購入本:ギャスケルと出会った

まずは週末に届いた本から。

とある目録での注文。『保昌正夫一巻本選集』(ISBN:4309906206)所収の書誌リストで初めて存在を知って図書館で借りて繰って惚れ惚れ、すぐさまネットで注文ッと思ったけど、時節を待つことにしていた本をほどなくして買うことができた。値段は安いけれども、ビニールカバー付きのさりげなくも高雅なたたずまいがたいへん好ましい。装画は池田良二によるもので、鎌倉の神奈川県立近代美術館で展覧会が催されていたのを思い出した。「文字による105のポートレート」と帯にあるように、見開き1ページに一人ずつ、坪内逍遥から中上健次にいたる「早稲田文学」90年にまつわる105人の作家寸評をしている。文学史的視野というのもあれば、現代作家をわりかしジャーナリスティックにというものもあり、その紹介の仕方はさまざまで、読み物としても面白いし、思い立ったときに参照するにでも重宝しそう。巻末には「早稲田文学」の通史と年表が付され、冊子付録には編者の座談会があったりと充実している。おんなじ構成で「三田文学人物誌」というのをつくりたいものだなあと空想するのもたのしい。

早稲田文学」昭和51年8月号から毎号掲載の連載を1冊にまとめたもので、保昌正夫さんが中心だけど書き手はそれぞれ異なる。保昌正夫さんの担当のところについ注目してしまって、心に刻むこと多々ありなのだった。そして、物欲を刺激されるのもいつもながらにたのしく、中野重治の『楽しき雑談』1〜4(筑摩書房、装幀は故六隅許六=渡辺一夫)が欲しい! と思ったり、などなど。


図書館で借りて読んだとき、保昌正夫さんによる網野菊さんの項に「おっ」だった。大の網野菊贔屓だったという浅見淵が《網野さんの作品の特色として、網野さんが師事している志賀さんの要点のみ掴む簡潔な文章からの影響と、網野さん自身の語学的才能が無意識に摂取したのであろう印象的な洋文脈とが混り合って、微塵も飾り気のない独特の美しい文章を生んでいる。》と、とても素敵な紹介をしていることに言及したあと、その「語学的才能」に関して保昌正夫さんは、イギリスの女流作家ギャスケル夫人著『シャーロット・ブロンテ伝』の、昭和17年発行の網野菊さんの訳書について触れ、福原麟太郎がその仕事を評価している、ということを書き添えている。

このくだりがいたく気に入って、いつか網野菊訳の『シャーロット・ブロンテ伝』を読みたいものだなあとうっすらと思ったのだったが、今回『早稲田文学人物誌』を入手してあらためてこのくだりを見て、ますます「いいな、いいな」と思った。


そして、今度は『シャーロット・ブロンテ伝』の書き手、ギャスケル夫人のことも気になってきた。何か読める本はあるかしらと軽く思ったところで、岩波文庫に『ギャスケル短篇集』というのがあるのを知った。2000年の刊行だからわりと最近の本だ。まずは、きちんとこういう本を用意してくれている岩波文庫に感激。

火曜日、昼休みの本屋さんでさっそく『ギャスケル短篇集』を手にして、文庫カバーの紹介文を見て、今すぐにこの本を読みたいとさらに感激し、レジに直行することとなった。

この岩波文庫に添えられた紹介文は、《ごく普通の少女として育ち、結婚して子供を育て――とりたてて波瀾のない穏やかな生涯の中で、ギャスケル(1810-65)は、聡明な現実感覚と落ち着いた語り口で人生を活写した魅力的な作品を書いた。本邦初訳4篇。》というもの。

いかにも19世紀イギリスという感じの表紙絵、その古風さが雰囲気をよく伝えている。ダニエル・マクリース《滝の少女》(1842年、モデルはディケンズの妹ジョージナ・ホガース)という絵が表紙というのもなかなかオツなのだった。昼休みの本屋さんでまずは解説を読んで、ギャスケルはその作品の大半をディケンズ自らが編集長をしていた週刊誌「暮らしの言葉(Household Words)」に寄せていて、それはディケンズによる熱心な要請によるものだったというくだりにさっそく胸が躍った。


