国立劇場の『本朝廿四孝』

昨夜の宵っ張りもなんのその、NHK ラジオの「音楽の泉」の始まる前にガバッと起床。ここ数ヶ月、歌舞伎座とはまた違う味わいの国立劇場での芝居見物が毎回そこはかとなくたのしい。お芝居のおかげで、「音楽の泉」を聴きながら本日のお弁当を作りつつ台所で諸々の作業をするといった、規則正しい日曜日の朝を過ごせて、日曜日の早起きがなんなく実現するというのがまた嬉しい。本日の「音楽の泉」はバルトークメシアンのヴァイオリン曲。好きな音楽で気分はさらに上々、ずいぶん早目に外出して、いつもと同じように通りがかりのコーヒーショップでのんびりと書類作成や本読みなど。用事を一通り済ませたあと、通り道で買った毎日新聞のことを思い出して急にウキウキ、まっさきに書評欄を繰った。外で新聞を買うと、なんとなく旅行先にいるみたいな感覚。

時蔵が八重垣姫を勤め、孝太郎の濡衣と愛之助の勝頼は初役、という舞台。かねてから「十種香」大好きで、「十種香」と聞いただけで無視できぬので、それだけでたのしみだった今月の国立劇場。と言っても、あまり深い考えはなく、八重垣姫の型を自分なりにじっくりと確認できればいいかな、というくらいの軽い気持ちでの見物だったのだけれど、いざ出かけてみると、思っていた以上に好感触の舞台でたいへんたのしい時間となった。時蔵歌右衛門型をじっくりと目の当たりにするという喜びは予想通りに満喫だったし、二段目の勝頼切腹が出たことで「十種香」へのつながりが明確になり、濡衣と勝頼の存在が際立ってきたのが目が醒めたような感じでたいへん胸が躍った。おんなじくだりを以前、文楽の通し上演で見ていて当時もモクモクと面白かったけど、何年か経ってあらためて歌舞伎で見ることであらたな刺激、とりわけ愛之助の勝頼と蓑作の二役がとてもよかった。以前から大好きな役だった濡衣の、「十種香」前を初めて歌舞伎で見られたのも嬉しかった。でも、今回の一番の収穫は愛之助の勝頼かも。勝頼がこんなに面白いなんて! とびっくり。ますますこれから愛之助がたのしみになってきた。上方版忠臣蔵の勘平をいつか見てみたいと急に思った。

そんなこんなで、たいそうワクワクしてしまった終演後、いつもケチって買わずに図書館での入荷を待つことにしている上演資料集を思わず買ってしまった(1200円)。4本収録の劇評は、明治35年1月の三木竹二岩波文庫の『観劇偶評』にも収録)で始まり、平成11年3月の上村以和於さんに至る。わたしが初めて『本朝廿四孝』を見たのはその平成11年3月の歌舞伎座、「中村雀右衛門一世一代にて相勤め申し候」と銘打った舞台。当時は歌舞伎を続けて見るようになって数ヵ月だったけど、初めて見たときから、なんだかよくわからないながらもその濃厚な舞台が忘れられず、一気に大好きな演目になった。上演記録を確認するとこのときの濡衣は宗十郎さんだったんだなあと、胸がいっぱい。次は2000年の團菊祭で菊之助の八重垣姫を見た。濡衣が玉三郎で、この見物もよい思い出になっていて、その次は歌右衛門没後1年の2002年4月の魁春襲名時の八重垣姫、雀右衛門が濡衣にまわったこのときの舞台も大満喫だった。雰囲気だけではなくて「型」がしみじみ面白いと初めて思ったのがこのときだったような気がする。そして、同じ年の顔見世で再び、雀右衛門の八重垣姫を見ることになる。このときは舞台がいつもの白木ではなくて黒塗なので、幕が開いて急に大興奮、池では鴛鴦が泳いでいるのだった。……と、いつものようについ追憶にひたってしまうのだけれども、年表を見てみると、平成11年の鴈治郎の八重垣姫を見逃しているのは残念であった。とにもかくにも、自分の見ている舞台の劇評が上演資料集に掲載されるという段階に来ているのだなあとちょっと感慨深かった。

いつからか、『本朝廿四孝』見物のたびにフムフムと参照しているのが、志野葉太郎著『歌舞伎 型の伝承』(http://www.engeki.co.jp/shoseki/densyo.html)の「十種香」のページ。わかりやすくためになる上にとても面白い。文楽の通し上演の折に二段目と三段目が入れ替わって、夜の部が二段目と四段目になっているのを見たとき、せっかくなら順番通りに見たかったなあとぶつくさ言っていたのだけれども、志野葉太郎さんのおっしゃる、『本朝廿四孝』全五段における「剛」と「柔」の世界のコントラスト、《自分が偽物とは知らずに切腹して果てる盲目の貴公子勝頼の果敢ない物語を経て八重垣姫の優美な世界へと展開してみせる》、《二段目から四段目へとすべてが花で飾られているのも優美な世界を創ろうとした作者の用意が窺えて面白いのである。》といったことが、今回の上演でしみじみ面白いと思った。その「柔」の世界を若手のフレッシュな舞台でたどる時間。それは、勝頼切腹→道行→十種香の3場に登場の濡衣の衣裳の変化、すなわち典型的な腰元の衣裳から赤姫の八重垣姫と対照の黒の着物になるまでをたどるということでもある。武田信玄館+道行、長尾謙信館+奥殿とセットになることで、「通し狂言」全体が左右対称の武家屋敷の場と義太夫舞踊風の場との組み合わせがパラレルのようになっていて、そのコンパクトにまとまっている「通し上演」が心地よかった。

