昼休みと日没後の購入本

昼休みの本屋さんにて。

昨日の映画以来、三木のり平のことが忘れられないなかで、ふとこの本の存在を思い出して、昼休みイソイソと本屋さんへ物色に出かけて無事発見。帰宅後さっそく読み始めてみると、さっそく止まらなくなってしまい、すっかり宵っ張りだった。初版が出たのは1999年5月、三木のり平の他界はその年の初めなので、没後すぐに出たということになる。刊行当時からとても気になりつつも読み逃していて、文庫になってからもずっと買い損ねていたのだったが、突然読みたくなる日がやってくるのだから、やっぱり待ってみるものだなあと思う。いったんページを繰るとつい一気読みしてしまうような、実にすばらしい本だった。著者プロフィールに「日本聞き書き学会会員・講師」にあるのだけれど、内容のみならず、「聞き書き」そのものの芸に酔わされたのだった。

自身の語り口で構成された自身の一代記、語り尽くしてこの本をポンと残して逝ってしまったといような印象も受ける。遺品のアルバムからピックアップしたという写真が豊富に掲載されているのも嬉しい。というわけで、本全体が三木のり平からの絶好の贈り物という感じ。なんでもないような話もとても面白いのだけれど(フラがある、というのだろうか)、本人が照れながらも熱弁している芸談的なくだりにもグッとくるところ多々あり。喜劇ってどういうことだろう、人間そのものの毎日の人生が喜劇なんじゃないかなあ、とか、チャップリンよりもマルクス・ブラザーズやキートンが好きというセンス、「セリフ」を「競り府」としているくだり、新劇・喜劇の区別に関係なく芝居に夢中になったのは、表には見せない、お客には絶対に見せない仕掛けが面白かったからと締めていたり。……と、グッときたところを挙げると収拾がつかなくなってしまう。

それから、すぐに戸板康二のことを持ち出すわたくしとしては、三木のり平といえば「日曜娯楽版」人物誌のひとり、という点でも前々から注目していた。戸板さんの本で読み逃していたのかもしれないけれども、「日曜娯楽版」のみならず、戸板さんが金子信雄丹阿弥谷津子夫妻と参加していた演劇人の集まり「マールイ」にも三木のり平が結成当初に関わっていたことに初めて気づいた。程なくして抜けてしまったのだそうだけど。「マールイ」というと思い出すのが、殿山泰司がひさびざに舞台に立ったというくだり。殿山泰司三木のり平も新劇出身で、三木のり平の最後の舞台は別役実の芝居なので、新劇で始まって新劇で締めくくった生涯となった。両者に共通する新劇への愛着にしみじみ感じ入ってしまうものがあった。三木のり平は、自分の芸を後世に残すことが出来ないのが無念だというようなことを言っていて、数多く残している映画には何ら愛着がないらしい。映画でちょろっと見るだけでも十分すばらしいと、2、3本見ただけで三木のり平のファンになってしまったわたしは思ってしまうのだけれども。三木のり平といえば志ん朝さんが傾倒していた人物、志ん朝もディスクを聴いているだけでメロメロだけれども、ふたりとも逝ってしまったのだなあとしんみり。

