ギンザ・グラフィック・ギャラリーの山名文夫

foujita2004-12-13


毎年12月になると必ずバッハを聴くようになる。ということに、今月に入ってから毎日のようにバッハのロ短調ミサ(ヘレヴェッヘ盤)を聴いているなあと気づいたときに思い出した。イヤホンで今日はクレド、明日はグロリアというふうに聴きながら掃除と片づけをするので、このところ部屋での時間がたいそう気持ちがよい。わが10年間の音楽生活のなかで、一番好きなレコードは何かと問われるとうーむと困ってしまうのだけれども、一番好きな曲は何かと問われたら、バッハのロ短調ミサだと即答できる。来週になったら、毎年のおたのしみ、クリスマスオラトリオ(バッハ・コレギウム・ジャパン盤)を聴くとしよう。

展覧会メモ

  • もうひとりの山名文夫 1920s-1970s / ギンザ・グラフィック・ギャラリー *1

先月の HOUSE OF SHISEIDO に引き続いての山名文夫展見物。資生堂での仕事に焦点を当てている HOUSE OF SHISEIDO の展覧会も面白かったけれども、いざ ggg を見学すると、同じ山名文夫展でもこちらの方がずっと面白いなあと思った。いや、ggg を見るとまたあらためて資生堂での展示を見直したくなったというべきなのかも。山名自身がその生涯を振り返って、《さしえの仕事をするということは、たえずジャーナリスムと接触しているということになり、また文字、文章、活字、活版印刷といったエディトリアルな要素に強い関心を持つようになり、広告デザインの仕事を、単なるパターン的・視覚的なものに終わらせないために役立ったように思うのである。》と資生堂転身当時のことを語っているとおりに、山名文夫の仕事の舞台が変わるにつれて、作品が変化したり、新しい要素が入ったりする、その変遷を見るたのしさと、山名の仕事に接触するもの、プラトン社や日本工房などの周囲をみることで、いつものように日本の近代のおもしろさをふつふつと感じる、その相互作用で期待どおりのたいへん充実した展覧会だった。

ggg の《もうひとりの山名文夫》は時系列に、1923年のプラトン社入社から始まり、その「女性」や「クラク」での仕事、主情派美術会のこと、「サンデー毎日」でのカットを見て、地下へ行くと、名取洋之助の日本工房、報道技術研究会でのプロバガンダとの関わり、戦後の日本宣伝美術会、おなじみの紀ノ国屋のデザインなど、といったふうに進んでいき、スライド上映コーナーも用意されている。そのひとつひとつの仕事をみるのがそれぞれに興味深くて、それぞれに目の歓びがあって、それぞれに周囲の諸々が面白いという感じだった。

プラトン社時代だと、雑誌の誌面と一緒に山名の仕事を見るというのがおもしろい。「女性」の挿絵では里見とん、広津和郎、谷崎、有島生馬といった人たちが登場し、菊池寛が戯曲を寄せていて、小山内薫訳の「吸血鬼」というのがあったりもする。プラトン社の「苦楽」は小山内薫が「LIFE」を翻案して「苦楽」としたということを、『モダニズム出版社の光芒』(淡交社、2000年)を読んだときに知ったのだったが、なんて見事なセンスだろうと思ったものだった。主情派美術会は1928年の出来事、当時の詩壇・画壇を席巻していた「主知主義」への対抗意識、というのを見て、昭和初期のことにいろいろ思いが及んで、おもしろいなあと思った。同じ1928年に、山名は堀口大学の『ある日のマリイ・ロオランサン』の挿絵を描いていて、この挿絵は原本を見ることができたのが嬉しかった。その隣りに「クラク」掲載の、徳川夢声の「夢声漫談」のタイトルとカットがあった。そのころの諸々の「モダーン!」がしみじみいとおしい。同じ昭和初期の仕事では、「サンデー毎日」のカットと挿絵があり、ここでも山名の仕事とともにその周囲を眺めてたいへんウキウキ。谷譲次の挿絵を描いていて、その下には小さんの速記「転失気」があったりする。「サンデー毎日」という文字を見るといつもつい小津の『大学は出たけれど』を思い出す。それもまたたのし、なのだった。

