歌舞伎座の『四谷怪談』

2000年8月にほぼ同じキャストで見た『四谷怪談』がとても面白かったという記憶があったので、あれから4年、あのすばらしい『四谷怪談』がまた見られるなんて! と大喜びだった。大喜びのあまり、思わず2回見に行くことに決めて、今日が1回目。郡司正勝校注『東海道四谷怪談』のテキストを入手して、とても張り切っていた。4年前の上演のあとも岩波文庫で読んでいるはずなのに、まるで初めて読んだときのようにウキウキとページを繰った。前回読んだときは『四谷怪談』が『忠臣蔵』の外伝だと知りつつも、特に気にとめたりはしていなかったということに気づいた。思えば、『忠臣蔵』を初めて見たのは、4年前の『四谷怪談』の次の月の国立劇場での文楽通し上演で、歌舞伎の『忠臣蔵』を初めて見たのは、文楽の次の年の新橋演舞場での菊五郎劇団の通し上演と同月の歌舞伎座の九段目上演のとき。なので、前回『四谷怪談』を見たときはなんとまだ『忠臣蔵』を知らなかったということになる。『四谷怪談』のテキストを何年ぶりかであらためてじっくりと読んでみると、まずは『忠臣蔵』のパロディとしての『四谷怪談』ということにまずはしみじみと感じ入ってしまって、本当に歌舞伎って面白いなあと思った。南北の集大成という面が多々あるということを注釈のあちこちで知って、先月も桜姫を見逃してしまったりと、実は今まで南北劇をじっくりと見たことが少ないということにも気づいた。それから、『四谷怪談』のテキストを読んでなんといっても面白かったのが、そこに現われる言葉の数々。武家と町人の言葉の使い分けを目の当たりにしているうちに、落語のことを思ったりも。落語のことを思っているうちに、文化・文政にますます盛んになった落語、その時代感覚、その特質や諸芸のことなどなど、ぼんやりとだけどいろいろなことに心が及ぶ。なにかと刺激的だった。

などと、事前に本にのめりこみすぎたのがいけなかったのか、とてもたのしみしていた歌舞伎座の『四谷怪談』、前回ほどはたのしめなくてがっかり。うーむ、どうしたことか。単に体調が悪かったのかもしれない。来週にまた見物予定なので、もう一度見てから、とっくり考えるとしよう。

場内が暗くなって浪宅になったところでやっと、しみじみとじっくりと劇世界にひたった。勘九郎のお岩が、伊右衛門に伊藤様へ挨拶に行ってくれと頼んで、一人になったあと隣家の親切に対して綿々と感謝するところがしみじみ哀れで、高野方の人間に対してそんなに感謝してしまって、この人には武家の女の矜持というものはないのだろうかと思うけれども、父は浪人し一家は困窮、あげくのはてに父は殺され、夫は冷徹、現在は体調不良、それまでのお岩の人生はこれでもかと不幸続き、そんなお岩にとって伊藤家の親切はたったひとつの救いだったのだろう。やがて真相を知って、たったひとつの救いだった伊藤家の親切も策略だったことがわかる。のみならず、感謝しながら飲んだ毒薬で顔面が崩れて、そんな顔はさすがの私もイヤだというようなことをあとで宅悦に言われることとなり、宅悦に迫られて断わるところでかろうじて見せる武家の女の矜持もズタズタに引き裂かれる。こんな目にあわされて、いったいお岩にはあと何が残るだろう、もう化けて出るよりほか方法がないだろう、という流れがとてもリアルに感じられて、とてもよかった。観客はそんなお岩を可哀想だと同情しつつしんみりとその劇世界にひたるわけだけれども、真相を知って半狂乱になるあたりから、お岩は異形の存在へと移行してゆき、観客の共感を呼ぶ対象ではなくなる。お岩はあちら側の世界へといってしまって、髪梳きを始めるとお岩は見世物小屋の見世物のような存在になる、というような流れが、今回の勘九郎で「なるほどッ」と思った。あとで、何回か出てくるお岩の幽霊と生きていた頃のお岩さんとは別もので、その移行過程としての髪梳きという感じで、この点でも、勘九郎のお岩はとってもリアルだった。

なんて、見世物小屋ということを思ったのは、「悪意と笑い」というサブタイトルがついている、廣末保著『四谷怪談』(岩波新書)を読んだ直後だったから。前回4年前に見たときは、髪梳きはもっと悲壮感がただよっていたような気がするけれども、どうだったのだろう。

四谷怪談』のテキストの細部のあちこちを堪能したあとだと、実際の舞台で見ると、浪宅までの流れがあっさりしすぎているように感じられて、ちょっと物足りなかった。と言いつつも、三津五郎の直助が実にぴったりで、愛嬌あふれる悪党ぶりがとてもよくて、この直助で「三角屋敷」が見たい! と思った。勘九郎の与茂七も、義士ではあるけれどもちょいと浮気で偉そうなところはない、という役柄がとてもよくはまっていた。勘九郎三津五郎の共演はいつもとても嬉しい。8月の歌舞伎座では、毎年一度はちょいとあだっぽいイキななりの福助に見とれるということがある。今回も福助、お袖役もいかにもぴったりだったけれども、隠亡堀のお花の扮装がとてもよくて、だんまりのときはつい福助ばかりに目が行ってしまった。4年前に見たときも今回も、橋之助伊右衛門はまずは姿がとてもサマになっていてかっこいい。伊右衛門は悪人といいつつも、「悪の華!」というようなかっこよさは全然なくて、小心で実は結構つまらない男という気がする。そのあたりの伊右衛門像が橋之助はバシッとハマっていた。お梅さんが一目ぼれしてしまったりとか、実は結構つまらない男なのについつい女が吸い寄せられていってしまうというような、理屈抜きの色気があふれんばかり、というような伊右衛門をいつか見てみたいものだと思う。

戸板返しや早替わりなどのしかけも、前回はいちいち「ワーオ!」と大興奮だったというのに、今回はあまりよろこぶこともなく、浪宅のあとは終始淡々としてしまった。今回が初めて見た『四谷怪談』だったとしたら、前回みたいに大喜びしていたのか、このあたりはちょっと謎である。まあ、とにかく、もう一度見てから、とっくり考えるとしよう。