雲助冬の夜噺、岩田豊雄追悼号

落語メモ

鈴本の2月上席の夜の部のトリは「雲助冬の夜噺」。

    • 夢金/1日
    • 二番煎じ/2日
    • 鰍沢/3日
    • 火事息子/4日
    • 芝浜/5日
    • 夜鷹そば屋/6日
    • (7日休演)
    • 富久/8日
    • もう半分/9日
    • 文七元結/10日

とまあ、なんて素晴らしいラインナップ! こんな噺を雲助師匠で聴けるのが理想だなあというものばかり。このなかで今まで雲助さんの高座に接したことのあるのは『夢金』『火事息子』『芝浜』『もう半分』、いずれも思い出に残る一席であった。さて今月上席、どれを聴きに行こうかしらと、聴いたことのない噺にしようと決めて、残る5席で悩みに悩んで、先月に鎌倉で聴いたばかりの『名人長二』の余韻を胸に、円朝の人情噺つながりで五代目菊五郎つながり、ということで最終日の『文七元結』と相成った。

歌舞伎でもおなじみの『文七元結』はつい先月も上演があったけれども、わたしが歌舞伎で見たのは今までただ1度、1999年の団菊祭の六代目菊五郎没後50年の追善興行のこと。今思えば、この月は『髪結新三』も初めて見たわけで、初めて落語に憧れたのがこの頃だったということに気づく。とりあえず帰路に教文館桂文楽の『あばらかべっそん』(ちくま文庫)を購入したのをよく覚えている。当時は正岡容のこともよく知らなかった。実は落語では生の高座で一度も『文七元結』は聴いたことがなかった。志ん朝ディスクで聴いて震えていたくらい。あんまりすごくてまだ1度しか聴いていない。なので、すっかりおなじみという気になっていた『文七元結』はよくよく考えてみるとずいぶんなじみが薄かったといえる。「圓生百席」ではどんな下座が使われているのだろう。今度図書館で借りるとしよう。

と、そんな『文七元結』を雲助さんで聴くのがたのしみでたのしみで気もイソイソ、日没後に上野広小路へ突進。駿菊さんの高座が終わろうとするころに鈴本の椅子に到着した。わーい、市馬さんに間に合った、と喜んでいたら、代演の正朝が登場、わーいそれはそれで嬉しいかもと、ひさびさの対面が嬉しかった。その高座に接するたびになんとはなしに和んでいる自分を発見するのであった。

トリの雲助さん目当てに寄席に来るのは平日のくたびれているときが多いせいもあって、雲助さんまでの時間がいつも散漫になってしまう。こちらのテンションがもっと高ければ、歌之介さんではもっと笑っていたに違いない。そんなぼんやりしていたなかでも、中トリの燕路さんの『甲府い』が去年年末に小三治でおなじ噺を聴いたばかりというわけで、「おっ」と興味深かった。『甲府い』はどうってことのないと言ってしまえばそれまでなのだろうけれども、志ん朝と可楽のディスクでおなじみで、ふだん音楽を聴くみたいによく聴いている。そのどうってことのなさ加減が日常づかいなのかもと思う。志ん朝の『甲府い』はトントントンと、豆腐屋に訪れる人々の描写がなされるくだりが大好きだ。で、年末に「民族芸能を守る会」で聴いた小三治の『甲府い』はその日のおだやかな長めのマクラ(内容は胸にしまっておくけれども絶品だった)とゆらーとつながるようにして始まる「いい話」、なのだけれども、小三治の『甲府い』は豆腐屋の旦那がとてもよくて、前月に鎌倉で『こんにゃく問答』を聴いたばかりだったということもあって、『こんにゃく問答』の親分のような味わいで、それがなんともいえない絶妙さ。話芸の深さ、のようなものにフワフワとなった。というわけで、『文七元結』と比べるとだいぶなじみ深い『甲府い』はその聞き比べがたのしくて、燕路さんの『甲府い』は全編にわたって売り声へ重点が置かれている印象で、近所の奥さんに評判のよい善吉、といったくだりが面白かったりもして、その個性が面白かった。喜助さんは『壷算』。初めて聴いた噺で、寄席で聞くのがいかにもぴったりな噺家さんとその一席という組み合わせというのが、寄席行きのたびにあるものだけれども、今回は喜助さんの『壷算』はまさしくそれであった。いい気持ちだなあと、雲助師匠の『文七元結』の絶好のプロローグとなった。

