ちくま文庫の江國滋

今週は朝は雨がザアザアでも、夕方になると、いくぶん涼しい穏やかな天気、という日が続いていて、夏至のあとの着実に日が短くなりつつあるのだろうなあという季節の薄暮のそぞろ歩きがたのしい。今日は新橋方面にテクテク歩いて、ふと思い出して、三信ビルの地下の小さな本屋さんに立ち寄った。待ち遠しかった文庫本は入っているかしらと見に行ったら、1冊だけ新刊コーナーにあるのを発見。パッと買った。

このところ三信ビルの地下の本屋さんがお気に入りで、文庫と新書と主な出版社の新刊くらいしか置いていないのだけれども、ここで買える本はここで買いたい、という気になるような感じ、だけど、なかなか買えない。今日は目論みどおり、買えて嬉しかった。縞模様のカヴァーがそこはかとなく素敵で、ちょっと前に、東海林さだおの丸かじりシリーズの新刊を買ったときは、セロテープとはさみが導入されるカヴァーかけにワオ! と心のなかで大いにどよめいた。今はなくなってしまった銀座の近藤書店のことを思い出して懐かしかった。文庫本はふつうのカヴァーかけだった。セロテープとはさみが導入されるカヴァーかけにはまたお目にかかれるかしらと、ビルがなくなってしまうまで、この本屋さんでは、つつましく1冊ずつなにかしら買っていけたらと思う。

江國滋のデビュウ作の復刊

歌舞伎を見るようになってからずっとそこはかとなく憧れていた落語に急激に親しむようになったのは、ある日の夜、偶然ラジオ(NHK玉置宏「名人寄席」)で聴いた、圓生の『ちきり伊勢屋』の実況録音がきっかけだった。圓生の語りに惚れ惚れだというだけでなく、実況の舞台の人形町末広にあこがれた、というのが大きかった気がする。ちょうど4年前のいま時分の季節で、ラジオの圓生を機に、落語ディスクを次々と買いあさることとなった。クラシック音楽を聴き始めた頃とおなじような感覚。圓生文楽志ん朝のディスクを次々に聴きあさった。(キリがないので途中で図書館で借りて MD に落とす方針に切り替えた。)

と、そんな落語ディスクを買いあさっていた頃に、荻窪ささま書店で買ったのが、江國滋の『落語手帖』(古賀書店、昭和41年)、500円だった。安藤鶴夫の序文がついているので、なんとなく気が向いたのだったけど、あとで知ったところによると、この本は江國滋のデビュウ作でわたしの買ったのはその再版、初版は昭和36年(普通社刊)でこちらには辰野隆が序文を寄せているという。初版当時の江國滋は27歳、「週刊新潮」の編集部にいたころだ。(この初版、矢野誠一さんによると「佐野繁次郎ばりの、落語の本というにはあまりにモダンな、A版変型に造本された」著者自装とのこと、ぜひとも見てみたい!)。

昭和41年の再版時は新潮社を退社して筆一本でわたり始めたまなしの頃、再版の序文で安藤鶴夫は《この古賀版<落語手帖>が、たまたま、江國君のあたらしいスタートの、そのひとつの道標ということになった。》というふうに書いている。

若き江國滋による『落語手帖』は以来、とびっきりの愛読書となった。あとになって、旺文社文庫江國滋の落語三部作の存在を知り、『落語手帖』の解説はワオ! 矢野誠一さんだ、と解説目当てに重複をいとわずちょいと高めの文庫本を買い、二冊目の『落語美学』の解説はワオ! 色川武大と、こちらは初読だし高くても見つけてしまったら迷わず購入、三冊目の『落語無学』はなかなかめぐりあう機会がなくて解説はどなただろうとずっと気になっていた。いつだか忘れたけど、待ち切れなくてネットで取り寄せた。解説は中村武志さん、「文筆家」江國滋を語って余すところがない。以上、旺文社の江國滋の「落語三部作」は、矢野誠一さんの著書と並んで、わたしの落語聴きにおける座右の書となり、わが書架の落語コーナーの一番目立つところに並べてある。はじめて買った再版の『落語手帖』も文庫本の隣りにある。文庫本では省略されている江國滋の挿絵ともども、いまでも愛着たっぷり。

ちなみに、『落語無学』には雑誌のコピーが1枚挟まっている。購入当時、図書館で偶然見つけた、安藤鶴夫の「<落語無学>の江國滋」と題する文章、「三田評論」昭和44年10月号に掲載されたもので、文末には「遺稿」の二文字。『落語手帖』再版からスタートした、わたしの江國滋「落語三部作」読みのはじまりとおわりには安藤鶴夫がいるということになるなあと、ひとり悦に入っていたのだった。(おや、『落語無学』は、いま思うと、この記事を見つけていてもたってもいられずネットで取り寄せたのだったかも。)

旺文社文庫の「落語三部作」のほかに、江國滋の落語本の文庫は、朝日文庫の『落語への招待』(ISBN:4022612428)があって、これはまだ新刊本屋さんで買えるはずで、解説はまたもやワオ! の小沢昭一さん。『落語への招待』は、「落語三部作」の三冊からの抜粋を中心に再編集したものなので、「江國滋の落語本」ダイジェストといったような趣きで、これまた素敵な一冊。旺文社文庫の三冊を一緒に並べて、計4冊の江國滋の落語本文庫、しつこいようだけど、矢野誠一さんの文庫本とともに、わが書架の落語コーナーの一番目立つところに並べてある。

……などなど、本の内容ではなくて、本との出会いについての個人的な体験をタラタラと書き連ねてしまって見苦しいことこのうえないけれども、今月のちくま文庫の新刊として、江國滋のデビュウ作、『落語手帖』がふたたび世に出たことがファンの一人として嬉しくて嬉しくて、ゆくたてを振り返ってみたくなったという次第。

落語本以外の江國滋の本も結構集めているけれども、落語本ほどは愛読してはいない。と、文章そのものはそんなには面白がっているわけではないけれども(現時点では)、その文章の根底にある、江國滋その人というか、江國滋という人物そのものがわたしは大好き、というか、大ファン。なので、阪神が優勝したときとか娘さんが賞を受賞なさったとき、まっさきに思ったのは「泉下の江國滋はさぞかしお喜びであろう」ということだった。それにしても、もっと長生きして欲しかった。