夜ふけと金木犀

帰りは丸の内線に乗り込んで南阿佐ヶ谷までのんびりと移動。本日の車中の読書は近松半二『伊賀越道中双六』。長い商店街を歩いて JR の阿佐ヶ谷駅にたどりついて映画館へ。このコースをテクテク歩くのがなんだかいつもたのしい。今日の映画は加藤泰の『お岩の亡霊』。四谷怪談の映画を見るのは今回が初めてだ。映画のあとは新宿に寄り道してタワーレコードをのぞいた。バッハ・コレギウム・ジャパンBWV.78 収録のカンタータ集目当てにやって来たのだったが売ってなくてがっかり。しょうがないので視聴機でいろいろ聴いて遊んだ。モーツァルトの《プロシア王四重奏曲》を聴いていかにも後期な感じの長調にしんみりする。帰宅すると不在票が入っていたので、気が向いて郵便局まで受け取りに行きがてら散歩。あちこちで金木犀が香る静かな夜ふけであった。ぐるっと迂回して通りがかりの本屋で「群像」を立ち読みすると、高橋英夫さんの連載に『四谷怪談』のことが書いてあって、折口信夫の『かぶき讃』所収の「お岩と与茂七」のことに言及してあった。『かぶき讃』を読み返すとしようとイソイソと帰宅したのだったが、届いたばかりの本をめくっているうちに『かぶき讃』の方を読み損ねてしまった。

映画メモ

先週のラピュタ阿佐ヶ谷では清水宏の『暁の合唱』の上映があった。もう1度見られるとはなんと嬉しいことだろうと前々からたのしみにしていたのだったが、いざ当日になってみるとうっかり見に行くのを忘れてしまって無念。心の隙き間を埋めようと今週に阿佐ヶ谷に足をのばすことに決めてみると上映していたのは『お岩の亡霊』であった。あまたある四谷怪談の映画化では、天知茂伊右衛門中川信夫監督版をぜひともいつか見たいものだと思っている。

さて、この加藤泰版『四谷怪談』はほとんどなじみのない出演者ばかりで、さアどうなのだろうと、鶴屋南北の脚本がどう処理されているのかという方を目当てにほんの物見遊山気分で見に来たのだった。若山富三郎伊右衛門は、江戸の浪人というよりも『自虐の詩』のイサオのようなのだけど、若山富三郎そのものが役を越えた不思議な愛嬌があって、映画全編でその愛嬌を意外にも結構たのしんでしまった。お岩さんは薬を飲んで顔が変わったあとがこれまた不思議に美しかった。髪梳き以降の数々の「亡霊」のシーンは映画だとかえって興醒めな感じなのだけれど、脚本の処理を眺めるという点ではとても興味深かった。「三角屋敷」のところが原作と違って、二人とも生きて与茂七と三人で伊右衛門の仇討ちをすることになる。映画として結末をつけるためのひとつのやり方なのだろうとそれはそれで納得で、こういう結末になると仇討ちするお袖さんが『加賀見山』のお初のように見えてきて、ちょっと面白かった。

購入本

  • 岡富久子『あざなえる縄』(小沢書店、1990年)

先月の雑誌「東京人」の神保町特集で、坪内祐三さんのページで岡富久子著『作家の横顔』のことを知った。車谷弘宛の献呈署名本入りが写真で出ていて、ワオ! と興奮だった。岡富久子さんは文芸春秋の編集者を定年まで勤めていた人で、名前を知ったのはそのときが初めてだった。車谷弘の名前が一緒に登場したのが嬉しくてとりあえず名前を心に刻んで、機会があったら『作家の横顔』を読んでみたいものだと思った。と、ここまではほんの軽い気持ちだったのだけれど、先日、戸板康二の『演芸画報・人物誌』を読み返してびっくり。この岡富久子さんは、『演芸画報・人物誌』に名を列ねる大正の劇作家、岡栄一郎の娘だったのだ。「東京人」に出ていただけではそれほどでもなかったけど、『演芸画報・人物誌』を見てしまうと、がぜん岡富久子の本が欲しくなった。

先日、歌舞伎座で『熊谷陣屋』を見た直後に見た国立劇場の『一谷嫩軍記』の上演資料集に「演芸画報」の「稽古歌舞伎会」の記事があった。この「稽古歌舞伎会」のことは『演芸画報・人物誌』でとても心に残っていた。「稽古歌舞伎会」を主宰していた藤沢清造についての戸板さんの文章がとてもよかったのだった。藤沢清造については久保田万太郎が「『根津権現裏』の作者」というとても素敵な追悼文を書いていて、三宅周太郎は藤沢のことを「善良な毒舌家で正義派」というふうに書いている。最期が不幸だったせいもあるのだろうけど、諸家によい文章を書かせてしまうようなものが藤沢清造その人にあったに違いない。岡栄一郎もその「稽古歌舞伎会」のメンバーに名を列ねている。

というわけで、「東京人」で知り『演芸画報・人物誌』で火がついて、岡富久子さんの本を探してみたところ、「東京人」に載っていた『作家の横顔』(垂水書房、1964年)のほかにもう1冊『あざなえる縄』があって、なんと版元は小沢書店! ということでさらに興奮して、さっそく注文。わたしの小沢書店本コレクション(といってもほんの数冊)に新たな1冊が加わることになった。届いてみると、『あざなえる縄』は『作家の横顔』所収の文章をすべて含めた遺稿集という体裁なので、この1冊が岡富久子のことを現在に伝えるという恰好となっている。敗戦直後の同人誌「世代」に参加していた縁で、吉行淳之介が跋を書いている。車谷弘の部下として往年の文春で活躍していたみたいで、久保田万太郎の句集『流寓抄』の編集を担当していて、「銀座百点」に度々文章を寄せたりもしている。

演芸画報・人物誌」の父、岡栄一郎は徳田秋声の親戚で学生時代は本郷森川町の下宿に住んでいて、漱石に師事して木曜会に参加、芥川龍之介と親しく交わった。『あざなえる縄』では父と芥川に関する文章がちょっと面白くて、吉行淳之介もあとがきで「ずいぶん微妙な話で大そうおもしろい」というふうに書いている。吉行淳之介もこれを読んで身をつまされる思いだったのではないかなあと思ってニンマリだった。タイトルの『あざなえる縄』は、父の口癖「禍福はあざなえる縄の如し」に由来するのだろいう。まだじっくりと全部読んだわけではないので、パッと見た印象だけど、岡富久子さんの文章そのものは作家への親近感が全面に出過ぎていてちょっとなじめないところもあった。同じ戦中派の女性編集者の、講談社の松本道子さんの本の方が好みかも。でも、松本道子さんのお父さんは日本画家で、岡富久子さんのお父さんは「演芸画報・人物誌」というわけで、父の時代のその子の時代の文壇史ということを思うととても面白い。