で、本日のお目当て、雲助師匠の『文七元結』は、ちょっと先程までのぼんやりをひきづってしまって、わたしの方のコンディションがよくなかったのが無念であった(いったい、わたしは何をしているのだろう…)。長兵衛とおかみさんのくだり、長兵衛と佐野槌の女将のくだりが、以前に『芝浜』を聴いたときとか先月の『名人長二』のような芝居のような立体感をあまり味わうことができなくて(単にわたしの体調のせいだと思う)、先月の鎌倉での『名人長二』の印象が鮮烈だったので、もちろん悪かろうはずは全然ないのだけれども、先月の『名人長二』を聴いてしまったあとなのでちょいと物足りないという感が少しあった。そんなふうに様子見な感じで、雲助さんに耳を傾けていたのであったが、吾妻橋のくだりになったところで、急に「目から鱗」という気になってきて、急にウキウキしてきた。長兵衛の描写がしみじみと絶妙でその絶妙さがこちらの身体に突然染みこんできた。

志ん朝ディスクでは長兵衛とお久の別れの場面、長兵衛が文七にお久のことを語るくだり、長兵衛が去ったあとの文七、文七がお久に対して取り返しのつかないことをしてしまったと主人を前に取り乱すところなど、あちこちでグッとくるところがある。そんな「グッ」というような震えはなく、雲助さんの『文七元結』はわりかしサラッとしている印象。雲助さんの『文七元結』は「いい話」というような粘っこさがなく、長兵衛の「江戸っ子」ぶりが際立って迫ってくる。それがとても面白かった。

文七元結』に今まであまりなじんでいなかったのは、「いい話」だというふうに勝手に思い込んでいて、その思い込みに自分で勝手に引いていたのだった。長兵衛は宵越しの銭は持たない典型的江戸っ子、腕がいいのでいつでも稼げるという自負もあるのだろう、ついつい博打に手を出してしまって、明日のことを考えない。本当はあげたくないんだけどと文七にお金をあげてしまうのは、どちらかといえば、長兵衛が人情に厚いからというよりも、えーい、もう面倒だッと、明日のことを考えないギャンブラー気質が発揮されてしまった、というような感じで、あとの長屋でのおかみさんと大喧嘩の最中に鼈甲屋がやって来る、ほーら見ろと、おかみさんに自分の話が本当だと証明できて得意になる、長兵衛はお金のことなんてすっかり忘れている。鼈甲屋とのやりとりのところでも、職人の世界にいる長兵衛とは話があまり噛み合わない、同じ江戸の人でも住む世界が違う。……というような一連の長兵衛描写に接することで、『文七元結』というのは「江戸っ子」を描いた噺なんだということに気づいて、しみじみと見とれた。落語が江戸っ子を描いているなんて、そんなこと当たり前ではないかという感じだけれども、雲助さんを聴くことで自分自身の感覚でもってイキイキと実感できた、そのことにウキウキだった。

ストーリーの描写というよりは江戸っ子そのものを現出させる『文七元結』。長兵衛という一人の江戸っ子を軸にして、徐々にかつての「江戸」が真空パックのようにして『文七元結』にはパッケージされているということに眩しい思いがしてきて、ふわーっと急に目の前が立体的になった。そのあとで、先程はぼんやりと聴いてしまった、佐野槌のおかみさんのこととか主人の信用が厚い囲碁好きのまじめだけどちょいと短慮でもある青年、生さぬ仲の娘を気遣うおかみさんといった、登場人物が芝居の点景のようにして思い出されてきたのだった。そんな小宇宙を現出する雲助さんの『文七元結』はグッと胸をえぐられるという感触ではなくて、もうひたすらウキウキというふうで、歌舞伎で黙阿弥劇に陶酔しているときみたいな、雲助さんの長兵衛の江戸っ子描写を軸に、「江戸」というものを実感、とわたしの勝手な思い込みが多分にあるだろうけれども、先月の『名人長二』とはまた別の「目から鱗」が『文七元結』にはあって、話芸の深さ、というものを目の当たりにして嬉しかった。

もうちょっと体調を整えておくべきだった、他の日にも足を運ぶべきだったとか、悔いはあるけれども、とにかくも次回の雲助さんの高座がたのしみ。なんだかひたすら嬉しい帰り道は時間の経過とともにシンシンと冷え込んでいった。