地下へ移動すると、いよいよ「日本工房」が登場。ここに添えられている山名自身の文章、《私はここで写真の見方を知り、トリミングの重要なことを知り、レイアウト、ことに白い空間にたいする感覚を練り、欧文レイアウトを習い、欧文活字の扱いになれ、仕事にねばる訓練を受けることができた。いままで私の持っていたもの以外の、さまざまな重要なことをここで得た。》にしみじみ感じ入ってしまうものがあって、また、「日本工房」コーナーを見ることで見事なまでに山名の言葉を実感できるのが快楽だった。そして、この山名の言葉は、「日本工房」のみならず、グラフィックデザインを見る際にこれから折に触れ反芻することになる気がする。

プロバガンダとの関わりのところもたいへん興味深くて、先の「日本工房」と合わさることで、そこに名を連ねる河野鷹思土門拳木村伊兵衛のことから東方社の「FRONT」のことに思いが及び、大政翼賛会にいた花森安治のことを思い出したりもする。このあたりのことはまだまだ不案内なので、これからいろいろと突っ込んでみたいものだ。以前、「sumus」での紹介で、平凡社ライブラリの多川精一著『戦争のグラフィズム「Front」を創った人々』のことを知って「ワオ!」となったのだけれど、いまだ未入手なのだった。

それからそれから、戦後の仕事も好きだった。日本宣伝美術会のところの「デザイナー社会」という言葉が面白い。嬉しかったのが、1950年代の都民劇場のパンフレット表紙! まるでウエストミンスターのレコードジャケットのような表紙デザインにうっとり。クラシック音楽好きとしてはなにかと琴線を刺激されるのだった。

などと、たいへんたのしい展覧会だった。午後6時過ぎの展覧会場は閑散としていて、ゆっくりと見られたのも嬉しいかぎりだった。ああ、たのしかった。

購入本

と、展覧会に満喫のあまり、なにかお土産がほしい気持ちだなあと思ったところで、今回の展覧会との連動企画と思われるこの本が積んであるのをみて、つい衝動買い。そして、これがまた、たいへんすばらしい本だった。展覧会と同じように、山名の仕事を時系列で、山名自身の文章を中心に構成しているというもの。図版もたっぷりで嬉しいかぎり。秀逸な編集ぶりにブラボー! だった。

山名自身の回想文と当時の雑誌に寄せた文章と図版を交えて、「山名文夫」を時系列にたどるという本。明治30年生まれで和歌山の関西育ち、昭和元年にプラトン社の東京進出とともに上京し、休業で帰阪、昭和4年に資生堂に入社して再び上京、といった風土とその時代というのがうっすらとおもしろかった。和歌山の絵の好きな少年は当時の多くの文学青年とおんなじように「白樺」で近代美術への眼を開かされ、のちに「一冊の本」としてその画集を挙げたビアズリーを知ったのも「白樺」がきっかけだった。

そんな日本の近代文化史、みたいなたのしさと同時に、装飾美術としての雑誌のカットのこと、「個人主義的な純芸術」と違って絶えず社会の現実面にタッチしている商業芸術のこと、線の世界をもっともっと追求したいと1950年代に語っていたり、などなど山名自身の文章を見ることで、山名文夫だけに留まらないデザインについていろいろと思いを巡らせるきっかけを得る、といったつくりになっていて、そこがこの本のすばらしいところ。1939年の「広告界」に掲載された山名と岩田専太郎の挿絵に関する往復書簡など、興味津々の資料多々あり。前々から、挿絵や装幀にたいへん関心があったのだけれども、それはなぜかというと、書物との関わりとしての美術やデザインが面白いからにほかならないからで、そんな前々からの関心をもっと深めていければいいなあという意欲がモクモクと涌いてくる嬉しい本だった。巻末の年譜も充実していて、細かいところでなにかと「おっ」の目白押し。昭和4年に新潮社より刊行の山内義雄ほか訳の『フィリップ全集』の装幀をしていたり、などなど、古本熱が刺激されるのもたのしい。

そして、編者の川畑直道氏の解説がたいへんすばらしかった。太宰治の短篇『皮膚と心』は山名夫妻をモデルにしていたというのを初めて知った。太宰の中期の短篇は好きで10年以上前によく読んだものだった。『皮膚と心』も好きだったなあと懐かしかった。