音曲芝居噺研究会

  • 音曲・芝居噺研究会 二十回記念 / 鈴本演芸場
    • 林家彦丸『どどいつ親子』
    • 林家正雀『質屋芝居』
    • 対談「わたしと寄席」小沢昭一+林家正雀
    • (仲入り)
    • 扇よし和(小唄)
    • 林家正雀『藁人形』

年に2回開催されている正雀さんの「音曲・芝居噺研究会」は今回で20回目となるのだという。この会に初めて足を運んだのはちょうど2年前の11月、会場が湯島天神で《天神寄席》というテーマだった。この年は道真公の記念の年で、歌舞伎でも文楽でも『菅原伝授手習鑑』を見ることができて、いずれもたいへんすばらしい舞台だった。歌舞伎の通しは今まで見た全歌舞伎でもっとも心に残っているといってもいいくらい。と、歌舞伎、文楽ときて、最後は落語で天神さま記念の年を締めくくるとしようと「音曲・芝居噺研究会」に出かけることになったのだった。会場で配付のパンフレットを受け取ると、巻頭に久保田万太郎の俳句が掲げてあるのでさっそく大感激だった。湯島に居を構えていた万太郎邸のすぐ近くで聴く落語会の絶好のプロローグ、そして山本進先生の文章が載っているのも嬉しかった。以後、辻村寿三郎がゲストの鈴本開催のときに出かけて、このときは『芝居風呂』を聴いた。当日のパンフレットにはやはり久保田万太郎の俳句があり、山本進先生の文章がある。これだけでもこの会のファンになってしまうというものだけども、落語を聴くようになったきっかけが歌舞伎だった身としては、なにかと興味津々なプログラムで今後も見逃せないと思った。と言いつつ見逃してしまい、1年以上ごぶささをしていて、今回が3度目。ひさびさに来てみると、やはり久保田万太郎の俳句(今回は「海苔買うや寄席の行燈灯入りけり」)があり、山本進先生、正雀師匠による文章掲載のパンフレットが配られて、いいなあと嬉しかった。

今回は20回目を記念して豪華ゲストの小沢昭一さん登場。着物姿が風格たっぷり。「銀座百点」の記事で着物を愛用する男の人たち、といった企画で登場していたのを思い出した。正雀さんとの対談といえども、ほとんど小沢昭一の漫談という趣き。敗戦の頃の鈴本のあたりのこととか、疎開していた両親を迎えに行った先に隣りのラジオから聞こえてきたのが四代目小さんの『三人旅』だったこと。正岡容の名前がちょろっと登場したり、もちろん正蔵のこと、愛すべき芸人たちのことなどなど。と、小沢昭一さんの姿だけでも感激というものだけど、落語会そのものもすべて初めて聴いた噺だったので、それぞれの噺がとても興味深かった。

『質屋芝居』が音曲が入って芝居噺仕立てになっている。質屋の蔵で、隣家から三味線の音色が聞こえてきたよと『仮名手本忠臣蔵』の三段目、「鮒だ鮒だ鮒侍だ」の場面をひとりで演じて悦に入る定吉、注意に来た番頭さんが参加して次はお軽勘平の道行になり、いったいどうしたのだと大旦那がやってきて今度は木戸番をかってでるという、いつもの通りにストーリーはどうってことがないのだけどふだん歌舞伎を見ている身が聴く落語としてはたいへん嬉しいという一席。以前、年末にどこかの寄席で「寄席手本忠臣蔵」という『淀五郎』『中村仲蔵』『四段目』『七段目』といった感じのプログラムが日替わりにという催しがあったけれども、気分はまさしく「寄席手本忠臣蔵」だった。プログラムの正雀さんの解説によると桂文我師匠に教えてもらって、今回がネタ落ろしなのだという。上方の芝居噺なので東京では演じ手がいなくて正雀さんのアレンジで、もとは三段目と「裏門」だったのを三段目と道行きにしたとのことで、文楽では見ることのできる「裏門」だけど歌舞伎では上演されることなく、清元の舞踊劇で代用という歌舞伎の上演形態に思いを馳せることができてたのしかった。番頭さんが伴内役になるところがよくて、式亭三馬のへんちき論のことを思い出してしまった。

『藁人形』はタイトルだけ知っていたけれど聴いたのは初めて。神田の糟屋の美しい令嬢が上方へ駆け落ちをして江戸に戻ると両親は他界して一家離散、こうなったら自棄だと千住の女郎となったのが発端。元はなんの不自由もなく周りの人々に大切に育てられたであろうお嬢さんだったのに、どうしてまあこんな了簡になってしまったのだろう、こうまでならないと苦界では生きられないのだろうなあというような女の性根がすごい。歌舞伎の『切られ与三』のことを思い出した。元はおっとりした若旦那だったのに恋愛のあとに散々な目にあい、辛酸をなめたあと落ちるところまで落ちてしまった、というような。だまされる願人坊主だって、もとはかっこいい棟梁だったのにひょんなことで人生を踏み外したという遍歴があり、交錯するそれぞれの遍歴がストーリー全体に香気を放っていて、それがとてもよかった。

彦丸さんは今月めでたく二つ目昇進とのことで会場からあたたかい拍手がわきおこって、いい雰囲気だった。小唄は「塩谷判官」「定九郎」「落人」「助六」などすべて芝居にちなんだものとなっている。久保田万太郎作詞の小唄に「髪結新三」とか「浮かれ坊主」など六代目菊五郎にあてたものがあったなあと追憶にひたった。と、会の趣向そのものがとても凝っていて、ほとんど出ずっぱりだった正雀さんに心からの拍手。山本進先生がお書きのように、これからもずっと続けて欲しいとわたしも心から思う。落語とか歌舞伎の交わりが醸し出す雰囲気がたまらなく好きだなあと自分の嗜好を再確認のたのしい時間だった。