸術に関心が寄せられていた、とあった。面白いなあと思った。エカテリーナ2世のおかげでサンクトペテルブルクでの工芸が大発達、という展開にもなるほどという感じ。18世紀後半の精緻なガラス工芸の技術にも「おっ」と目をこらしたりとか、アクセサリーや煙草ケースの文様も面白かった。江戸の煙草入れも大好きで、喫煙の習慣はないけれども、タバコをとりまく日用品はいいなあといつも思う。