などなど、ますます三木のり平が好きになってしまった1冊。文庫本で買って読んだわけだけど単行本でも買い足したくなってしまうような素晴らしい本だった。

と、三木のり平の本を物色するべく、昼休みの本屋さんでは小学館文庫という、ふだんあまり近づかない棚を見る運びとなって、三木のり平を発見した直後、光文社の知恵の森文庫の新刊の三島由紀夫が平台に積んであるのに気づいた。特に深い考えもなく、なんとなく手にとって立ち読みしてみると、「折口信夫」なる一文があるので「おっ」とページを繰った。思っていた通りに、「三田文学」昭和28年11月の折口信夫追悼号が初出の文章だった。「三田文学」の折口信夫追悼号は、その年の9月に亡くなってからそんなに間もなく発行されているというスピードもすごいが、豪華な執筆陣というのもすごいという、山川方夫たち若者が勢力的に編集した伝説の一冊なのだった。と、念願の折口追悼号はいまだ入手しておらず(和木清三郎編集の水上瀧太郎追悼号は入手済)、わたしが三島による折口の追悼文を読んだのは「三田文学」創刊90周年記念号を買ったときのこと。ちなみに、この創刊90周年号も実にすばらしい1冊(http://www.mitabungaku.keio.ac.jp/meisakutop.htm)。初めて読んだときから、この三島のごく短い文章が大好きだった。

折口信夫」を立ち読みして感激して、『文学的人生論』も勢いに乗って買った。この本の初版は1954年、河出書房刊。初版の本がそのまま文庫に収録という形態が嬉しかった。20代の三島がここにいる。三島由紀夫の二十代というと、戸板康二との交流のことを思うのだった。と、すぐに戸板康二のことを持ち出すわたし…。岸田国士を中心に結成され戸板さんも一応のメンバーだった「雲の会報告」という文章や「宗十郎の蘭蝶」などを、昼休みのコーヒーショップでさっそく繰ったのだった。「宗十郎の蘭蝶」は図書館で初出誌を見た記憶があるのだけれど、雑誌名が思い出せない。



日没後、遅延している本(『竹の屋劇評集』や『黙阿弥全集』など)を返却すべく、京橋図書館へ向かってテクテク歩いた。その途中、奥村書店へ。先日、野口達二が編集していた季刊雑誌「歌舞伎」を図書館で眺めて、しみじみ面白いなあと感激していた。今までそんなには気にとめていなかったのだけれど、記事のバランスがとてもいい感じ。バックナンバー全10冊が欲しいという気もする。その雑誌「歌舞伎」に、戸板康二の「歌舞伎この百年」という文章があった。戸板さんの本に『歌舞伎この百年』というのがあるが、初出誌は「歌舞伎」だったのかーとちょっと嬉しかった。初出誌が好きな雑誌の本、とか、いい本だなあと思って初出誌を見るとなるほどと思う、とか、そういう展開はいつも大好き。「歌舞伎」に掲載の八代目三津五郎が参加している座談会が前々から気になりつつも未読だった『歌舞伎をつくる』(青土社、1999年)だったということも知った。というわけで、こうしてはいられないと『歌舞伎この百年』を買いに奥村書店に出かけた次第だったのだが、いつも棚にあった(気がした)この本が今日に限って棚にない。という、よくある展開に。まあ、時節を待つことにして、心の隙間を埋めるべく『歌舞伎をつくる』を探そうとしたそのとき、「岩波講座歌舞伎・文楽」の『歌舞伎文化の諸相』が目にとまった。

  • 岩波講座歌舞伎・文楽第4巻『歌舞伎文化の諸相』(岩波書店、1998年)

今年に入ってから、岩波講座「歌舞伎・文楽」の端本が安く売っていたら入手して、じっくりと読んで勉強(のようなもの)しようと思っていたのだったが、ずっと機会がなかった。これからも1500円以下だったら折に触れ購入したいと思う。この『歌舞伎文化の諸相』は、

《役者評判記や劇書にみられる批評態度、観客層の問題、あるいは贔屓の動向など、劇場内を中心に歌舞伎の観客を論ずる。あわせて歌舞伎の出版物、役者絵、文芸、諸芸、稽古事などを通して、江戸時代以降の庶民がそれぞれの生活の中でどのような歌舞伎文化を享受してきたかを、江戸と上方という地域による違いにも留意して幅広く考察する。》

という意図で編まれている論文集で、歌舞伎を通して見る諸々のことという感じで、なにかと興味津々である。それから、観客論というと、昭和20年代に戸板さんが観客論を書きたいとさかんに書いていたことを思い出す。その戸板さんの意図はどこにあったのかを実感するのが当面の課題なのだった。