濱田研吾さんの『脇役本』

foujita2005-01-31

晶文社刊『徳川夢声と出会った』(ISBN:4794966008)でおなじみの濱田研吾さんによるミニコミが出たことを知った。その名も『脇役本』! こうしてはいられない、書肆アクセスへ買いに行かねばッ、と思ったのだったが、書肆アクセス半畳日録(http://plaza.rakuten.co.jp/accesshanjoe/)を見てみると、あっという間もなく売り切れてしまっている模様。こ、こうしてはいられない、入手し損ねたら大変大変、いてもたってもいられず思い余って、「版元」に注文して直接購入という作戦にした。金曜日の夜、丸善で本を買ってホクホクと帰宅してみると、やれ嬉しや、待ち遠しかった『脇役本』が届いていて、ひとまず無事に入手できてほっと一安心、よかったよかったとさらにホクホクになった。そして、さっそくページを繰ったのだったが、あんまり面白いので一気読み、一気読みどころか二度読み、三度読みしてしまい、すっかり宵っ張りになってしまって、おかげで翌日は寝坊になってしまった。ああ、面白かった。面白いだけでなくて、本としてのつくりもたいへん秀逸で、どこまでもすばらしいのだった。「限定百部」というのはいかにももったいないなあと思う。

濱田さんの『脇役本』は全185ページで、「脇役本への誘い」と題された序文のあと、著者の書棚にある「亡き脇役にまつわる古本」、すなわち「脇役本」が見開き1ページに一人ずつ刊行順に紹介されてゆく、それが全部で約70冊、「脇役」一人ずつ一冊の著書なので、ページを繰るごとに約70人の「脇役」たちをたどってゆくということになる。本編最後に番外編として八代目團蔵にまつわる言説(戸板康二團蔵入水』、網野菊『一期一会』といったおなじみのところから、利倉幸一、安藤鶴夫三島由紀夫大佛次郎など)を紹介しながらの長めの文章、最後にこの文章が加わることで、「脇役本」を違った方向から眺める構成となって実に秀逸。そして、巻末の対談がたまらない、「四季の味」編集室の藤田晋也氏との「脇役本閑話」、註釈付きだ。このあと、「てっとり早く脇役を知るためのガイド」と題したブックガイド(わーい、戸板康二の『百人の舞台俳優』の書名も)、それからまだまだ続く、なんと宮口精二ミニコミ俳優館」の総目次が用意されている。そして、最後にあとがき、と思ったら、「トリュフ」(←「BOOKISH」第8号に掲載の金子拓さんの文章が紹介)まで用意されているという周到ぶり。

というわけで、手に取る前から面白いと確信して待ち遠しかったのであったが、いざ手にとってみると本当にもうたいへんすばらしい、感動の一冊なのだった。「脇役」をたどってゆくことで、著者紹介にあるような《忘れられた放送タレントや名優について探求》という著者の遍歴を垣間見るというたのしさ、その過程のなかの古本にまつわるあれこれの文章が面白過ぎるという感じでヒクヒクとなったり、あちこちでゲラゲラ笑ったり。日頃の狭く浅いわが日本映画見物のなかでは、おなじみの名前よりも、うーん、こんな人いたっけなあという方がずっと多い。そういうわけで「おっ」の連続でもあって、いろいろと心に刻んだことがたくさんあるのだけれども、それ以前に濱田さんの文章そのものがとても面白いのだった。

「脇役本」にまつわる「ちょっといい話」といったところも多々あって、学生時代に鎌倉の古本屋さんで短期アルバイトをしていたときに小沢栄太郎の家に買取にゆくくだり、「小沢が、小沢が…」を連発する37歳年下の夫人のところとか、いいなあというところが目白押し。初めて知ったところでは、伊藤雄之助著『大根役者 初代文句いうの助』に出てくるという、八代目三津五郎のくだりでは「キ―ッ、なんてヤな奴!」と思いつつも、「やっぱり、大和屋はこうでなくては」となぜだかフツフツと嬉しかった。その三津五郎は最後の著書『食い放題』で登場、嗚呼…。「竿にもコーヒーにもこだわります」のキャプションの山村聰もいいなあ、と、70冊近い「脇役本」の紹介は、脇役名に添えられたキャプションがどこれも絶妙でしみじみイカすのだった。女優のパリ本としては高峰秀子の『巴里ひとりある記』の影にかくれた格好の、高橋豊子(高橋とよ)の『パリの並木路をゆく』のページでは心あたたまるものがあって、ぜひともいつか欲しいなあと思った。それから、「役者本(脇役本)がお好き」で「どの出版物も判型、装幀、造本ともに彩りゆたかで、ぜいたくな本づくりを心がけているようだ」というところの六芸書房という版元のことも心に残った。《滝沢修が社長で、柳永二郎が専務で、志村喬が常務で、佐野周二が所長で、芦田伸介が建設部長という、濃いーい映画》という一節に笑う。さーて、なんの映画でしょう? 

