鎌倉日記

foujita2004-11-08


12月の中公文庫の新刊で、折口信夫の『かぶき讃』が発売になると知って狂喜。しかーし、これだけでは片手落ち、戸板康二の『折口信夫坐談』の復刊も希望! 2004年という年は、戸板康二の『歌舞伎への招待』で始まって折口信夫の『かぶき讃』で終わるということになるのだなあと感慨はひとしお。中村雅楽シリーズや戸板康二講談社文芸文庫化は来年の夢にするとしよう。

購入本

午後も遅くに鎌倉へ。本日の車中の読書は昨日もらったばかりの都筑道夫『誘拐作戦』。すばらしく面白くてメロメロだった。月曜日なので美術館はお休み。古本屋をのぞいたあと小町通りの喫茶店でのんびりの読書の計画。と、心地よく小町通りを歩いて、いつもの通り上機嫌だった。木犀堂にとても欲しい本があったのだけれど、芸林荘で先日図書館で借りていつの日かぜひとも入手したいものだなあと思った七代目三津五郎の『三津五郎舞踊芸話』をさっそく発見、値段も手頃だったので、今日はこちらを嬉々と買った。勢いに乗って、八代目三津五郎安藤鶴夫の対談集も一緒に買うことに。お会計のときお店の方が鏑木清方の表紙を見て「まあきれいねえ」とおっしゃって下さって嬉しかった。

  • 利倉幸一『三津五郎舞踊芸話』(和敬書店、昭和25年)

画像は花のスケッチが描かれてある本体。水色の函つきでこちらも微妙な色合いで、本全体がとても美しい。今月の歌舞伎座の『関の扉』の思い出とともに、末永く大切にしたい本。七代目三津五郎の『舞踊芸話』は昭和12年に出たのが最初で、和敬書店のあとは演劇出版社から2度復刊されている。それにしても和敬書店はよくぞこんなに美しくしてくれたものだ。七代目三津五郎というと、前々から、戸板さんが学生時代にお能見物に出かけた際にちょくちょく能楽堂で見かけたと書いていて、そのくだりが大好きだった。また、戸板さんは東京新聞の仕事で三津五郎芸談を記事にしていて、そのときの思い出を記したエッセイも前々から大好きだった。この記事は『芸談』(東和社、昭和26年)に収録されている。

《ぼくは、三津五郎の話の質のよさ、含蓄の深さが何から来ているかと考えた。それは結局、いいものを見ているからなのである。今日我々がどう説明されても納得のゆかぬすばらしい芸が、三津五郎の育った時代にはあったという。》

この芸談でちょろっと、九代目團十郎にからめて荒事に関しての発言がある。3月の歌舞伎座の『先代萩』で富十郎が男之助をやったときに、筋書で七代目三津五郎の男之助がたいへんすばらしかったと言っていたのを思い出した。

こちらは息子の八代目三津五郎。以前はそんなに気にとめていなかったのだけれど、武智鉄二との対談『芸十夜』(駸々堂)があまりに面白いのを目の当たりにして、俄然気になる存在に。文章集などもこれから少しずつ読んでみようと思っている。この安藤鶴夫との対談、さっそくペラペラめくって、さっそく面白い。安藤鶴夫小泉信三が好きで好きで永遠のあこがれで木村荘八を大尊敬しているといえば、三津五郎小山内薫岸田劉生が絶対的な存在とのこと。そういう芸術家との交流を持った俳優として大和屋は花柳章太郎と双璧だね、というようなくだりもあって、なるほどなあと思った。このあたりの人物誌は日頃のストライクゾーン。


と、おだやかな晩秋の昼下がり、まだまだ散歩気分で、興にのってさらに足を伸ばした。線路をわたって次は游古洞、好きなお店でいくらでも欲しい本があるのに、いつも買い物に結びつかない。でも好きなお店。左折すると、すぐにうるわしの四季書林なのだけど、今日はお休みで残念だった。当初はここまでにしておくつもりだったのだけれど、まだまだ歩きたい気分で、今日は由比ヶ浜通りまでテクテクと歩いて、ひさしぶりに公文堂に足を踏み入れて、これまたずいぶん長居。木村荘八装幀の、新書サイズの吉井勇の本を手にとってみるととてもいい感じ。この勢いにのって、300円前後の本をポンポンと買った。