昼休みに『ギャスケル短篇集』を買ったのがフツフツと嬉しかったのは奇しくも、今年初めて春用のコートでの外出の日の出来事ということになった。日没後、ウキウキとマロニエ通りを早歩きして京橋図書館へお出かけ。みすず書房の『ブロンテ全集』の最後の巻、第12巻(1995年発行)にエリザベス・ギャスケルの『シャーロット・ブロンテの生涯』が収録されているのを発見して感激。他館の所蔵だったので予約だけして後日のたのしみにとっておくことに。

図書館のあとは喫茶店で、岩波文庫の『ギャスケル短篇集』を読み始めて、文庫カバーの紹介で惹かれたそのまんまの読後感がたいへん心地よいのだった。スラスラと心地よい後味でストーリーそのものが面白いし、イギリスの地方描写を垣間見るという愉しみがちょろっと喚起されるのもいい気持ち。なにかしらの上質の児童文学を読んでいる感覚。牧師の妻というのがいかにもの聖書の記述を注釈でよく目にする。多分に教訓的なのだけれども、そこに寄りかかるようにして無心に文章にひたるのが気持ちよいのだった。苦みもすべて含めたうえでの「人間」讃歌なのだ。たしかな基盤に立って地に足のついた生活をしているギャスケルの余裕たっぷりの筆致がほんわかとユーモラスで、その描写のなかの普遍性のようなものをたいへん好ましく思う。バッハの教会カンタータの軽やかな二重奏に身を任せているような至福、通奏低音が心地よいという、あの感覚。

日本ギャスケル協会:http://wwwsoc.nii.ac.jp/gaskell/


というわけで、ふいに読むことになった『ギャスケル短篇集』がふつふつと嬉しかった。いてもたってもいられず、昼休みの本屋さんでも教文館でも売っていなくて最新の目録でもすでに消えている、岩波文庫のもう1冊のギャスケル、『女だけの町』が今すぐに欲しいッと、本日の日没後は神保町へ突進。まずは岩波ブックセンターに足を踏み入れてみると、『女だけの町』があった! 2冊も! 

こちらは1986年初版で今回買ったのは2000年第3版。さっそく入手できて嬉しい。解説に、19世紀イギリス文学の豪華な面々、ディケンズサッカレー、ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオット、トマス・ハーディーなどの陰に隠れた格好の魅力満点な作家のひとり、というふうに、ギャスケルのことを紹介している。そんなギャスケル夫人のことを知ることができて本当によかった。保昌正夫さんと網野菊さんのおかげ、と思うと感激もひとしお。日本の英文学者を通してのイギリス文学への接近、ということをちょっとしてみようと思った。『シャーロット・ブロンテ伝』もたのしみ、たのしみ。

庄野潤三氏の「ガンビア滞在記」を読んで、アメリカの片隅の小さな田舎町での日常生活が何の奇もなくただ日記のごとく書いてありながら、その記録の面白さにつくづく感心したとき、すぐに思い浮んだのは、ギャスケル夫人の「クランフォード」という小説であった。フィリップにも「小さき町にて」という短篇集があって同じような趣のものであるとこれは井伏鱒二氏から教えられた。……
英国の中部、マンチェスターに近いナッツフォードという町がモデルになっている。作者ギャスケル夫人はこのあたりの人であった。人間の小さな無事な生活の話だ。平常のなごやかさの小説である。読んでいると自分のようにも思い、つくづく人間が愛おしく感じられるのである。……
福原麟太郎「クランフォード」、『変奏曲』所収より)


と、本日のお目当てを入手してホクホクとなりながら、通りかかる度にいつも無視できない巖松堂の文庫新書コーナーをチェックすると、おそるべし、今日も前々から欲しかった本を200円で発見。

先月のちくま学芸文庫の新刊を買う前に読んでおこうと嬉しい。


さらに歩を進めると、通りがかりで今度は、

前々から欲しかったけれどもずっと機会を逸していた本をようやく入手。ちょうど去年の今ごろ、内田光子さんのリサイタルの頃に読みふけっていた本だと懐かしい。


そして、このあと「神保町古書モール」で大興奮したのだったが、続きは明日(付けの日記に)。