なんて、心に残ったことといったらキリがないのでほんの一例を挙げるにとどめて、前々から気になりつつも未入手だった本では、大矢市次郎『日々願うこと』や三代目左團次市川左團次藝談きき書』、河原崎権十郎『紫扇まくあいばなし』(戸板さんの序文をしょっちゅう立ち読みしていた)、市川小太夫『吉原史話』(喜熨斗古登子さんの『吉原夜話』の隣りに並べておきたい)などなど、やっぱり買わねばッ、と物欲を刺激されるのもたのしかった。それから、「おっ」だったのが佐分利信の一周忌の私家版『写真集 佐分利信』。この本のことは忘れもしない、四季書林の目録で初めて存在を知ってどんな本なのかもよく知らずにまっさきに注文したのだったが、数日後、帰宅するとポストに一枚のハガキが入っていて、差出人名を確認する前にハガキの影を見ただけで、佐分利本ははずれたんだなあとなぜだかすぐに悟ってしまってしょんぼりのわたしだった。この本の詳細を初めて知ることができたのも嬉しかった。やはり、佐分利ファンにとっては入手せねばならない本なのだった、メラメラと燃えた。ちなみに、濱田さんはこの本をささま書店で買ったのだという。やはりおそるべし、ささま! 追悼本といえば、古川緑波の『ロッパ 古川緑波追善の夕べ記念』という薄い冊子がある。この本、ひところ奥村書店で、あと500円安ければ戸板さんの文章がなくても買うのになあとセコいことを思いつつ毎回立ち読みしていたものだった。やはり買っておけばよかったと思った。なんて言いつつ、いざ奥村書店でまた見たとしたらなんだか買わなそうな気が…。

極私的にたいへん嬉しかったのは、久保田万太郎に尽くした文学座の長老、龍岡晋にまつわること。龍岡晋久保田万太郎の会話と「久保田万太郎作品用語解」を収めた『切山椒』(三田文学ライブラリー、昭和61年)という本をわたしは持っているのだが(←なにやら自慢気。入手当時金子さんに自慢した記憶が…)、宮口精二ミニコミ俳優館」の存在を知ったのは、この龍岡による「久保田万太郎作品用語解」の初出誌としてだった。と言いつつも深く考えることのなく今日に至っていたのだったが、『脇役本』に「俳優館」の総目次があってたいへん感激、あらためて目を開かされることとなった。奥村で1冊200円、全19冊を入手したのがことの発端だったという。『脇役本』での龍岡晋は『春燈叢書第八編 龍岡晋句抄』(春燈社、1959年)で登場している。この本、わたしも長年の探求本なのだった。『切山椒』入手以来、スクリーンで龍岡晋を探すのがたのしみになったのだが、成瀬巳喜男『流れる』では山田五十鈴歌舞伎座でお見合いする男、なんだか本でのイメージと違うーと思ってしまった。文学座総出演の今井正にごりえ』では『大つごもり』の大旦那という影のうすい役で登場、濱田さんによると「鼻の右下にある大きなホクロが特徴」とのこと、これから先もドシドシ発見ゆきたい。と、そんなことはどうでもいいのであるが、『脇役本』のあとがきで、『龍岡晋句抄』の「トリュフ」として、安藤鶴夫宛書簡が紹介されてあってジーンだった。四谷若葉町の封筒の宛書の様子を伺うことができるのも嬉しかった。いい字だなあ。などなど、「俳優館」総目次とあとがきとで、本全体になんとなく龍岡晋が通底しているのが嬉しかった。龍岡晋、キングオブ「脇役」という気がする。戸板康二の『思い出す顔』だったか『句会で会った人』だったかな、文学座で一番モテる男は森雅之ではなくて実は龍岡晋と万太郎が言っていたくだりが、「ま、まさか…」と思いつつも妙に印象に残っている。万太郎もそうなのだけれども、古き東京下町育ちならではの独特の色気のようなものにしみじみ感じ入るものがある。

と、あとがきに濱田さんが手にした『龍岡晋句抄』の「トリュフ」のくだりがあって、濱田さんの『脇役本』にも実際に「トリュフ」がしかけられている。宮口精二の「俳優館」に関する新聞切り抜き(朝日新聞・昭和52年2月12日付け)と「追記の追記」として中村是好小品盆栽』! この中村是好の盆栽本で締めくくられる、巻末の藤田晋也さんとの対談があったあとでこの「トリュフ」を目にすることになるとはなんと粋なはからいであろう。それにしても、隅から隅まで豪華な『脇役本』、巻末対談もたいへん満喫なのだった。『脇役本』に登場する本を藤田氏は半分近く所有しているとのことだけど、わたしはせいぜい4、5冊だと思う。一番のお気に入りは殿山泰司の『日本女地図』かな。この本を読んだ直後、阿佐ヶ谷で吉村公三郎の『地上』を見たとき、『日本女地図』の石川県のことを思い出して笑いそうになってしまって困った(映画そのものはイマイチだったけど、佐分利信がやらしくてよかった)。山茶花究の本が出たらわたしも絶対に買う! 

などなど、なにやら感想のようなものがまとまらないまま無駄に長くなってしまったけれども、とにもかくにもたいへんすばらしい本だった。今月は年明け早々、いい本をいろいろ買ったけれども、『脇役本』でトドメを刺された感じ。繰り返しになるけれども、「限定百部」というのはいかにももったいない。晶文社あたりで単行本化して、広く世に広めて欲しいと思うのだった。