茶店でさっそくめくって、これもストライクゾーンな一冊だった。木村荘八の装幀に導かれるようにして買ったのだけれど、まさしく『木村荘八日記』で火がついて、パンの会がらみでいろいろと盛り上がっていたときのことをヴィヴィッドに思い出した文章集だった。これは大収穫。東京、大阪、京都のふるきよき時代の文学と演芸に関するエッセイ集。題材もよければ文章そのものもとてもよくて、初出の記載がないのだけれど、短かめの文章の積み重ねなのでとても読みやすい。いろいろと抜き書きしたい箇所が目白押し。大正の句楽会の回想のあと、増田龍雨に関する文章が続く。彼のもとで久保田万太郎がつくった句が3つ紹介、「夜寒き膳拵へや盆二つ」「茶焙じを掛けたる壁や冬隣」「長き夜の二つの時計鳴りにけり」、今の季節にぴったりということもあって、しみじみいい。先日買ったばかりの、正岡容『東京恋慕帖』(ISBN:4480088806)といい、木村荘八の装幀本はいい本ばかりだ。

講談社文芸文庫の「現代日本エッセイ」と冠してある書物は日頃から大好物。今回は『シラノ・ド・ベルジュラック』訳者コンビを買うことに。これも二代目左團次が初演なのだ。渡辺一夫とか中島健蔵とか、往年の東大仏文科・人物誌にここ一年ほど心惹かれている。これを機に追求できればいいなと思った。外国文学の古き翻訳者のエッセイ集、というのもいつも大好きで、この線も追求したい。講談社文芸文庫の「現代日本のエッセイ」では河盛好蔵の『河岸の古本屋』が前々から気になりつつも未入手。それにしても、講談社文芸文庫はすばらしい。

前々から気になりつつも未入手だった文庫本。落語の開演を待っているときに『夢声の動物記』を読んでいたら、何度も笑いそうになってしまった。いいなあ。福原麟太郎はタイトルに引いていて今まで手にとっていなかった。やっぱり命名は出版社によるものだった。そして、いざ読んでみると、いつもの通りにとてもいい感じで、河盛好蔵の『人とつき合う法』(新潮文庫)と似た味わいがあるなあと思った。人間観察者、モラリスト文学、ということを思わせてくれる。『人とつき合う法』も前々からタイトルに引いていたのが、谷沢永一が絶賛しているのを見て急に読んだのだった。先のフランス文学翻訳者の系譜、今回の福原麟太郎からの連想と、立て続けに河盛好蔵のことを思い出すことになった。

落語メモ

講談社文庫の『ま・く・ら』と『もひとつ ま・く・ら』を読み返していたとき、かまくら落語会でのマクラを収録した箇所を見て、いつの日かかまくら落語会で小三治独演会を聴ける日が来るといいなあと思ったものだった。それが早くも実現、こんなにうれしいことはなかった。何度も書いているけれども、かまくら落語会は今まで出かけた落語会のなかでも随一の気持ちのよい落語会で、目当ての噺家さんだからというよりもかまくら落語会だからという理由で出かけたくなる落語会なのだ。と、かまくら落語会というだけで嬉しいのに、この人の独演会は絶対に出かけたいという噺家さん登場のかまくら落語会だと、よろこび2倍。でも、前回出かけた桂吉朝独演会のように、初めての噺家さんがかまくら落語会というのも嬉しいので、いろいろなパターンのかまくら落語会を今後もたのしめたらいいなあと、いつものようにかまくら落語会そのものに清められた思いだった。

日が暮れて会場に行き、開演を待つ人々の行列に加わると、隣りに並んでいた方とちょっとしたやりとりがあって、やっぱり随一の気持ちのよい落語会だなあと開演前からかまくら落語会に感激だった。今回は中入りに、柳家小三治著『落語家論』と『もひとつ ま・く・ら』のプレゼントの抽選会があるというので大喜び。前々から気になっている『落語家論』がとっても欲しいッ! と思ったものの、日頃の行いが悪いのでたぶん当たらないだろうと思ったら、案の定当たらなくてがっかり。なんて言いつつも、そんな中入りの時間も格別にたのしいのだった。