購入本

  • 雑誌「悲劇喜劇」1970年3月号《岩田豊雄追悼号》

明日からの連休で読書が中断してしまうといけない、今読んでいる郡司正勝の『かぶきの美学』が面白くて面白くて、と、鈴本の帰りは雲助さんの長兵衛の余韻を胸に夜道をズンズンととある喫茶店まで歩いて、コーヒーを飲みながら『かぶきの美学』を読んだ。喫茶店を出て、夜道を自宅に向かってテクテクと歩くその途中、なんという因縁、先日戸板康二の見立て絵掲載の山藤本を買った古本屋さんの前にさしかかっていたのだった。せっかくなので足を踏み入れてみると、さりげないところでなかなかの品揃え。いろいろと欲しい本はあれども今度通りかかったとき用にとっておきたい気もする。うーむ、どうしようと思ったところで、「悲劇喜劇」の岩田豊雄追悼号を発見。値段は35年前の定価と同じ200円。今まで探したこともなかったけれども、戸板康二の本で読んだ追悼文の初出誌だということに気づいて、嬉々と買った。

ビニールでコーティングされていたので、中身を見たのは帰宅後の夜ふけ。現在も刊行中の早川書房の演劇雑誌「悲劇喜劇」は昭和40年1月に復刊された第2次「悲劇喜劇」、監修者が岩田豊雄で、編集同人は早川書房の早川清、尾崎宏次、戸板康二でスタートした。なので、岩田豊雄は大々的な追悼特集となっていて、「劇壇以外の一般大衆には獅子文六の名で親しまれながら、自分ではつねに、獅子文六よりも岩田豊雄であろうとした人」云々という添え書きとともにたくさんの写真が掲載、追悼文集は福原麟太郎を先頭に大佛次郎今日出海に始まって、森雅之宮口精二矢代静一、田村秋子といった演劇人が中心となって、最後に「悲劇喜劇」編集同人が締めるという構成で、実に充実したもの。フランス演劇、ということが通奏低音となっていて、鈴木力衛の追悼文が端的なのだけれども、「獅子文六」としての活動とも実は共通している、かつての日本のモダーン、ハイカラのようなものが香気となっていて、岩田豊雄獅子文六そのものをもっと追求したいという気になってくる嬉しい1冊だった。

第1次「悲劇喜劇」は、第一書房長谷川巳之吉が円本として『近代劇全集』を刊行した際にその宣伝を兼ねて創刊したもので、監修は『近代劇全集』と同じ岸田国士で、今日出海久生十蘭が編集に参加していた。と、この顔ぶれがたまらない。獅子文六の文学活動は『近代劇全集』でのフランス演劇の翻訳と紹介が最初で、福原麟太郎獅子文六と初めて会ったのも『近代劇全集』の編集打ち合わせの席上のことだったという。戸板康二著『ぜいたく列伝』を機に、林達夫福田清人・布川角左衛門『第一書房長谷川巳之吉』(日本エディターズスクール出版、昭和59年)を読んだときに初めて、この『近代劇全集』のことを心に刻んで、獅子文六という存在が別の方向からキラリと光って眩しかったのを覚えている。「円本」のライヴァルだった近代社の『世界戯曲全集』では小山内薫や北村喜八といった築地小劇場系の翻訳者がロシアやドイツのシリアスな戯曲を紹介していたのに対し、第一書房の『近代劇全集』は「アンチ築地小劇場」の岸田国士岩田豊雄がフランス戯曲を翻訳、そのセリフを魅力と陽気な欧州の香気を鮮やかに伝えているという。ぜひとも自分の目で確かめてみたいものだと思う。獅子文六の作家としてのスタートはそのフランス劇翻訳にあったというわけで、このあたりの演劇や文学やその交わりが醸し出す日本の近代諸々は本当に面白いなあと思う。わたしが獅子文六の作品で一番好きなのは、フランス演劇の紹介だけでは食べていけないので書き始めたという戦前の「新青年」初出の小説群なのだ。

とかなんとか、200円の「悲劇喜劇」でずいぶん興奮だった。獅子文六の追悼文集としては三回忌に刊行の『牡丹の花』(私家版、昭和46年)という本がある。何年か前に、間違ったのかずいぶん安かったのでネットで嬉々と買っていて、手元にある。獅子文六のまとまった追悼特集は以上の2種類だけになるのだろうか。「演劇」に特化している「悲劇喜劇」の追悼は、『牡丹の花』とは違った感触で大収穫だった。2冊セットで大切にして、さらなる獅子道をと思った。