リパッティ、ブリヂストン美術館、小村雪岱

foujita2004-09-10

聴いている音楽

一昨日にピリスを聴いてリパッティを思い出していたところだったところで、今朝棚から出てきたのはリパッティの同じくワルツ集。リパッティを聴くようになったのは、何年か前の、桜の花が満開のころ。日仏学院の図書室で見ていたフランスの音楽雑誌の記事でムターが思い入れのある演奏家として名を挙げているのを見たのがきっかけだった。好きな演奏家から別の新たな演奏家へと波及するのはいつもとても嬉しいことだ。20世紀が残り少なくなってきたころのことで、リパッティのディスクは PHILIPS から続々と発売になった "Great Pianists of the 20th Century" を買ったのが最初だった。 "Great Pianists of the 20th Century" ではいろいろなピアニストを知ることができたなあと思う。いったん聴き始めるとス―ッと夢中になって、次から次へと聴くようになって、以来、リパッティは好きなピアニストを3人挙げるとすれば必ず入るピアニスト(あとの二人が誰かな)。……などと、虫干しにはどうしても追憶がつきまとう。せっかくなのでもう少し続けてみよう。

というわけで、朝は嬉々とワルツ集を流した。帰宅後は、ブザンソン・ライヴ盤を猛烈に聴きたくなってしまったけれども、虫干しを続けるうちにそのディスクもすぐに出てくるであろう。夜もおんなじディスクでショパン。明日はちょっと朝寝坊できるのでつい夜ふかし、低音量で音楽を流しながら、明日の予習に謡曲集の文字を追った。シンシンといい心持ち。

展覧会メモ

午後、窓の外は激しい通り雨で、どうしたものかと思っていたけれども、外に出る頃にはだいぶ小降りになった。ずっと前から今日はブリヂストン美術館に寄り道することに決めていたのだ。意気揚揚と競歩状態で美術館に直進して、ずいぶん長居をした。8時の閉館の間際に外に出てみると、雨はすっかりあがっていた。

所蔵の絵を時系列に見ていくことになるのだけれども、ブロックごとに小部屋のように区切られていて、下はふかふかの絨毯でいくぶん暗めの照明、空いている館内では何度も何度も独占状態になる。そんな画廊気分の見物がたのしくて、なんといってもいい絵がたくさん惜しげもなく展示してあるので、ずいぶん長居をしてしまった。各ブロックごとに掲示してあるその時代や様式の説明書きの感じがとても親しみやすい感じで、「美術再入門」という気分になった。無心に次から次へと絵にひたって、これから先いろいろ絵を見ていきたいと、展覧会でいい気分になったときにいつも思うことをモクモクと思った。それにしても、すばらしい美術館だ。たまに平日の夜にブリヂストン美術館に寄り道、ということをこれからもしていきたいものだ。

はじまりのレンブラントでさっそく大喜びで、歩を進めつつ、時代や地域や様式の変遷に思いを馳せる。物語画が中心だったのが、19世紀に入ると風景画が隆盛、同時に「都市」の時代となる、という流れを、実際の絵画でたどるのがとても面白くて、マネのオペラ座の仮面舞踏会の絵がとても好きだった。印象派から後期印象派へのおなじみの流れもとてもよくて、いかにもジャポニズムな時代のゴーガンの背景に団扇のある静物画がよかった。などと、好きな絵をあげていくとキリがなくなるのだけれども、いつもつい立ち止まるのはセザンヌのところ。ボナールとかデュフィやルソーなどなど、日頃から好きな画家の絵を見られるのはやっぱり嬉しくて、ルドンやフォートリエもいいなあと思った。

