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foujita2005-06-23

  • 杉浦幸雄『漫画エッセイ おいしいネ』(駒書林、平成17年6月18日発行)

「最後の粋人かく語りき」、「軽妙洒脱な食べ物風俗誌」、「風俗漫画の第一人者が逝去直前まで描き続けたオツな食談80余篇」といった惹句が帯に書かれている。見開き1ページに1篇ずつ計80余篇という体裁のB5サイズの本で、雑誌「四季の味」に20年にわたって連載された食味エッセイをほぼ全篇収録しているという。連載掲載時のスタイルを彷彿とさせるようなつくりが嬉しい。帯の惹句を見て中身をちょっと眺めただけで、とたんにぜひとも手元においておきたいッという気になってしまうような雰囲気が、本全体にポワーンとただよっている。

カバー見返しに「横丁の木村家のパンの匂い」というタイトルの一文があり、表紙にはその挿絵が描かれている。路面電車の走る東京の町、木造の商店が3軒並び、一番右はたびや(の看板がかわいい!)、真ん中は鰻や(団扇で仰ぎながら蒲焼を焼く男、煙の下には子守の少年? その前を粋筋のご婦人が歩く)、そして一番左が木村家、「パン屋のおかみさんが和紙に木版刷りの袋にパンを入れるとくるりとまわして口を折ってくれた」の拡大図ににっこり(「くるりと」の瞬間がいい!)。明治44年本郷生まれの杉浦幸雄が描く東京の町かど、この表紙に描かれている古き東京はいつ頃の時代なのだろう、漫画家ならではのディテール描写が見事で、たびやのお客さんの様子、路面電車の向こう側を歩く書生とミルク売りの姿、などなど、1枚のスケッチの筆の感じがいいなあと見つめているうちに、そのディテールについ注目して、いつまでもにんまり。裏表紙もおんなじように、後のカバー見返しにある「大正時代の朝の音」と題する一文の挿絵が描かれていて、この挿絵も全体の雰囲気にうっとりと同時に、ディテール描写がいいんだなあ。大正時代の朝の音というのは、台所で「味噌漉しで味噌を漉し、擂鉢ですっておみおつけ」をつくっている音、おかあさんがすり鉢で味噌を漉し、そのすり鉢を坊やが動かないように支えてお手伝い、お姉ちゃんはオカカをかくお手伝い、外には井戸があって、引窓のひもがあって、荒神様が祭ってある台所。芝居や落語の小道具を眺めているときとまったく同じ、生活描写の愉しみのようなものが1枚の絵にギュッと詰まっている。

そんなこんなで、チラリと眺めただけで欲しくなってしまったのだけれども、よくよく見てみると、この『おいしいネ』は杉浦幸雄の一周忌を記念して刊行された本なのだった。今回手にとって、絵の感じがいい! と、ひとたびペラペラと繰っただけでホクホクだったけど、一周忌記念という「書物」としての体裁がまた素敵、巻末には杉浦幸雄年譜があり、『おいしいネ』の最終ページの「さらば銀座よ」は亡くなる前月に描かれたことを知ることになり(なんと見事な幕切れ! 筆の揺れ揺れ加減すらも持ち味に。そして「昔の銀座うらの人々」のディテールがやっぱりたのしい)、付録として「杉浦幸雄追悼文集」という栞がはさみこまれていて、8人の漫画家による追悼文が掲載されている。実をいうと、わたしにとっては、漫画家の杉浦というと、杉浦茂? といった感じで、杉浦幸雄については字面だけうっすらと記憶にあったという程度なのだけれども、こうして一周忌を機に刊行された本を手にとることで、杉浦幸雄さんの姿をまがりなりにもしのぶことになったのが嬉しい。