おなじみの場に至るまでのあまり上演されない場はいざ見てみるとあんまり面白くない、といういつもの展開になるかと思いきや、勝頼切腹はそれなりに面白かった。三段目に登場の「三婆」の越路が「剛」の母であるのに対して、二段目の勝頼の母は下げ髪の優美な母、演じる右之助はその子供に甘いところとか濡衣との仲を許すところなどがぴったりの、令嬢がそのまま年をとった感じの上品さが好ましかった。上使村上義晴は敵役のくせに、勝頼の切腹の刻限を朝顔の枯れるまでに決めるところが、お芝居の趣向とはいえ、見かけによらず風流な奴だなあという感じでニンマリ。床本を見てみると、「ご馳走には信濃蕎麦お手打が我ら好物花鰹より勝頼の首、早く賞翫致したい」云々と実は結構洒落っ気たっぷりの男。このセリフ、今回の歌舞伎でもあったのかな、好きだなあ。盲目の勝頼が登場し濡衣とのクドキになると、その竹本にのった動きがちょいと安っぽい舞踊風でもあったのだけれども、それにしても、濡衣と盲目の偽勝頼の恋愛のその隠微さのようなものが、横溝正史推理小説(あんまり読んだことないけど)に出てきそうな感じで味わい深いものがある。このあと、蓑作実は本物の勝頼が登場するところがとてもよくて、愛之助の和事ふうのおかしみにホクホクだった。上使が帰るところでふいっと顔を隠すところ、なるほどと思った。信玄が登場して、蓑作の正体が判明するところの、蓑作から勝頼になるという変化がとてもいい感じで、高貴な人になってからもふいにちょろっと「この身このまま蓑作と」と蓑作に戻るくだりとか、いかにも上方というおかしみただよう味わいが絶妙でホクホク。このあたりでいよいよ愛之助、いいぞいいぞと思い始めて、それは「十種香」の終わりまで一貫して続くこととなった。

信玄館の最後で、濡衣が蓑作の形見の血汐のついた片袖を受け取るところを目の当たりにしたときも興奮だった。そうだ、この片袖は「十種香」のときに濡衣が手にしているあの片袖だ、と、「十種香」を見るたびにおなじみの小道具が急にイキイキと際立ってきて、これこそまさに勝頼切腹の場があるからこその効果。そして、勝頼のいつものおなじみの、「われ民間に育ち」云々というセリフも事前のストーリーを知っていつも見ているものの、今回のように実際に前幕を見たあとだと、ますます際だってきて、見るのと読むのとでは大違いだなあという通し上演ならではのたのしみにウキウキだった。「われ民間に育ち」のセリフのときにうつむく、愛之助のそのうつむき加減がとてもよくて、このあとも、いつもはワキになりがちの「十種香」の勝頼がしみじみと面白くてクッキリと心に残った。「十種香」の勝頼が面白い、という、この感覚をずっと覚えておきたいものだと思う。

それから、「十種香」を見るときにいつもなにげなく見ていた勝頼の衣裳というのも今回初めて実感をもって見ることができた気がする。今までは蓑作の姿だったのがちょうど1年後に不意打ちで在りし日の自分の恋人と同じ姿になって濡衣の前に登場した勝頼、その濡衣の動揺のほどが文字では把握していても、やっぱり今回舞台を見ることでやっとグッと心に迫ってきて、兜を盗んでくれと八重垣姫に打診するところも、先の場の蓑作の死を乗り越えて、自分の運命を受け入れて逃げずに立ち向かう濡衣、ということを思い出して、ここでもグッとなる。勝頼の姿を見て思わず声をあげて泣いてしまう濡衣、その声をきっかけに八重垣姫は自分の恋人が生きていたということを知る、この一連の流れがしみじみと胸にしみてきた。八重垣姫が気づく直前の「うしろにしょんぼり濡衣が」とともに、先程受け取った形見の片袖を出すというダンドリが、いつもおなじみだったのに、今まで何を見ていたのだろうというくらいに鮮やかに見えてきたのがなんとも嬉しかった。

という、前々から大好きだった濡衣、ということを新たな目線で見ることができたのもよかったし、時蔵の八重垣姫の歌右衛門型を丁寧にたどるその動きにもウキウキだった。最後の「今日はいかなることなれば」も省略されずに演じられる、本当に八重垣姫にとっても濡衣にとっても勝頼にとってもなんていう激動の1日だったのだろう、と心から思う見事な幕切れ。ひさびさに奥殿を見られたのも嬉しく、雀右衛門二度目の八重垣姫見物のときは芝雀が人形振りをしていた、ということを思い出して懐かしい。二人のカラミが登場するというダンドリで、先の「十種香」と合わせて、五代目歌右衛門の『魁玉夜話』をそのまま実感できるような八重垣姫だった。『魁玉夜話』はつい最近入手したのだけれど、今回購入の上演資料集にもしっかり収録されている。もうちょっと熟読して、自分なりに整理して、先月思わず買ってしまった歌右衛門の DVD で観察して、次回の「十種香」見物に備えるとしよう。

何度見ても「十種香」大好き、と思う。今回の『本朝廿四孝』見物はとてもよい思い出になった。先ほど追憶していた今までの「十種香」見物とおんなじように、今回の見物のことをこの先懐かしく思い出すに違いない。