その中入りの抽選会で司会のようなことをしていた三之助さんの高座はたぶん初めてだったと思う。マクラのなりゆきを耳で追っていると芝居の話題になっているので、ふだん歌舞伎を見ている身としては胸が躍りまくり。『浮世床』の芝居小屋みたいだなあと思っていたら、いつのまにかおなじみの『播随院長兵衛』冒頭の喧嘩のシーンになっている! と、落語に親しむきっかけが歌舞伎だった身としてはこんなに嬉しいことはなかった。帰宅後検索してみたら、柳家三之助ウェブサイト(http://www.sannosuke.net/)を発見。『芝居の喧嘩』は先月の落語研究会がネタ出しだったとのこと。歌舞伎が登場したからというだけでなく、今後聴くのがたのしみな噺家さんに新たに出会ったなあと思った高座だった。

ちくま文庫の『志ん朝の落語』の解説で「ネタの選別」というくだりがあったのを思いだして、これまで小三治さんで聴いた噺を振り返ってみたくなった。憧れだった小三治さんの高座に初めて接したのは去年4月の紀伊国屋寄席で聴いた『厩火事』。そのあと、鈴本の独演会で『かぼちゃ屋』と『藪入り』。あとは『お化け長屋』、『備前徳利』、『蒟蒻問答』、『禁酒番屋』、去年10月の鈴本独演会で『穴どろ』と『付き馬』、『小言念仏』、『厄払い』、今年5月の鈴本独演会で『青菜』と『居残り佐平次』、先月に『金明竹』、そして今回の独演会に至る。

二度聴いたのをのぞいてリストにすると、思い出せるかぎりで、全部で15席となった。などと、書きとめたくなったのは、今回のかまくら落語会を聴いたことで、今日までの小三治体験を大切な記憶としてしまっておきたいという気になったから。マクラで一番笑ったのダントツで『お化け長屋』、朝日名人会だった。一席選ぶとすると、なにかなあ、『厩火事』かな、『藪入り』かな、『備前徳利』かな、『付き馬』かなあ。

独演会だとやっぱりまずは長いマクラがたのしみでたのしみで、一席目は佐世保での主に食べ物に関するお話。二席目は、鎌倉ということで、鳩サブレが登場。鳩サブレ大好物なので、それだけで嬉しい(今回はお土産を買い損ねて無念)。「鳩サブレ買って行こうか冬日和」(だったかな)という俳句を十数年前に作ったと、その俳句に関しての話題がしばらく続き、聴いているうちに、都内から鎌倉に来ているという点で、今のわたしと小三治さんは同じ身の上、ということをとても嬉しく思って、共感大だった。

そんな食べ物の話題から、『天災』へと入り、たのしみにしていた鯵をどろぼう猫に盗まれた! というのが家庭内暴力(←言葉が大げさだけど)の発端だったというのが、なんだか絶妙にいきてくる。食べ物の恨みは恐ろしい。以前に寄席で『天災』を聴いたとき喜多八さんにぴったりと思ったものだった。それを小三治さんで聴けたのだからたまらない。それぞれの登場人物の描写がとてもよくて、主役の短気な男も面白いし、諭す老人も重厚感たっぷりでありつつも軽やかで、でも結構恐い人という気もしてくる絶妙な味わい。帰宅後の長屋風景がまたよかったなあ。おかみさんの様子とかも。と、いつものようにただただ噺の世界にひたってしまって、あまり細部が思い出せないのだけども。小三治さんの『こんにゃく問答』は二度目だったので、前回よりもさらに余裕を持って、噺の世界に入りこむことができた。ここでも、それぞれの登場人物、こんにゃく屋の親分、にせ坊主に権助、問答にやってきた僧侶、とそれぞれの描写がきめ細かくて、いつものように、聴いているうちに小三治さんならではの独特の空間になってくる。その音楽のような重層感と映画のような立体感がたまらなかった。ああ、終わってしまうと、最後の方になってくると名残惜しいあまりにちょっとしんみり。と、小三治さんの高座は、聴いている瞬間瞬間に発散というよりも、あとでぐっといろいろと感じるものがあるのだった。一筋縄ではないかい、ということなのかも。それから、ひさびさにじっくりと小三治さんを見てみると、高座姿そのものが風格たっぷりで味わい深い。眺めているだけで嬉しいという点で、宗匠入船亭扇橋氏と双璧だなあと思った。

次回のかまくら落語会は来年1月、五街道雲助独演会。かまくら落語会に出かけたそもそものきっかけは雲助師匠だったので、なにかと感慨深い。今からたのしみ。たのしみという言葉をいくら使っても言い足りたいほどたのしみ。無事に年を越せますようにッと祈願なのだった。