弥生美術館と鴎外図書館

レストランでゆっくりとお昼ごはんを食べたあと地下鉄に乗って、本郷界隈へ。弥生美術館を見物したあと根津でコーヒーを飲んでのんびり。のんびりするあまりに時間が迫ってしまったので、あわてて千駄木の鴎外図書館へ。三木竹二の小展示を見物。冷たい空気がツンとしていた。いい散歩日和だった。この季節ならではの日没の空がとてもきれいだった。


展覧会メモ

  • 波瀾万丈! 明治・大正の家庭小説展〜尾崎紅葉門下の四天王・柳川春葉を中心に / 弥生美術館 *1 

1階で《叙情画に見るアンティーク着物展》で、2階と3階で《明治・大正の家庭小説展》、隣接の夢二美術館では《竹久夢二「おしゃれの世界」》展となっている。思っていた以上にたいへんたのしい展覧会で、このところ尾崎紅葉に凝っているのでタイミング的に言うことなし、の展覧会見物だった。あとでちょろっと見物した鴎外図書館の展示ともつながる内容だったのがまたよかった。

明治・大正のいわゆる通俗小説にまつわる展示で、通俗小説というものは挿絵、演劇と非常に相性がいいということが今回の展覧会で目から鱗だった。なので、日頃の関心と直結しているたいへんツボな展覧会なのだった。2階は尾崎紅葉金色夜叉』、徳富蘆花『不如帰』、柳川春葉『生さぬ仲』の3つの「通俗小説」を中心にした展示となっている。挿絵と装幀、新派劇になっていることで絵看板や辻番付、映画化されていることでチラシやスチール、といずれも作品にまつわる「美術」がとても充実している。そのそれぞれの展示がとても興味深くて、それぞれの人物誌になにかと「おっ」だった。とりわけ、『金色夜叉』にちなむ展示に鏑木清方が登場しているのが嬉しかった。先日、紅葉がらみで『こしかたの記』を読み返していた、そのものズバリの展示が嬉し過ぎ。鎌倉雪ノ下の清方美術館所蔵の明治38年の『金色夜叉』絵看板は期間限定の展示なのだそうで、清方美術館で次回開催の芝居絵の特集でも展示されるとのこと、ぜひともまた日付けをおいて再見することで、そのつながりをたのしめるといいなと思った。『不如帰』の絵看板でもトップバッターは清方で、久保田米僊の絵がなんだか好きだった。と、ここで戸板康二の『演芸画報・人物誌』の記述を思い出すのだった。

初めて見たところでは、明治35年2月、『金色夜叉』を観劇する紅葉と安田靱彦の姿を描いた清方のスケッチにうっとり、いつまでも凝視していたい感じだった(この絵、早稲田の演博所蔵だそうで、帰宅後検索して発見:http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/shozo/)。このほかにも、演博所蔵の明治の新派劇の辻番付を何枚も見られたのがたのしかった。それから、いつものように書物や雑誌の展示が嬉しくて、杉浦非水の装幀本がたくさんあった。1階の《叙情画に見るアンティーク着物展》とほぼ同時代だと思うと、その美術という点でたいへん興味深かった。

3階は紅葉門下の柳川春葉にまつわる展示で、これまたなかなか面白かった。いつも思うことだけど硯友社の結束具合がなんとなくおかしくて、その集合写真でも紅葉の統率力と一同の固い結束が如実に伺えてニヤニヤ。文学者の展示だといつもその書斎の様子がとても興味深いけれども、柳川春葉もそのこだわりがいかんなく発揮されている様子で、眺めてたのしかった。文机とか印章とか、とりわけ紅葉の形見の着物でつくった楊子入れにうっとり。谷斎の根付けはないかしら、とつい探してしまった。柳川春葉は牛込の東五軒町に住んでいて、あとで北町に引っ越したりしている、と、そんな東京の昔もいつもたのしい。石井鶴三を例に「挿絵画家」と「展覧会画家」の比較にしているくだりが最後にあった。「大衆文学」と「純文学」との関係にたとえられていて、なるほどと思った。山名文夫展で心に刻んだ、商業美術と純粋芸術の区分と構図はまったく同じだなあとなにかと興味深い。

などなど、弥生美術館に来ると、書物との関連としての美術、ということにいつも目を開かされて、なにかしら発見がある。いつもたのしい弥生美術館だけれども、今回はひときわ収穫大だった気がする。一緒に見物した、アンティーク着物展と夢二美術館もたのしかったし、それらの展示の連関具合もよかった。

この美術館に来るといつも、以前図書館の新刊コーナーで見つけて深い考えもなく借りて読んだら面白かった『「少女の友」とその時代』という本のことを思い出す。「少女の友」の編集長、内山基がその才能を見い出したとして、中原淳一松本かつぢといった人物が登場するのだけれども、続けて読むと、松本かつぢの洒脱ぶりが際立ってしみじみ見事、松本かつぢが好きだと思ったものだった。前々から中原淳一があんまり好きではなかったその理由がわかった気がした。美術館の入口のチラシコーナーで、世田谷区玉川に「ギャラリー松本かつぢ」というのがあることを初めて知った(http://katsuji.cot.jp/index.html)。うーん、行ってみようかしら。

閉館間際に来たので、あまりゆっくりはできなかったのだけれども、常設の鴎外展示室のなかに組み込まれるかたちで三木竹二の特集があった。この展示は5月28日までなのだそうで、また近くに来たら見物したい。それまでに、このあたりの諸々ともうちょっと突っ込んでおいて、また違った実感を得たいものだと思う。鴎外図書館は去年の夏休みに初めて訪れて以来。前回は「鴎外の子供たち」といった特集で、これもなかなかよかった。前回も今回も、森まゆみさんの『鴎外の坂』を熟読していたときのたのしい時間をヴィヴィッドに思い出した。特に目新しい展示があったわけではないのだけれども、三木竹二の軌跡をたどった展示はやっぱりとても興味津々。明治21年に鴎外がドイツから帰国して、慶応3年生まれの弟・篤次郎も成人を迎えていて、その活動が本格化してゆく、その歩みを追うだけでも胸がいっぱいなのだった。明治33年創刊の「歌舞伎」の題字は同年生まれの尾崎紅葉で、紅葉が死んだのは明治36年、團菊が逝った年。三木竹二も大正の世を見ることなく他界してしまったのだなあと、急にしんみり。