恋女房染分手綱

先日、鏑木清方の『こしかたの記』を読み返していたら、九代目團十郎と鷺流狂言師との関わりについて書いてあって、そこで明治25年5月の歌舞伎座の『恋女房染分手綱』の上演のことに触れてあった。歌舞伎で『重の井子別れ』を見たばかりで、文楽の『恋女房染分手綱』を見るタイミングなのでなおのこと嬉しかった。今、検索してみたら、「墨東歳時記・百花園(http://www2u.biglobe.ne.jp/~bokutei/)」で、『こしかたの記』にも記載のあった向島百花園の石碑(http://www2u.biglobe.ne.jp/~bokutei/isibumi/yadakeiyaounohi.htm)を見ることができて感激。

三木竹二の『観劇偶評』(岩波文庫)を見てみると、九代目團十郎の乳母重の井について《とにかく丈の女形も少し鼻につきし上、同じことでも、政岡、春日の局の如き女丈夫は、気概の点にて箝り好けれど、この重の井はそれに反して、極もろき女の情合を見する事ゆえ、この丈には極めて不向きの役なり。》と書いている。《すっかり精神を穿ちて思入でたて切り、独で承知して居らるるは、定めてせつないことならんが、見物は大迷惑、正太夫氏が欠伸の勘定をして居られしも無理はなし。》という箇所でニンマリ。三吉はのちの六代目菊五郎だったとか、それにしても、たまに折に触れ、三木竹二の劇評を読むことができるのはなんとたのしいことだろうと思う。

しばらく毎週日曜日は観劇続き。今日はひさしぶりの文楽で、今週は『恋女房染分手綱』。少々寝坊してしまって、あわてて外出しようとしたら午後4時半開演だったと知って、やれ嬉しやとまた寝入ってしまって、昼下がりにノソノソと外出。なんだかこのところやけに眠い。

芝居見物

  • 文楽九月公演『恋女房染分手綱』/ 国立小劇場・第二部

ひさしぶりだったせいもあるけれども、浴びるようにして文楽に全身でひたった感じ、全編たいへん満喫。前々から歌舞伎よりも文楽の方がむしろ好きといってもいいくらいだったけれども、ここ1、2年、ちょっと見物がおろそかになっていたような気がする。今月の公演は2つとも、文楽では初めて見る演目なので、また初心に帰って文楽に接したいなアというところ。と、いかにもそんな気持ちにさせてくれる、気持ちのよい文楽見物の時間となって、言うことなしだった。

『恋女房染分手綱』を見て思ったのは、今回上演された段がそれぞれに曲がとても面白かったということ。曲が面白いだけでなく、それぞれの段の劇そのものもとても面白かった。先日の歌舞伎座で『重の井子別れ』で重の井が三吉の前で竹本に乗って綿々と語っていた出来事を実際にたどることができるという、ストーリーそのものを素朴にたのしんだ。初っぱなの、定之進の切腹の場からして嬉しくて仕方がない。劇中劇風に文楽のなかでお能が演じられるのを見たのは今回が初めてで、そのお囃子入りの荘重な空間、義太夫の独特の音遣いがクーッとたまらなかった。玉男さんと蓑助さんが登場するといつもそれだけで嬉しい。重の井の両袖が切り取られ、乳母になるところの人形独特の動きが面白かった。父親との今生の別れとなるところの重の井の動きがとてもよくて、いつもの蓑助さんを見る歓びを心ゆくまで満喫。劇中にお能が登場する文楽というと『和田合戦女舞鶴』をぜひともいつの日か見てみたい。

次の「沓掛村」になると、全段の荘重な雰囲気とがらっと変わって一気に世話物ふう、その変化にワクワクだった。「文七」のかしらの八蔵のどてら姿の男気あふれる姿がとてもかっこよく、そこにのる語りはかなり豪放な感じでさらにワクワクだった。掛取りとのやり取りのところではちょっと西鶴のことを思い出したりも。三吉が登場するところもとてもかわいらしく、いかにも八蔵たちに大事に育てられたという感じで、馬方になりたいというところでは、八蔵を慕っているからなのだろうなあということが伺えて、心あたたまるものがあった。座頭慶政が登場して、夜更けに刀を研ぐところの三味線の音とか、人物が入れ替わり立ち替わりで変化に富んでいて、曲そのものがメリハリがあって聴きところ満載だった。座頭慶政がふと「秋の日は短い」ということを言う。だんだん夜が更けてきて、次の段の真っ暗やみの殺しのシーンへとつながっていく。歌舞伎でも文楽でも舞台の時間の変化ぐあいがいつも好きだ。定九郎ふうの悪役・八平次も面白くて、登場人物全員がそれぞれに見どころたっぷりだった。

最後は、歌舞伎でも見た「子別れ」となる。子別れの前の「道中双六」のところは道行ふうになっていて、音楽に身をまかせてうっとり。歌舞伎とは違った文楽のよろこびに満ち満ちていた。重の井の蓑助さんの人形にひたすら見とれた子別れの段。最後に馬子唄になるところが、いかにも見事な幕切れで、鏡で三吉を写す重の井の人形の動きと相まって、余韻たっぷり。人形の動きのたのしさ、曲のおもしろさに彩られた、劇の流れそのものに身を任せるのがとにかくたのしくて仕方がなかった。それぞれの段がそれぞれに違った魅力が満載で、全編たいへん堪能の、ひさびさの文楽見物となった。