杉浦幸雄さんの描く「東京の昔」の素敵なことといったら! と、『おいしいネ』に掲載の何十枚もの絵が伝える「東京の昔」とかその風俗描写にはあちこちで琴線を刺激されてしまうのだけれども、ほんの1年前まで描き続けられていたということをずっと知らずにいたということになる。こうして一周忌記念の『おいしいネ』を手にとることで、初めて知ることができた次第。

この本は出来たてホヤホヤの新刊書だけど、古本屋で素敵な本を「おや」と発見したときみたいな感覚もあって、杉浦幸雄さんのみならず、杉浦幸雄さんを取り囲むある種の雰囲気を感じて、この雰囲気ってなんだろうと、ほかの書物につなげたくなるような感じなのだった。「東京の昔」の資料としてはもちろん、日頃の古本読みのたのしみとリンクするような、昭和文献いろいろの副読本としても手元に置いておきたい感じ。たとえば、前々から気になっている青蛙房刊の『近藤日出造の世界』を読みたくなったり、三國一朗の『徳川夢声の世界』を読みたくなったりとか、そんな感じにいろいろと刺激されるのもたのしい。

それにしても、素敵な挿絵の目白押しで、いつまでも眺めてたのしい。わたしのお気に入りは、戦前の神田淡路町の映画館シネマパレスにて「巴里の女性」のレストランの場面上映中の図(弁士は夢声! オーケストラピットが素敵)、「父はいろんな店につれていってくれた」という父と子の図が描く大正の東京の町には戸板康二少年とその父も歩いていた風景とおんなじだなあと思う。羽左衛門梅幸松助の『玄冶店』の絵も嬉しい(三宅周太郎に「きみは『国宝』を見ているよ」と誉められたんですって)。歌舞伎といえば、「木村荘八先生の不朽の名著『小唄控』の口絵写真に、大磯の別荘で五代目菊五郎丈が四人の婦人に囲まれたのが載っているが」の挿絵の、五代目菊五郎がかっこいい〜。

とかなんとか、買って嬉しい『おいしいネ』だった。うれしいネ。

と、『おいしいネ』を手にした直後、「こつう豆本」が数冊並んでいるのが目に入った。思えば、一時期、アクセスに足を踏み入れるたびに「こつう豆本」を買っていたものだった。わたしの手元に今、いったい何冊あるのだろう。それは本人もわからない。というようなことを思いつつ、未所持のものがないかどうかちょろっと確認し、この別冊を発見。「こつう豆本」蒐集はまだやめられそうにない。

ぺらっと立ち読みして衝動買い。ふだんは極力雑誌は買わないようにしているのだけど、アクセスにかぎってはぽろっと買ってしまうことが多い。フリースタイルといえば、都筑道夫の『推理作家の出来るまで』の版元として心に刻んであったので、つい。と言いつつ、『推理作家の出来るまで』はいまだ入手していない。扱っている内容が日頃の嗜好とほとんど重ならないのに、めくっているとなんとなくいい気持ちになってくる誌面で、次号もたのしみ。

唯一の接点は、演劇時評(松岡和子、小森収両氏の「歌舞伎から翻訳劇まで、いまの芝居を語り合う」)でちょろっと言及の勘三郎襲名興行くらいかなあと思っていたら、映画時評の鼎談で、4月に日仏学院で見た、ジャン・ルノワールの『十字路の夜』のことが書いてあって、ジーンだった。あの日、わたしの座っていた席のすぐ前に山田宏一さんがいらっしゃって嬉しかった。と、今回「フリースタイル」を買ったのは、「山田宏一の『映画教室』」の連載が目当てといってもいいくらい。単行本化が今からとっても待ち遠しい。

フリースタイルの単行本といえば、近刊予告にある、都筑道夫ポケミス全解説』もたのしみ。その前に『推理作家の出来るまで』が欲しいのであるが。

物欲といえば、久住昌之さんが書いているシュロ箒が今とっても欲しくて、ムズムズ。(→ 参考:http://www.edohouki.com/item/item_03/