などと、外国の画家も絵だけでもたいへん堪能なのだけれども、この美術館は日本の洋画にいい絵がたくさんあって、ここだけでもこの美術館に何度でも来てしまうのだった。明治の洋画の黎明期のさまざまな絵もとても興味深くて、今回とりわけ「おっ」となったのが岡田三郎助の婦人像。年代を見ると1907年のこの絵は三越のポスターに使われたもので、高橋箒庵の夫人を描いている。三越の高橋箒庵の名前は、何年か前の早稲田の演劇博物館の《五代目歌右衛門展》のときに心に深く刻んで、そのあたりの諸々がとても面白かった。先日の歌舞伎座で五代目歌右衛門展のことを思い出していたばかりだったので、まさしく「おっ」ととても刺激的。いろいろと展覧会の復習をしようと思う。

絵そのものでいえば、関根正二の《子供》にとにかく胸がいっぱい、キラキラと眩しくてツーンとなってくる。中村彝のレンブラント風の自画像はまさしく光にあふれていて、どうしてこんなふうになるのだろうと奇跡的な感じだ。岸田劉生の麗子像がなかったのは残念だったけど、上半分に重点がいっている銀座を描いた絵が面白かった。小出楢重の自画像が大好きで、藤田嗣治静物画も大好き。大好きな絵がたくさんありすぎる。最後に見ることになったのは岡鹿之助の《雪の発電所》。スーラやルソーが好きで、パリでいろいろな絵を見て吸収して日本人としての自らのマティエールを生み出していった結果が、先ほどフランスの絵画を見たばかりでかつ日本洋画の黎明を感じた直後に見ると、なおのことじっくりと心に浸透してくるのだった。

購入本

ブリヂストン美術館では図録を買おうかどうかずいぶん迷った。またいつでも来るのだし、と図録は見送って、ポストカード(1枚50円)を4枚買った。帰宅すると、週末にふと先月の川越行きを追憶した際に思い出して、通信販売で申しこんだ図録が2冊届いていた。

さいたま文学館http://www.mmjp.or.jp/saibun/)の《文と絵との出合い》は、田中屋美術館の小村雪岱の展示室に置いてあったもの。雪岱筆の「演芸画報」の表紙画がそのまま図録の表紙になっている。書物と装幀や挿絵などの美術との関わりは、いつでもどこでもたいへん魅惑的で、こういう部類の本は見つけるたびに欲しくなる。小村雪岱のほかには、埼玉ゆかりの文学者ということで、武者小路実篤千家元麿白樺派の画家、歌人・加藤克巳と瑛九といったページがあって、それぞれがなかなかいい。と、図版だけでも満足だけれども、この図録は巻末の雪岱資料が大充実で、装幀本のみならず雑誌掲載の挿絵リスト、没後の文献目録が完備というすばらしいもの。川越に行って以来、雪岱熱が再燃の身としてはなんども嬉しい資料。川越の田中屋美術館で存在を教えてもらったので、絶好の川越土産となった。

《文と絵との出合い》目当てにさいたま文学館のサイトを眺めると、安藤鶴夫展も開催されていたとのことで、「おっ」と一緒に注文した。安藤鶴夫の展覧会は、四谷若葉町にほど近い新宿歴史博物館(http://www.regasu-shinjuku.or.jp/46.html)でも開催されたことがあって、その図録を買いがてら深い考えもなく訪れたのが新宿歴史博物館を見学した最初で、思いのほか余波の大きい博物館行きとなったのだった。さいたま文学館安藤鶴夫展が開催されたのは、奥さんの実家の桶川に疎開していたという縁があるから。図録には桶川での見聞がもとになっている『不二』という短篇小説が雑誌掲載のままに載せてあって、とてもいい感じだった。最初のページある若葉町の書斎を写した写真では書棚のタイトルを思わず凝視してたのしかった。それにしても、安藤鶴夫は展覧会が立て続けに開催されていてとても羨ましい。戸板康二展なんてのが開催されるとしたら、嬉しすぎて卒倒しそう。

さいたま文学館にもいつか行ってみたい。山田朝一の荷風資料が所蔵されているとは!