今週の寄り道:歌舞伎座一幕見と寄席

  • 寿初春大歌舞伎『土蜘』/ 歌舞伎座一幕見(1月11日・18日)

先週うっかり書き損ねてしまったのだけれども、連休明けの火曜日、急に気が向いて、歌舞伎座の幕見席へ出かけて『土蜘』を再見した。特に深い考えもなく、『土蜘』をぼんやりと眺めたあとで京橋図書館へ出かければ、ちょうど閉館時間というあんばいだから本を返して借りるくらいの時間はある、歌舞伎を見られるうえに図書館の用事も済ませることができるとは一石二鳥、『土蜘』の開演に間に合いさえすれば利用的な寄り道コースになると、日没後の雑踏のなか歌舞伎座目指して競歩競歩、と大急ぎで幕見席の行列に連なったのだった。行列はかなり空いていて、幕見席にたどりついてみるといい感じにゆったりと空席が散見、さらに嬉しいのは3階席の後ろの方が団体さん用のようで『土蜘』のときは一面が空席なので見晴しがとてもよい、上の方から谷底を見るように舞台を眺めて「絶景かな絶景かな」というような心境、いざ劇場の椅子に座ってみると急にハイになった。というわけで、たいへんたのしく『土蜘』を再見。『土蜘』はぼんやりと眺めているだけでも雰囲気たっぷりでずいぶんたのしい。舞台をじんわりと眺めているうちに一日の疲れがだいぶ和らいできて、とにもかくにも気分上々。こういう平日の寄り道の幕見席は、日常のなかの歌舞伎という感じで、ふだんの休日の芝居見物と違うよろこびがある。なんだか、本当にたのしいなア! と思っていた以上に大喜びの『土蜘』再見だった。幕見のあとは京橋図書館に閉館5分前に到着し、本を返してまた借りた。歌舞伎気分が盛り上がって、国立劇場発行の『六二連評判記』を借りて、帰りの電車のなかで『土蜘』初演のあたりのページを繰った。

連休明けの『土蜘』再見がことのほか満喫で、そのたのしみが忘れられないあまりに味をしめて、ちょうど1週間後の日没後、性懲りもなくまたまた歌舞伎座の幕見席へ競歩した。一週間たってみると、幕見席の行列は先週よりはずっと人が集っていたので、座席も先週のようにゆったりと空席がたくさんというわけにはいかなかったけれども、座れれば満足満足。3階席の後方は先週とおんなじようにズラッと空席なので、見晴らしがよいのは相変わらずなのが嬉しい。「絶景かな絶景かな」と、二週間連続でたのしく『土蜘』再見。先週と同じように『土蜘』閉幕と同時に外に出て図書館へ行き、先週借りた『六二連評判記』を返却し、今週は『二人女房』目当てに岩波の新大系明治編の『尾崎紅葉集』を借りた。

と、まさか『土蜘』を3回も見ることになろうとは思わなんだ。吉右衛門の風格ある姿というか雰囲気がとてもよくて、段四郎が何度見ても立派で、芝翫福助、児太郎の共演が何度見ても嬉しい。3人の後見の動きにも興味津々、なんだか妙に嬉しい『土蜘』だった。これからもこんな感じに、気が向いて幕見席、ということがたまにあるといいなあと思う。とりあえず、来月の夜の部、『野崎村』が「自分内顔見世歌舞伎」と呼びたいような一分の隙もない豪華な配役なので、幕見席で何度も見たいものだなあと今は思っているのだけれども、来月までそのテンションが残っているかどうかが自分でもわからないのが困ったことなのであった(むら気すぎる…)。

水曜日はお誘いいただいて、ひさしぶりに池袋演芸場へ出かけた。三太楼さんの途中で入場、『手紙無筆』が終わろうとする頃。と、ひょんなことで来ることになった寄席、これまた思っていた以上に満喫だった。思い起こせば、ここ数カ月は落語会ばかりで寄席の定席はずいぶんひさしぶりなのだった。次はどなたかしら、代演かしら、どんな噺を聴けるのかしらと先がわからないのがまずいい。寄席ならではの雰囲気そのものがとてもいいなあ! と落語会では味わえない歓びを満喫。この感覚はとても得難い、寄席こそが落語だというような気さえする、東京に住んでいるのだからたまにでも寄席に行きたいものだなあと思った。歌舞伎座の幕見席のときとおんなじように、平日の寄席ならではのゆったりとした雰囲気にひたっているうちに一日の疲れがじんわりと和らいできて、しみじみくつろいだ時間だった。

聴いたことのある噺家と初めての噺家、聴いたことのある演目と初めての噺とがいい具合に混ざっているのがよかった。馬生はおなじみの『強情灸』、とりわけ灸をすえる仕種が馬生ならではの個性がみなぎっていて、その絶妙なインチキくささに笑った。この噺でここのくだりが目に止まったのははじめてだったかも。『雑俳』は初めて聴いた演目。『金明竹』みたいに雄弁術が発揮される演目で何度も何度も繰り返されるのが面白かった。そして、嬉しかったのが志ん五さんの『錦の袈裟』。思い出の去年6月の「寄席の日」に同じ池袋演芸場で聴いて大笑いだった思い出の一席、その志ん五さんの『錦の袈裟』を再び聴けるとは! と大喜び。前回と同じように全編とてもすばらしかったけれども、今度は与太郎のおかみさんが味わい深いものがあった。与太郎を亭主にもった女ならではの、しっかり者であると同時に醒めた視線というか、達観というか諦念というかが同居しているというその様子がツボであった。先代馬生師匠の『抜け雀』のおかみさんがとても好きだったのだけれども、急にそのディスクのことを思い出した。『片棒』は次男のところまで。これまた何度も聴いている噺だけれども、長男はブルジョワ風で次男は江戸の遊び人といった趣きで、前に聴いた『片棒』はどんなだったっけと、ひさしぶりに聴いて新鮮だった。

権太楼さんが無事登場したのも嬉しかった。『黄金の大黒』は実演では初めて聴いたと思う。これまたいかにも落語という感じで、権太楼さんにぴったりだった。長家の連中がみんなでワアワア言いながら、というような一席が大好きだ。家主へのにわか仕込みの口上、二人目のところまで。帰宅後に『落語事典』を繰って、上方種だったと知った。いつかぜひとも上方バージョンでも聴きたいものだ。上方といえば、同行の方が関西のご出身で、その漫才への論評がたいへん興味深かった。と、今日は漫才を2組、聴けたのも嬉しかった。いずれも何度か遭遇しているコンビで何度聴いてもそのたびに面白い。

それから、田中啓文著『笑酔亭梅寿謎解噺』(ISBN:4087747239)をお借りし、著者も書名も今回初めて知ったのだけれども、ひとたび読んでみると一気読みだった。上方落語が舞台の落語ミステリ、その連作の短編のタイトルはそれぞれ落語のタイトルになっていて、絶妙にその落語が織り込まれてある。師匠はなんとなく松鶴を頭のなかでイメージしてうっとり、ミステリのその定石パターンにホクホク。世の中には面白い「落語本」がたくさんあるのだなあと思った。続きがたのしみ。

というわけで、落語がらみでたいへんたのしい寄り道となった。寄席っていいなあと思った。