夏至のモーツァルト、雲助さんの『髪結新三』

Brahms・Beethoven・Mozart  - Trios For Piano, Clarinet&Cello

夏至である。短夜である。あいかわらず自分内サマータイムの早起きは続いていて、いつも5時前に目が覚める。しかし、早起きはしていても、意気は特に上がらず、目が覚めても毎日ぼんやりなのだった。カーテン越しのこの季節特有の暁の感じがいいなあと、少しだけいい気分にはなったあとで、寝床でしばらく音楽を聴くのがおたのしみ。この時間だけは毎日とても気持ちいい。

そんな暁にこのところ聴いているのは、モーツァルトのピアノとヴィオラクラリネットのための三重奏曲、《ケーゲルシュタット・トリオ》 K.498 で、お気に入りはヴィオラのかわりにチェロが参加している、ヨーヨー・マとアックスとストルツマンのディスク。このディスク、ちょうど10年前にブラームスクラリネットトリオ目当てに買ったのだけれど、聴くのはいつもたいがいモーツァルト。変わった編成の室内曲、それぞれの楽器の個性が絶妙に溶け合っていて、クラリネットのくすんだ響きとチェロの低音、そこに合わさるピアノの音といった組み合わせが、初夏の暁の気分にぴったりで、第一楽章の随所に溶け込んでいるモティーフの登場の連鎖にうっとりしているうちに、約20分間の室内曲はいつもあっという間に終わってしまう。

「いい天気だな。」
こんなことを朦朧と意識しながら、自分はまだ本当に目が醒めない。室内の空気は蒸す――と云っても息苦しい程ではない――ように暖かで、夜具の中は一種の柔い暖味、譬えて云えば鳥の毛の中にくるまっているような軽い柔い温味を感じる。横わっている自分の身体はふわふわと宙に浮いているようにも思われる。近所の家で何か女が甲高に話している声が聞える。笑い声が聞える。
「何を話しているんだろう。」
能く聞き定めようと思う中に、又うとうとと眠ってしまう。その所で何かがたんと云う音が響く。又眼が醒める。
「おやなにか毀したな。」
と思う中に、又ぼんやりとなって来る。暫らくは夢。頭は薄い紗に包まれたようになる。それが又いつの間にか剥げかかると、窓の硝子がいよいよ明るくなる。

岡本綺堂「春の寝言」、『綺堂随筆 江戸のことば』 ISBN:430940698X より)


夏至の朝はモーツァルトで、夜は雲助一幕見! こういうのを「カルピスを原液で飲むような」と言うのだろうか、濃い雲助さんを心ゆくまで堪能。クーッ、とにかくたいへんかっこよかった。ひさびさの対面の紫文さんも嬉しかったなあ。夜ふけの散歩もよかった。と、今年の夏至はたいそうよかった。あとで追記、……したい。)