折口信夫、山田稔、仲田兄弟

foujita2004-11-10


中公文庫で『かぶき讃』が刊行予定と知ってからというもの、頭のなかは折口信夫のことでいっぱい。
明日から天気が悪くなるそうなので、このおだやかであたたかな気候を今のうちに満喫しておこうと、日没後、京橋図書館までいい気分ででテクテク歩いた。『折口信夫集』を借りて、銀座へ戻って、教文館で本を見たあとコーヒーを飲んだ。『春のことぶれ』目当てで借りた折口集だったけれど、『砂けぶり』がいたく心に残った。琉球、台湾を経て門司に着いたのが9月1日、翌日神戸で震災の報をきく。大阪の実家に帰るということをせずに折口は東京へ向かい、3日に横浜に到着し、そこから歩き続けて下谷清水町の自宅に到着したのは4日の夜ふけ。『砂けぶり』は横浜から下谷までの途上の荒廃した町と流言に惑わされる人々の姿とを表現した四行詩。昭和10年の『東京を侮辱するもの』といい、東京本として読む折口信夫、という感じで、たいへん興味深い。

帰宅すると、四季書林から目録が届いていた。昨日は帰宅すると、SURE から本が届いていたのだった。

購入本

  • 北沢恒彦 山田稔『酒はなめるように飲め 酒はいかに飲まれたか』(SURE、2004年)

昨日届いた本。刊行を知ってすぐに申し込んでしまったのだったが、あとで書肆アクセスに入荷すると知りせっかくなら書肆アクセスで買いたかったなあと思ったけど、書肆アクセスではほかにも買いたい本がわんさとあるので、まあよしとしよう。大急ぎで諸々のことを片づけたあとで、ミルクティを飲みながら、ゆっくりとそれこそ「なめるように」読んだ昨日の夜ふけだった。と、結果的には、通信販売だからこその歓びがあって、なかなかオツだった。

北沢恒彦『酒はなめるように飲め』と山田稔『酒はいかにして飲まれたか』が二分冊になっていて、文庫本サイズの合わせて100ページの小さな本が素敵なケースに収まっているという、手にとっただけで心ときめく書物。先に、山田稔さんの方を読み始めてみると、山田稔さんの方は北沢恒彦『酒はなめるように飲め』に注釈を加えるというか、北沢恒彦を受けて、といったものになっているので、あわてて北沢恒彦の方を手にとって、そのあとで山田稔さんを読んだ。そして、こうして2冊をセットで読むことで完成される世界がなんともいえない立体感、その余韻がたまらない。詳しく内容を書き記すことをとてもあさましく思ってしまうような、読んだ人なら納得するはずの、大切に胸にしまっておきたい書物なのだった。

編集グループ http://www.geocities.jp/sure_hp/


山田稔さんの本は、みすず書房から『コーマルタン界隈』(ISBN:4622050420)が出た頃に、本屋さんで手にとって衝動買いしたのが最初で、平凡社ライブラリーから『特別な一日』(ISBN:4582763111)を新刊台で見つけたときにガバっと買ったのをよく覚えている。今、奥付を見てみたら、いずれも1999年の秋の刊行。いずれの書物も本を買ったあとに喫茶店でさっそく読みふけった時間のことが鮮明に思いだされる。5年前の秋のことだった。

『酒はなめるように飲め 酒はいかに飲まれたか』を読んだことで、急に山田稔さんの本にひたりたくなった。上記の2冊のあとはなぜか買う機会を逸してしまって図書館で借りて読んだりと、断片的になってしまっているので、またまとめてじっくりと読みたいものだ。編集工房ノアの本を書肆アクセスで少しずつ買っていこうと思った。と、やっぱり書肆アクセスには買いたい本がわんさとあるのだった。


その、来るべき編集工房ノア蒐集の手始めとして、本日の教文館では、

買い損ねていた講談社文芸文庫を買った。

買い損ねていた折口信夫の中公文庫も買った。そういえば、この『言語情調論』は発売が当初の予定より延期になったのだった。『かぶき讃』は年内に出るといいなあ。『言語情調論』は明治43年国学院大学国文科を卒業するにあたって書いた卒業論文。ちなみに、戸板康二昭和13年慶應国文科で折口信夫のもので卒業論文を書いた(テーマは「近松門左衛門序説―浄瑠璃史上の功績」)。予科から本科に上がる際に折口の教室に入ることになった戸板青年は春休みに『古代研究』を一生懸命読んだのだそうだ。ということを思い出して、前から気になっていた中公クラシックスを立ち読みしていると、「信太妻の話」という文章があるのでさっそく読みふけって、猛烈に続きが読みたいと思い購入することとなった。「翁の発生」のあたりでは山口昌男の文章をなんとなく思い出したりもする。

ちょっと思うところがあって、岩波文庫の『近世風俗志―守貞謾稿』5冊セットが欲しいなあと棚を眺めていたら、ふと仲田勝之助の『浮世絵類考』が目に入ってびっくり。今年春に「リクエスト復刊」されていたらしい。仲田勝之助は明治21年生れの仲田定之助の二つ上のお兄さん。仲田兄弟を押さえろ! と興奮して嬉々と購入。仲田勝之助は府立一中吉井勇土岐善麿と同級の友人で、読売新聞社のあと朝日新聞社にうつり、定年まで美術批評を担当した。明治44年には岡本一平、名取春仙との共著で『漫画と訳文』を刊行している。などと、周囲の人物誌がとてもいい感じ。仲田定之助夫人の画家、仲田好江は芦屋育ちで小出楢重に師事、上京後は安井曾太郎に師事していて、阪神間モダニズムという趣き。折口信夫といい、山田稔さんといい、関西へのあこがれがますますつのるのだった。